訪問日 令和6年5月14日
真清田神社(ますみだじんじゃ)
尾張国一宮ということで訪れた
地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する
社号標
鳥居を過ぎると太鼓橋、楼門が視界に入ってくる
太鼓橋
楼門
扁額には「真清田大神」
伝聖武天皇ご宸筆の旧額を模して、人間国宝「平櫛田中」氏が彫刻を施した
かつて「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された
境内にある「大絵馬」
一宮市の中心部に鎮座している
鳥居の向こうには商店街のアーケードが見える
楼門の門扉にある「社紋」の『竹ノ輪に九枚笹』
手水舎
吐水龍は、寛永8年(1631)初代尾張藩主徳川義直奉納によるもの(現在はレプリカ)
神水舎
大型バスによる参拝者で賑わっていた場所
明治11年10月25日、明治天皇が一宮を巡幸されご昼餐の際、この井戸水を御膳水として陛下に奉られたという
後ろに並んでいる人がいたため、写真だけは撮ってみたが
「御鏡に心を写し 姿を正しましょう」との記載があることも鏡の存在も当時は知らなかった
「水面に顔が映るまでのぞき込んで下さい」との記載があったが体が硬く腰痛もあり見ることができなかった
御霊水と井戸信仰による「無病息災」というご利益には縁が無かった
拝殿
大型バスによる参拝者が戻りかけたので拝殿に向かう
社殿は第二次世界大戦中の一宮空襲で焼失したため、現在見られるものは戦後の再建である
拝殿内部
本殿内陣中陣の扉や柱桁などは、伊勢の神宮から下賜された古材を使用している
本殿(国登録有形文化財)
祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説がある
摂社 服織神社(はとりじんじゃ)
一宮七夕まつりにミス七夕・ミス織物が参列し御衣奉献祭が斎行される
拝殿
「紅い糸むすび」
果たして「恋の願い」が叶ったのか
初めて訪れる神社で、何があるのか周辺を歩いてみる
厳島社と八龍神社の石柱がある
「開運橋」の先に社が見えてくる
末社 厳島社
末社 八龍神社
桃丘亭
表千家13世家元即中斎好みの茶室
神馬
真清田神社は、尾張の国で最初に参拝する「一の宮」
一宮市の名前もそのことから付けられ、真清田神社を中心として発達してきた
祀られている神様は、伊勢神宮に祀られている神様の孫にあたる
次から次へと参拝者がやってくる
地域に根ざしている神社だということがよく分かる
撮影 令和6年5月14日
真清田神社(ますみだじんじゃ)
尾張国一宮ということで訪れた
地名「一宮」はこの真清田神社の社格に由来する
社号標
鳥居を過ぎると太鼓橋、楼門が視界に入ってくる
太鼓橋
楼門
扁額には「真清田大神」
伝聖武天皇ご宸筆の旧額を模して、人間国宝「平櫛田中」氏が彫刻を施した
かつて「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された
境内にある「大絵馬」
一宮市の中心部に鎮座している
鳥居の向こうには商店街のアーケードが見える
楼門の門扉にある「社紋」の『竹ノ輪に九枚笹』
手水舎
吐水龍は、寛永8年(1631)初代尾張藩主徳川義直奉納によるもの(現在はレプリカ)
神水舎
大型バスによる参拝者で賑わっていた場所
明治11年10月25日、明治天皇が一宮を巡幸されご昼餐の際、この井戸水を御膳水として陛下に奉られたという
後ろに並んでいる人がいたため、写真だけは撮ってみたが
「御鏡に心を写し 姿を正しましょう」との記載があることも鏡の存在も当時は知らなかった
「水面に顔が映るまでのぞき込んで下さい」との記載があったが体が硬く腰痛もあり見ることができなかった
御霊水と井戸信仰による「無病息災」というご利益には縁が無かった
拝殿
大型バスによる参拝者が戻りかけたので拝殿に向かう
社殿は第二次世界大戦中の一宮空襲で焼失したため、現在見られるものは戦後の再建である
拝殿内部
本殿内陣中陣の扉や柱桁などは、伊勢の神宮から下賜された古材を使用している
本殿(国登録有形文化財)
祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説がある
摂社 服織神社(はとりじんじゃ)
一宮七夕まつりにミス七夕・ミス織物が参列し御衣奉献祭が斎行される
拝殿
「紅い糸むすび」
果たして「恋の願い」が叶ったのか
初めて訪れる神社で、何があるのか周辺を歩いてみる
厳島社と八龍神社の石柱がある
「開運橋」の先に社が見えてくる
末社 厳島社
末社 八龍神社
桃丘亭
表千家13世家元即中斎好みの茶室
神馬
真清田神社は、尾張の国で最初に参拝する「一の宮」
一宮市の名前もそのことから付けられ、真清田神社を中心として発達してきた
祀られている神様は、伊勢神宮に祀られている神様の孫にあたる
次から次へと参拝者がやってくる
地域に根ざしている神社だということがよく分かる
撮影 令和6年5月14日
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