美ヶ原(うつくしがはら)高原美術館
別の目的地に向かっていたのだが、道路標識で「美ヶ原高原美術館」が目に入ってきた
比較的近い距離だったこともあり立ち寄ることにした

ところが… 標高2,000mもあると思わず、富士山の登山道を間違って走った過去の悪夢が甦っていた

日本一高い所にある美術館というのは知っていたが、屋外にあることも、観賞に3時間もかかることも知らなかった
到着したのが午後3時過ぎ、隣接する道の駅に車中泊し、翌日入館することにした
眼下に雲海を見たのも、目の前を雲が通り過ぎて行くのも初体験だ

入館料は1,000円。この日最初の入館者となった



屋内で数点の展示物を観賞して屋外に出る
番号は私の歩いた順路、作者、作品名、制作年を記載している
01 本田 貴侶:「雲海に立ちて」1988年

02 カゾ・エロール(カナダ):「禅-西洋’80」1980年

03 安藤 泉:「勢塊」1984年


04 安藤 泉:「天動説」1982年

05 石川 幸二:「球体人間(プラトンに捧ぐ)」1983年

06 渡辺 尋志:「遠響」1984年

07 柴田 美千里:「しまうま」1988年

08 ニコラ・ヒックス(イギリス):「わななき」1987年

09 中野 滋:「路上の楽隊」1986年


10 新関 八紘:「見牛・得牛」1984年



11 関 正司:「Wind Dancer」1980年



12 セザール・バルダッチーニ(フランス):「親指」1986-87年

13 ストレット ギッティング・ケルジー(アメリカ):「ヴァネッサ-ヘレナ-カタリーナ-ランデッガー」1988年


14 日高 頼子:「重奏」1976-77年

15 山本 信:「喜遊曲 イタリアーノ」1990年

16 ロザリナ・セルヴァンテス(メキシコ):「踊り」1988年

17 山田 信夫:「ロバと将軍」1980年

18 藤原 吉志子:「東のウサギが西のウサギに会いにゆく」1990年

19 菊池 一雄:「家族」1972年


20 新谷 琇紀:「愛のモニュメント」1972-80年



撮影 平成30年10月15日
別の目的地に向かっていたのだが、道路標識で「美ヶ原高原美術館」が目に入ってきた
比較的近い距離だったこともあり立ち寄ることにした

ところが… 標高2,000mもあると思わず、富士山の登山道を間違って走った過去の悪夢が甦っていた

日本一高い所にある美術館というのは知っていたが、屋外にあることも、観賞に3時間もかかることも知らなかった
到着したのが午後3時過ぎ、隣接する道の駅に車中泊し、翌日入館することにした
眼下に雲海を見たのも、目の前を雲が通り過ぎて行くのも初体験だ

入館料は1,000円。この日最初の入館者となった



屋内で数点の展示物を観賞して屋外に出る
番号は私の歩いた順路、作者、作品名、制作年を記載している
01 本田 貴侶:「雲海に立ちて」1988年

02 カゾ・エロール(カナダ):「禅-西洋’80」1980年

03 安藤 泉:「勢塊」1984年


04 安藤 泉:「天動説」1982年

05 石川 幸二:「球体人間(プラトンに捧ぐ)」1983年

06 渡辺 尋志:「遠響」1984年

07 柴田 美千里:「しまうま」1988年

08 ニコラ・ヒックス(イギリス):「わななき」1987年

09 中野 滋:「路上の楽隊」1986年


10 新関 八紘:「見牛・得牛」1984年



11 関 正司:「Wind Dancer」1980年



12 セザール・バルダッチーニ(フランス):「親指」1986-87年

13 ストレット ギッティング・ケルジー(アメリカ):「ヴァネッサ-ヘレナ-カタリーナ-ランデッガー」1988年


14 日高 頼子:「重奏」1976-77年

15 山本 信:「喜遊曲 イタリアーノ」1990年

16 ロザリナ・セルヴァンテス(メキシコ):「踊り」1988年

17 山田 信夫:「ロバと将軍」1980年

18 藤原 吉志子:「東のウサギが西のウサギに会いにゆく」1990年

19 菊池 一雄:「家族」1972年


20 新谷 琇紀:「愛のモニュメント」1972-80年



撮影 平成30年10月15日
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