平成25年9月16日付けで平成22年7月に訪れた石山寺を紹介している。
今回は拝観時に渡された境内図を参考に、写真を撮りながら歩く。
境内も広く奥深い。気がつけば約3時間の滞在となった。
東大門(重要文化財)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。
東大門の両側には金剛力士(仁王)像が安置されている
石山寺事務所
「ゆるキャラ」が迎えてくれる
拾翠園
公風園白耳亭
整備された参道。奥の右側に受付所がある
大黒堂
石山寺参拝の出口になる
世尊院
比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)
東大寺の良弁は大仏建立に必要な黄金の調達のため、金峯山に籠もって金剛蔵王の夢告を受け、この石山の地を訪れた。
岩の上で老人が釣りをしており、お告げの場所がこの地であった事を良弁に告げた。
この老人こそが近江の地主である比良明神で座っていた石が比良明神影向石。
くぐり石
大理石でできた岩。体内くぐりの状態をなすこの池は天平時代のもの
周囲に人がいない時に挑戦してみたが、体の幅の問題に加え、柔軟性にも欠けていたため、まったく進むことができなかった。
密蔵院
島崎藤村ゆかりの家。
22歳の時、敬愛する西行や芭蕉の如く旅をして足を休めた所が石山寺で、二ヶ月近い寄宿生活をこの奥にて始める。
観音堂
毘沙門堂(滋賀県指定有形文化財)
安永2年(1773)建立。毘沙門天立像(重文)を祀る
御影堂(重要文化財)
室町時代の建立。正面三間、側面三間、宝形造、檜皮葺
良弁杖桜
石山寺の開山良弁僧正の杖が根づき育った桜と伝えられる
「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」 古歌の奈良八重桜
蓮如堂(重要文化財)
慶長7年(1602)、淀殿による境内復興の際に三十八所権現社本殿の拝殿として建立。
明治以降、蓮如上人六歳の御影や遺品を祀る堂として使用
天然記念物 石山寺硅灰石
硅灰石は石灰岩が花崗岩と接触し、その熱作用のために変質
通常は大理石となるがこのように雄大な硅灰石となっているのは珍しい
石山寺の「石山」の起こりとなった
次回に続く
撮影 平成25年11月12日
今回は拝観時に渡された境内図を参考に、写真を撮りながら歩く。
境内も広く奥深い。気がつけば約3時間の滞在となった。
東大門(重要文化財)
参道入口の門。入母屋造、瓦葺きで、建久元年(1190年)の建立。本堂の礼堂が建立されたのと同時期の近世初期に大幅な修理を受けている。
東大門の両側には金剛力士(仁王)像が安置されている
石山寺事務所
「ゆるキャラ」が迎えてくれる
拾翠園
公風園白耳亭
整備された参道。奥の右側に受付所がある
大黒堂
石山寺参拝の出口になる
世尊院
比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)
東大寺の良弁は大仏建立に必要な黄金の調達のため、金峯山に籠もって金剛蔵王の夢告を受け、この石山の地を訪れた。
岩の上で老人が釣りをしており、お告げの場所がこの地であった事を良弁に告げた。
この老人こそが近江の地主である比良明神で座っていた石が比良明神影向石。
くぐり石
大理石でできた岩。体内くぐりの状態をなすこの池は天平時代のもの
周囲に人がいない時に挑戦してみたが、体の幅の問題に加え、柔軟性にも欠けていたため、まったく進むことができなかった。
密蔵院
島崎藤村ゆかりの家。
22歳の時、敬愛する西行や芭蕉の如く旅をして足を休めた所が石山寺で、二ヶ月近い寄宿生活をこの奥にて始める。
観音堂
毘沙門堂(滋賀県指定有形文化財)
安永2年(1773)建立。毘沙門天立像(重文)を祀る
御影堂(重要文化財)
室町時代の建立。正面三間、側面三間、宝形造、檜皮葺
良弁杖桜
石山寺の開山良弁僧正の杖が根づき育った桜と伝えられる
「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」 古歌の奈良八重桜
蓮如堂(重要文化財)
慶長7年(1602)、淀殿による境内復興の際に三十八所権現社本殿の拝殿として建立。
明治以降、蓮如上人六歳の御影や遺品を祀る堂として使用
天然記念物 石山寺硅灰石
硅灰石は石灰岩が花崗岩と接触し、その熱作用のために変質
通常は大理石となるがこのように雄大な硅灰石となっているのは珍しい
石山寺の「石山」の起こりとなった
次回に続く
撮影 平成25年11月12日
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