今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

伊富貴山 観音護国寺<通称:大原観音寺>(滋賀県米原市朝日1342)

2022年07月17日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月21日

伊富貴山 観音護国寺<通称:大原観音寺>
最初に訪れたのは、外国人による仏像窃盗事件が関西を中心に発生していた頃である
県外の車両と言うことで巡回中の警察官に職質を受けた場所がこの惣門横
趣味が歴史という警察官で、戦国時代にこの地域で起こった出来事について語ってくれた



惣門(重要文化財)
制作年は不明だが、長浜城の裏門を移築したと伝えられている



観音寺由緒



参道を歩く



若い女性が参道沿いで歓迎してくれる(笑)
ちょっとした心遣いだが嬉しい



階段の奥に本堂が見えてくる



本堂(重要文化財)
伊吹山にあった観音護国寺が、正元年中(1259~60年)に現在地に移転
大原荘の地頭・大原氏の保護を受けながら、弘安年間(1278~88年)までに寺観を整えた



現在の本堂は、正徳5年(1715年)に再建された
桁行5間・梁間5間・向1間の入母屋造り



屋根は、当初葦葺きだったが明治元年(1868年)に桟瓦葺きに改められた






本尊:十一面千手観音



向拝の彫刻



鐘楼(重要文化財)



享保10年(1725年)の上棟で、彫刻の意匠が優れた鐘楼






緑一色の境内で唯一の赤い花



薬師堂
本堂横の廊下からつながっている



初めて訪れた時には、木の腐食・瓦の劣化により屋根はブルーシートで覆われていた
平成30年(2018年)8月、薬師堂の修復落慶を迎えた



天保15年(1844年)の上棟で、正面3間・側面3間半の入母屋造の建物



石造十三重塔



石灯籠



石田三成の水汲みの井戸
三献の茶の逸話で知られる、石田三成(当時 佐吉)と豊臣秀吉(同じく 羽柴秀吉)の出会いの地



観音寺に鷹狩りの際に訪れた秀吉に
一杯目は大きい茶碗でぬるめのお茶を、二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めのお茶を
三杯目は小さい茶碗に熱いお茶を差し出した
その才能を認められ、出世の糸口を作ったという話が伝えられている



そのお茶の水をくんだとされる古井戸が、この井戸と云われている



その後、三成は豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる
豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された



霞んでいるが遠くに見えるのが滋賀県最高峰の伊吹山である



撮影日 令和4年5月21日

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