丸岡城<別名:霞ヶ城>
今回2度目となる丸岡城。一度目は偶然近くを車で通ったため立ち寄った
夏休みで広場では子供たちがラジオ体操をしていた。その広場も今は立派な駐車場になり年月の流れを感じていた
その時は、早朝のため無料で城周辺を探索したことをよく覚えている
丸岡城天守(重要文化財)
現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城である
霞ヶ城の別名をもつ。由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるものらしい
お静慰霊碑(伝説「人柱お静」)
石垣
私の人生の大先輩に石垣に詳しい方がいる。そのことを知ってから、城を訪ねると必ず石垣を撮るようにしている
自然石をそのまま積み上げている「野面積み」手法だ
よく見ると石の色が違っている。1948年(昭和23年)の福井地震によって倒壊した影響かも知れない
急な石段を上り城内に入る
「石落とし」
かつての丸岡城の模型(現存しているのは天守)
階段の狭さや角度から、戦に備えての城だと云うことがわかる
1576年(天正4年) 織田信長の家臣で、柴田勝家の甥である勝豊により築城された
階段を上から見るとこのようになっている。上りと同じ姿勢で下りるのがベストの選択になる
城ブームということもあり、観光客が多い
八幡神社
牛ヶ島石棺
一筆啓上石碑
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った手紙
この石碑が縁で、日本一短い手紙文の一筆啓上賞の起こりとなった
歴史民族資料館
撮影 平成30年10月23日
今回2度目となる丸岡城。一度目は偶然近くを車で通ったため立ち寄った
夏休みで広場では子供たちがラジオ体操をしていた。その広場も今は立派な駐車場になり年月の流れを感じていた
その時は、早朝のため無料で城周辺を探索したことをよく覚えている
丸岡城天守(重要文化財)
現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城である
霞ヶ城の別名をもつ。由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるものらしい
お静慰霊碑(伝説「人柱お静」)
石垣
私の人生の大先輩に石垣に詳しい方がいる。そのことを知ってから、城を訪ねると必ず石垣を撮るようにしている
自然石をそのまま積み上げている「野面積み」手法だ
よく見ると石の色が違っている。1948年(昭和23年)の福井地震によって倒壊した影響かも知れない
急な石段を上り城内に入る
「石落とし」
かつての丸岡城の模型(現存しているのは天守)
階段の狭さや角度から、戦に備えての城だと云うことがわかる
1576年(天正4年) 織田信長の家臣で、柴田勝家の甥である勝豊により築城された
階段を上から見るとこのようになっている。上りと同じ姿勢で下りるのがベストの選択になる
城ブームということもあり、観光客が多い
八幡神社
牛ヶ島石棺
一筆啓上石碑
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てて送った手紙
この石碑が縁で、日本一短い手紙文の一筆啓上賞の起こりとなった
歴史民族資料館
撮影 平成30年10月23日
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