今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

高瀬石仏(大分県大分市大字高瀬)

2020年02月09日 | 名所・旧跡
訪問日 令和元年6月8日

史跡 高瀬石仏
平安時代中期から後期の磨崖仏で、国の史跡に指定されている



案内文は陶器のパネルに。数少ない石窟形式の磨崖仏と記されている



石窟(高さ1.8m、幅4.4m、奥行1.5m)の中に5体の石仏が刻まれている












深沙大将立像(じんじゃだいしょう)
頭髪は赤く彩色された炎髪を逆立て額と胸に髑髏の瓔珞(ようらく)をつけ腹にも童女の顔を描く



左手に蛇を持つ非常に少なく珍しい仏像



玄奘三蔵がインドへ旅した際、砂漠で玄奘を守護したと伝えられることで有名



大威徳明王座像(だいいとくみょうおう)
6つの顔、6本の手、6本の足をつけ牛に跨がる勇ましい姿をしている



怨敵の降伏と衆生を害する怨敵一切の賊を残らず滅ぼしてしまうということで「戦勝祈願」の仏様として信仰が厚かった



日本では、大威徳明王は六面六臂六脚で、神の使いである水牛にまたがっている姿で表現されるのが一般的



胎蔵界大日如来坐像
胎蔵は総ての物を包み蔵すという意



霊山山麓の伽藍迫(がらんさこ)の凝固岩の洞窟の中心



大日如来には知的な面を示す胎蔵界と理的面を示す金剛界があり、大分県での胎蔵界は珍しいという



如意輪観音坐像
如意とは如意宝珠、輪とは法輪の略。全ての願いを叶えてくれるという仏様



如意輪観音像は、坐像または半跏像で、片膝を立てて座る六臂の像が多い。



馬頭観音
頭上に馬頭を戴き、胸前では馬の口を模した「根本馬口印」という印相を示す






洞窟内に彫られているため、保存状態が良く彩色もよく残っている









石窟の石仏以外の部分は荒々しく削られている






撮影 令和元年6月8日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛来山 霊山寺(大分県大分市岡川)

2020年02月08日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月8日
約1ヶ月、無計画の寺社巡りを中心とする旅をしていると、何故ここの寺を選んだのか、ひどいときは訪れた記憶さえ失うこともある
訪問から8ヶ月も経過したが、写真を整理しているうちに薄ぼんやりだが記憶が蘇ってくる

飛来山 霊山寺(りょうぜんじ)
大分市南部にある霊山(標高610m)の中腹(標高約360m)に位置する



「霊山寺の由来」



「仁王門右側の石仏群」  写真を見て驚いたことがある……



全ての石仏に真新しい「一輪の花」が手向けられている



仁王門



仁王像
石仏で有名な大分県だけに石造りの仁王像だ



普段、目にする筋骨隆々強面の仁王像とは違い愛嬌がある



仁王門左手にある「不動明王」



手水舎
「浄心」と刻まれた手水鉢……



参拝前であるが、艶めかしいお姿に心が揺らぐ



山門(楼門)
(建物の名称について記載した資料が境内に無かったので勝手に山門とした)



扁額には山号の「飛來山」
中国から那伽法師が来朝した際に伽藍を建立し、釈迦が説法したインドの霊鷲山(霊山)に山容が似ていたことから、あたかも霊鷲山がこの地に飛んできたようであるとして、飛来山霊山寺と名付けた



「壁面の彫刻」  2・3枚のつもりでいたがいつの間にか全部撮ってしまった






中国の故事を題材に彫られたものと思うが……






写真を載せて気付いたのだが、物語の始めは……終わりは……









謎の怪獣まで登場……












長い物語もこれにて終了



本堂
和銅元年(708年)に、山麓の稙田荘の豪族が霊夢に従ってこの山中で「十一面観音像」を発見し、草堂に安置したのが起源とされる
最澄を始め、空海、円仁等が訪れたとされ、弘仁5年(814年)の最澄による再訪を機に天台宗の寺院となった



文永5年(1268年)火災により伽藍を焼失するが、本尊は難を逃れた
天正14年(1586年)島津氏の豊後侵攻(豊薩合戦)の際に、観音堂を残して再び伽藍を失った
松平忠直によって、元和9年(1623年)に本堂、山門、鐘楼が再建された



「文殊菩薩坐像」



「仏足石」






「石塔」



これは何と呼んだらいいのか分からない



内部にある石仏



「戦争犠牲者慰霊碑」



「納骨塔」



俗物の私は花代だけでもかなりの金額だと考えてしまう






大師堂(諸天善神堂)跡






山門を後にする















遠くに大分市内が見える



撮影 令和元年6月8日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫雲山 満月寺(大分県臼杵市深田)

