三井寺の2回目になる。受付所で渡されるリーフレットは秀逸で、参拝者の目線で図説され、参拝順路や解説などが解りやすく書かれている。
境内においても参拝順路が示されていて、初めて参拝に訪れた人にも迷うことなく目的地に向かうことができる。
鐘楼<三井晩鐘>(重要文化財)
金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る。
百八煩悩に因んだ数の乳を持つ梵鐘の在銘最古遺品に当たる。
弁慶鐘にならって新鋳しているため、弁慶鐘とほぼ同じ大きさに造られている
この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられている
この鐘は自由に撞くことができるが、近づくと1回300円と書いてある。
「鐘か、金か」迷うところだが、前回訪れたとき2回撞いているので、今回は金を選んだ
閼伽井屋<三井の霊泉>(重要文化財)
金堂の西に接して建つ小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立された
正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺
内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっている
堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出している
左甚五郎作「龍の彫刻」
むかし、この龍が夜な夜なびわ湖に出て暴れるため、甚五郎自ら眼玉に釘を打ち込み鎮めた
熊野権現社
智証大師が入唐求法し法華・密教の奥義を究めた
大峯・熊野三山に入峯練行した事蹟に則り平治元年(1159)当地に熊野権現を勧請し、三井修験道の鎮神とした。
現社は天保8年(1837)の再建
霊鐘堂
堂内に「弁慶の引摺り鐘」が安置されている
弁慶の引摺り鐘(重要文化財)
山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまった
この鐘は寺に変事があるとき、その前兆として不可思議な現象が生じたという。
良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれている
建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、 これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれている
一切経蔵(重要文化財)
室町時代の建築。毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築
堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵がある
天井から 円空仏七体が発見されている
雨が強く降ってきたため、重要文化財の堂内で贅沢にも雨宿りをする。
堂内は暗いため人間の眼には見えないが、カメラの力によりここまで見えてくる
左側(三重塔)から見た一切経蔵
次回に続く
平成25年11月12日
境内においても参拝順路が示されていて、初めて参拝に訪れた人にも迷うことなく目的地に向かうことができる。
鐘楼<三井晩鐘>(重要文化財)
金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊る。
百八煩悩に因んだ数の乳を持つ梵鐘の在銘最古遺品に当たる。
弁慶鐘にならって新鋳しているため、弁慶鐘とほぼ同じ大きさに造られている
この梵鐘は慶長7年(1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられている
この鐘は自由に撞くことができるが、近づくと1回300円と書いてある。
「鐘か、金か」迷うところだが、前回訪れたとき2回撞いているので、今回は金を選んだ
閼伽井屋<三井の霊泉>(重要文化財)
金堂の西に接して建つ小堂で、慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立された
正面三間 側面二間 一重 向唐破風造 桧皮葺
内部には井泉が湧き、天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことが三井寺の名前の由来になっている
堂内には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出している
左甚五郎作「龍の彫刻」
むかし、この龍が夜な夜なびわ湖に出て暴れるため、甚五郎自ら眼玉に釘を打ち込み鎮めた
熊野権現社
智証大師が入唐求法し法華・密教の奥義を究めた
大峯・熊野三山に入峯練行した事蹟に則り平治元年(1159)当地に熊野権現を勧請し、三井修験道の鎮神とした。
現社は天保8年(1837)の再建
霊鐘堂
堂内に「弁慶の引摺り鐘」が安置されている
弁慶の引摺り鐘(重要文化財)
山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまった
この鐘は寺に変事があるとき、その前兆として不可思議な現象が生じたという。
良くないことがあるときには鐘が汗をかき、撞いても鳴らず、 また良いことがあるときには自然に鳴るといいわれている
建武の争乱時には、略奪を恐れ鐘を地中にうめたところ、自ら鳴り響き、 これによって足利尊氏軍が勝利を得たといわれている
一切経蔵(重要文化財)
室町時代の建築。毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築
堂内には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵がある
天井から 円空仏七体が発見されている
雨が強く降ってきたため、重要文化財の堂内で贅沢にも雨宿りをする。
堂内は暗いため人間の眼には見えないが、カメラの力によりここまで見えてくる
左側(三重塔)から見た一切経蔵
次回に続く
平成25年11月12日
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