五智国分寺
5年前に訪れたときに三重塔の相輪が変形していたのが気になっていたので再び訪れた
地元の歴史愛好家に説明を受け、近隣を案内してもらったことを思い出す
山門
扁額には山号の「安国山」
仁王像は天保7年(1836)に製作されたが、平成6年に倒壊した為、3年をかけて修復した
像の前に金網などの障害物がないと、迫力が伝わってくる
経蔵
上越市最古の建物
本堂
聖武天皇の勅願によって建立された越後国分寺の所在地はわかっていない
永禄5年(1562)上杉謙信によって、現在の場所に再建された
本尊は、大日、薬師、宝生、阿弥陀、釈迦の五智如来
現在の本堂は昭和63年焼失後の平成9年に再建されたもの
親鸞聖人像
承元元年(1207)、専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となった
竹之内草庵
国分寺住職は、聖人とは比叡山で同学の友で、国司に申し出て境内の五仏のそばに草庵を結ぶことになった
その草庵は、竹林に囲まれていたので竹之内草庵と呼ばれた
三重塔
山門から本堂に向かう際に「相輪が直っている」ことを確認
5年前には宝珠の部分が曲がっていた。
相輪あっての塔だけに、本来の美しさが戻ったといえる
高欄など未完成のようだが、シンプルな姿がいい
新緑に囲まれた美塔は心が和む。
境内には老人の話し声が響いている。老婆がお参りにやってきた
親鸞聖人上陸の地
石段が6段に区切られている。南無阿弥陀仏の6文字を意識しデザインしたと聞いている
朝からの雨もあがり、青空が見えてきた
親鸞が上陸したときの天気や波はどうだったのかなど考えていた
この日の夕方、道の駅「うみてらす名立」
旅先で見る落陽は感慨深いものがある
撮影 平成29年5月25日
5年前に訪れたときに三重塔の相輪が変形していたのが気になっていたので再び訪れた
地元の歴史愛好家に説明を受け、近隣を案内してもらったことを思い出す
山門
扁額には山号の「安国山」
仁王像は天保7年(1836)に製作されたが、平成6年に倒壊した為、3年をかけて修復した
像の前に金網などの障害物がないと、迫力が伝わってくる
経蔵
上越市最古の建物
本堂
聖武天皇の勅願によって建立された越後国分寺の所在地はわかっていない
永禄5年(1562)上杉謙信によって、現在の場所に再建された
本尊は、大日、薬師、宝生、阿弥陀、釈迦の五智如来
現在の本堂は昭和63年焼失後の平成9年に再建されたもの
親鸞聖人像
承元元年(1207)、専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となった
竹之内草庵
国分寺住職は、聖人とは比叡山で同学の友で、国司に申し出て境内の五仏のそばに草庵を結ぶことになった
その草庵は、竹林に囲まれていたので竹之内草庵と呼ばれた
三重塔
山門から本堂に向かう際に「相輪が直っている」ことを確認
5年前には宝珠の部分が曲がっていた。
相輪あっての塔だけに、本来の美しさが戻ったといえる
高欄など未完成のようだが、シンプルな姿がいい
新緑に囲まれた美塔は心が和む。
境内には老人の話し声が響いている。老婆がお参りにやってきた
親鸞聖人上陸の地
石段が6段に区切られている。南無阿弥陀仏の6文字を意識しデザインしたと聞いている
朝からの雨もあがり、青空が見えてきた
親鸞が上陸したときの天気や波はどうだったのかなど考えていた
この日の夕方、道の駅「うみてらす名立」
旅先で見る落陽は感慨深いものがある
撮影 平成29年5月25日
日本海に面した地域は豪雪地帯でもあると思います。また湿雪でもあり北海道のようなサラサラした雪ではないので屋根降ろしが大変と察します。以前十日町に行ったときに何度も同じ屋根の雪下ろしをしている姿を見ました。上越市も同じと思います。これらの建物がよく大雪を屋根に受けて堪えているなぁと。
仁王像を金網ナシで観るのはいいですね。
落陽の美しさに勝るものはないと感じました。
ありがとうございました。
仁王像は寺院で唯一自由に撮影できる彫刻なので、金網などの障害物がないのは嬉しいですね。鳥などの糞害から護るためのようですが、ここの像は綺麗だったので別の対策がとられているのかも知れません。
この寺の境内に親鸞聖人が7年間住んでいた場所があります。罪人なので酷い環境下におかれてると思いきや、大切にされていたことが、さらに、この地域が浄土真宗の信者が多いのもわかるような気がします。