2020年02月07日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月8日

紫雲山 満月寺
深田の里には多くの寺があり、それらを総称して「紫雲山 満月寺」と呼んだ
臼杵磨崖仏群を彫った人物とされる蓮城法師(連城法師)が創建したと伝えられている寺



木原石仏(特別史跡)
鎌倉時代後期~室町前期に造られたと考えられている



仁王像
2基の仁王像は膝から下が地中に没しているが、像高は2.4mと推測される
鼻の一部が欠損しているが、病気回復の信仰によって削られたといわれている



吽形は右手首が欠損、その付け根には胸部と同じように10cm径の穴が開けられている



本堂
満月寺は大友宗麟時代(永禄5年)頃に焼かれ、その後復興できず、ただ小さな御堂だけが明治の初め頃まであった
その後、満月寺の復興と同時に還座した(昭和25年)



本尊は「釈迦如来像」



深田観音石仏(特別史跡)



本堂より少し高い場所に安置されている






連城法師坐像



臼杵磨崖仏群を作ったという伝説の人物の像



真名野長者夫妻石像



臼杵磨崖仏群を彫らせたという伝説の長者の像。室町時代の作



満月寺五重塔(臼杵市指定文化財)



塔の銘文から、正和4年(1315年)に阿闍梨隆尊が先師尊全及び自分の亡き父母のために造立
作者は阿闍梨日秀















鐘楼



宝篋印塔「日吉塔」(重要文化財)
13世紀後半には建立されたと思われる、日本最高(総高444cm)をほこる宝篋印塔






満月寺の守護社である「日吉社」から「日吉塔」の通称がつけられたと思われる



この塔内に経典を収め、寺の鎮護のために建てられたのではないかと考えられている



本堂付近に戻る



この寺で一番気に入っている仁王像の前に戻って来た
吽形像は近所のオッサンにヨッと声を掛けられるような親しみを感じた
頭の草も髪の毛のように馴染んでいる



阿形像の第一印象はウルトラマンに似ている
文化財に対して失礼だが愛嬌があって楽しい



撮影 令和元年6月8日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020札幌雪まつり (大通り会場)

2020年02月06日 | 北海道
訪問日 令和2年2月4日
雪不足の中、雪祭りが開催された。2月3日にまとまった雪が降り除雪を終えると空は晴れ、青空が見える
期間中の天気予報は曇りや雪が多く、絶好の機会に恵まれたと思い初日の会場に向かった

2020札幌雪まつり (大通り会場)
開催期間:2020年2月4日 - 2月11日 開催場所: 大通公園 西1丁目~西12丁目
*雪像の説明等は「公式ガイド」から引用

1丁目 「J:COMひろば」
いつものように「テレビ塔」からスタート。時間は11時36分



2丁目 「カムイ雪広場」
(中雪像)TVアニメ「ゴールデンカムイ」のAR+マッピング!
明治時代末期の北海道を舞台にした金塊をめぐるサバイバルバトルTVアニメ
AR(拡張現実)+マッピングとのコラボで、 昼と夜で異なる演出が楽しめる



3丁目「HTB PARK AIR広場」
白い恋人 PARK AIR ジャンプ台
高さ24m、全長65m、最大斜度39°の巨大ジャンプ台で日本トップレベルの選手によるスノーボードやフリースタイルスキーが繰り広げられる



4丁目「STV広場」
(大雪像)ALL IS ONE™~世界のはじまり、アイヌ物語~
大雪像とプロジェクションマッピングとして表現されているのは古くから伝わるアイヌの天地創成神話の一つである「アイヌラックㇽ伝」



雷神(カンナカムイ)と森の女神(チキサニ姫)の恋物語で始まる



STVの女子アナが放送しているようであるが声は聞こえない



制作は「 さっぽろ雪まつり大雪像制作委員会 第3雪像制作部会」



プロジェクションマッピングは、カナダ・モントリオールのデジタルアート集団『Moment Factory』が手掛ける









5丁目「道新 雪の広場」
小雪像が二つ
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」



「TOKYO2020」



(大雪像)世界を目指して駆けるサラブレッド
北海道はサラブレッドの一大産地で、全体の98%を占め、数々の名馬が北海道から輩出されている



「凱旋門賞」は、フランスのパリ・ロンシャン競馬場(1857年開設)で開催されるレース
1920年に創設され、歴史と伝統、最高レベルの賞金規模を兼ね備え、世界でも屈指の大レース



この世界最高峰レースを制するのが馬産地・北海道の悲願となっている



制作は「さっぽろ雪まつり大雪像制作委員会 第1雪像制作部会」



6丁目「市民の広場」
「北海道食の広場」(略)

