訪問日 令和4年5月16日
太平山 安国寺<別称・飛騨安国寺>
臨済宗妙心寺派の寺院
足利尊氏・直義が、後醍醐天皇や南北朝の動乱で戦死者の慰霊の為、国毎(66ヶ国2島)に一寺一塔を建立させたのが始まり
貞和3年(1347年)瑞巌和尚によって創建された
山門
扁額には山号の「太平山」
石仏
本堂
戦国時代、上杉派の三木氏と、武田派の広瀬氏との抗争に巻き込まれ、天正年間と永禄年間に二度に兵火を被った
経蔵、開山堂、および鎮守社の熊野神社以外の堂宇が焼失した
現在の本堂は江戸時代初期の寛永元年(1624年)、飛騨高山藩第三代藩主の金森重頼により再建されたもの
木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、花頭窓付
本尊:釈迦牟尼仏(岐阜県指定文化財)
薬師堂
開山堂
重要文化財の「塑造瑞巌和尚坐像(頭部木造)」が安置されている
明徳3年(1392年)の作
塑造は日本では奈良時代に盛行した技法で、中世には珍しい
経蔵(国宝)
応永15年(1408年)の建立で、飛騨における唯一の国宝建造物
全体的に禅宗様が中心だが、所々に和様が加わった折衷式の建物となっている
階段前に柵があり「立入禁止」とある
残念だが、コロナ禍で内部の拝観(予約制)もできなかった
時間に余裕のあるときには、堂宇の位置関係を記憶(記録)するために数枚撮ることにしている
本堂と経蔵との配置がこれで分かる
戦国時代の戦禍でも焼失しなかった経蔵と開山堂
薬師堂と石造十三重塔
石造十一面観音像も美しい
本堂と庫裏
境内は多くの花で飾られている
花の名前は知らないが綺麗だ
鐘楼
車に戻り次の目的地をナビで検索し50mほど走ると、車では通行できない道を案内された
これには愕然としたが、驚くことに目の前に国宝の経蔵が現れた
案内板(駐車場にある)
周囲を確認し立入禁止の札がなかったので少し近づいて撮ることにした
扁額の文字は読めなかった
内部の八角輪蔵は国内における現存最古の輪蔵(回転式書架)
この輪蔵には当時、明から入手した元版大蔵経(現存2000帖余り)が納められている
この墓地のある場所は色々な高さから撮ることができる
国宝の質感を近くで感じることができたことはとても嬉しい
撮影日 令和4年5月16日
太平山 安国寺<別称・飛騨安国寺>
臨済宗妙心寺派の寺院
足利尊氏・直義が、後醍醐天皇や南北朝の動乱で戦死者の慰霊の為、国毎(66ヶ国2島)に一寺一塔を建立させたのが始まり
貞和3年(1347年)瑞巌和尚によって創建された
山門
扁額には山号の「太平山」
石仏
本堂
戦国時代、上杉派の三木氏と、武田派の広瀬氏との抗争に巻き込まれ、天正年間と永禄年間に二度に兵火を被った
経蔵、開山堂、および鎮守社の熊野神社以外の堂宇が焼失した
現在の本堂は江戸時代初期の寛永元年(1624年)、飛騨高山藩第三代藩主の金森重頼により再建されたもの
木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、花頭窓付
本尊:釈迦牟尼仏(岐阜県指定文化財)
薬師堂
開山堂
重要文化財の「塑造瑞巌和尚坐像(頭部木造)」が安置されている
明徳3年(1392年)の作
塑造は日本では奈良時代に盛行した技法で、中世には珍しい
経蔵(国宝)
応永15年(1408年)の建立で、飛騨における唯一の国宝建造物
全体的に禅宗様が中心だが、所々に和様が加わった折衷式の建物となっている
階段前に柵があり「立入禁止」とある
残念だが、コロナ禍で内部の拝観(予約制)もできなかった
時間に余裕のあるときには、堂宇の位置関係を記憶(記録)するために数枚撮ることにしている
本堂と経蔵との配置がこれで分かる
戦国時代の戦禍でも焼失しなかった経蔵と開山堂
薬師堂と石造十三重塔
石造十一面観音像も美しい
本堂と庫裏
境内は多くの花で飾られている
花の名前は知らないが綺麗だ
鐘楼
車に戻り次の目的地をナビで検索し50mほど走ると、車では通行できない道を案内された
これには愕然としたが、驚くことに目の前に国宝の経蔵が現れた
案内板(駐車場にある)
周囲を確認し立入禁止の札がなかったので少し近づいて撮ることにした
扁額の文字は読めなかった
内部の八角輪蔵は国内における現存最古の輪蔵(回転式書架)
この輪蔵には当時、明から入手した元版大蔵経(現存2000帖余り)が納められている
この墓地のある場所は色々な高さから撮ることができる
国宝の質感を近くで感じることができたことはとても嬉しい
撮影日 令和4年5月16日
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