比叡山を最初に訪れたのは高校2年生の修学旅行。
根本中堂で正座させられ僧侶から罵倒された記憶があり、信長の焼き討ちにあったのは当たり前とその当時は思っていた。
その後、4・5回は訪れていたが根本中堂のみであった。数年前から比叡山に行きたいという気持ち強くなり、今回は20数年ぶりにその機会に恵まれた。
仰木ゲートから奥比叡ドライブウエイを利用した関係で「横川~西塔~東塔」の順で紹介していく
天台宗総本山 比叡山 延暦寺<世界遺産>
滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。
延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。
平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
横川(よかわ)
慈覚大師円仁によって開かれ、源信、親鸞、日蓮、道元など、名僧たちが修行に入った地で、横川中堂を中心に聖域の雰囲気が漂う
横川中堂
第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた。本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造り
旧堂は1942年、落雷で焼失し、現在の堂は1971年に鉄筋コンクリート造で再建された
本尊は聖観音立像(重文)
堂内の後陣には、数え切れないほどの小さな観音像が安置されている
本堂前の「護法石」
参道を歩いていくと左手に「虚子乃塔」の案内板が見える
虚子乃塔
高浜虚子は比叡山に登り「叡山詣」を書き、横川中堂の政所一念寺に泊まり「風流懺法」を書いた。
横川中堂が雷火で焼失(昭和17年)した際、虚子が多額の見舞金を送ったことから、後に虚子の塔を建立(昭和28年)
清浄な 月を見にけり 峰の寺 <虚子>
鐘楼
元三大師堂(四季講堂)
時折降っていた雨もあがり青空も見えてきた。この周辺の紅葉も美しく映える
比叡山中興の祖・元三慈恵大師の住居跡
四季ごとに学徒を集めて法華経の論議を行うことから四季講堂とも呼ばれる
忘れていたが、おみくじ発祥の地である
次回に続く
撮影 平成25年11月13日
根本中堂で正座させられ僧侶から罵倒された記憶があり、信長の焼き討ちにあったのは当たり前とその当時は思っていた。
その後、4・5回は訪れていたが根本中堂のみであった。数年前から比叡山に行きたいという気持ち強くなり、今回は20数年ぶりにその機会に恵まれた。
仰木ゲートから奥比叡ドライブウエイを利用した関係で「横川~西塔~東塔」の順で紹介していく
天台宗総本山 比叡山 延暦寺<世界遺産>
滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。
延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。
平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
横川(よかわ)
慈覚大師円仁によって開かれ、源信、親鸞、日蓮、道元など、名僧たちが修行に入った地で、横川中堂を中心に聖域の雰囲気が漂う
横川中堂
第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた。本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造り
旧堂は1942年、落雷で焼失し、現在の堂は1971年に鉄筋コンクリート造で再建された
本尊は聖観音立像(重文)
堂内の後陣には、数え切れないほどの小さな観音像が安置されている
本堂前の「護法石」
参道を歩いていくと左手に「虚子乃塔」の案内板が見える
虚子乃塔
高浜虚子は比叡山に登り「叡山詣」を書き、横川中堂の政所一念寺に泊まり「風流懺法」を書いた。
横川中堂が雷火で焼失(昭和17年)した際、虚子が多額の見舞金を送ったことから、後に虚子の塔を建立(昭和28年)
清浄な 月を見にけり 峰の寺 <虚子>
鐘楼
元三大師堂(四季講堂)
時折降っていた雨もあがり青空も見えてきた。この周辺の紅葉も美しく映える
比叡山中興の祖・元三慈恵大師の住居跡
四季ごとに学徒を集めて法華経の論議を行うことから四季講堂とも呼ばれる
忘れていたが、おみくじ発祥の地である
次回に続く
撮影 平成25年11月13日
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