7丁目「HBCポーランド広場」
(中雪像)『僕のヒーローアカデミア』オールマイト&緑谷出久









(中雪像)『Re:ゼロから始める異世界生活 氷結の絆』×『SNOW MIKU 2020』エミリア&パック&雪ミク






(大雪像)ワジェンキ公園の水上宮殿とショパン像



2019年に日本との国交100周年を迎えたポーランド共和国



首都ワルシャワのワジェンキ公園に建つ水上宮殿



制作は「陸上自衛隊北部方面通信群」



ピアノの詩人、フレデリック・ショパンの像



8丁目「雪のHTB広場」
中雪像だがこのキャラクターが何かはわからず






「猫がちゅ~るをなめている」



雪像よりも女子アナ



HTBのキャラクターが音楽に合わせて踊ったりする



主役を忘れていた



(大雪像)ウポポイ(民族共生象徴空間)2020.4.24OPEN
2020年4月24日、北海道白老町ポロト湖畔にウポポイ(民族共生象徴空間)が誕生する
「ウポポイ」とはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味している



先住民族アイヌの歴史と文化を主題とした日本初・日本最北の国立博物館



開館は嬉しいが、アイヌ利権が絡んだり政治的背景の複雑化も噂されているだけに……



やっぱり女子アナかな



制作は「陸上自衛隊第18普通科連隊」



9丁目「市民の広場」
「市民雪像」をいくつか紹介しよう















地元札幌の高校出身の「リーチ・マイケル」






「笑わない男」も時の人になっている



(中雪像)「ヒカキン& セイキン」
YouTuberのヒカキン&セイキンが登場!



10丁目「UHBファミリーランド」
(中雪像)「巨大カップヌードル&八村塁の雪像トンネルwithミニSL」
ミニSLで、カップヌードルや八村塁選手の雪像トンネルをくぐりながら走る



これは面白い。
昼休み中で順番を待っているのか、外国人の子供と父親



(大雪像)「サザエさん一家とウィンタースポーツ in SAPPORO」
「サザエさん」は1969年に放送をスタートし、国民的アニメとして幅広い年齢層の皆様に愛され続け、2019年に放送開始 50周年という記念の年を迎えた



この大雪像は、2030年冬季オリ・パラ招致を目指している札幌市で開催される、「さっぽろスノースポーツフェスタ2020」のPRのために制作された



制作は「さっぽろ雪まつり大雪像制作委員会 第2雪像制作部会」



11丁目「国際広場」
「国際雪像コンクール」に世界各地の国と地域から12チームが参加し雪像制作を競う



現在、制作途中であるが日本人には考えられない発想の作品も多く楽しみの一つになっている。






雪像に置かれている模型のようなものを作ろうとしているようだ



雪ミク(初音ミク)Snow Parade Ver.
「雪ミク」は、北海道を応援するキャラクター



2010年の『さっぽろ雪まつり』で "真っ白い「初音ミク」の雪像"を作ったことをきっかけに誕生
それ以来「雪ミク」が主役のフェスティバル『SNOW MIKU』が毎年北海道で開催されている



グッズ販売に長蛇の列。若者に人気なようだ









12丁目「市民の広場」
両サイドに「市民雪像」が並んでいる
会場は一方通行になっている。12丁目のブロンズ像の後ろ姿を見てUターンする



撮影 令和2年2月4日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臼杵磨崖仏 その3(大分県臼杵市深田)

2020年02月05日 | 名所・旧跡
訪問日 令和元年6月8日

臼杵磨崖仏(国宝・特別史跡)
磨崖仏は4か所に分かれて所在し、それぞれ古園石仏群、山王山石仏群、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群と称される

古園石仏群
地元に伝わる「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」では、磨崖仏は亡くなった娘の菩提を弔うために長者が彫らせたとされている
磨崖仏は山岳仏教の衰退と共に忘れ去られ、1000年の風雨に曝され続けることとなった
劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落した
中でも、最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は、1993年(平成5年)に保存修復が完了するまでの間、仏体下の台座に置かれたままであった



古園石仏群は全13躯で、金剛界大日如来坐像を中心に、その左右にそれぞれ如来像2躯、菩薩像2躯、明王像1躯、天部像1躯を配する









「多聞天立像」



右側の石仏



「伝降三世明王坐像」



「観音菩薩坐像」



「伝普賢菩薩坐像」



「伝不空成就如来坐像」



「伝無量寿如来坐像」



大日如来坐像



左側の石仏



「伝阿しゅく如来」



「伝宝生如来坐像」



「伝文殊菩薩坐像」



「勢至菩薩坐像」



「不動明王坐像」



「伝増長天立像」



望遠レンズに替えアップで






古園石仏群に置かれていた昔の写真
大日如来像の仏頭が、仏体下の台座に置かれたままになっている



仏頭修復にあたっては、元の姿に戻すべきという意見と、臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きた



元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため、最終的に元の位置へ復元されることとなった















臼杵磨崖仏全景。建物の中に石仏が安置されている



撮影 令和元年6月8日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臼杵磨崖仏 その2(大分県臼杵市深田)

2020年02月04日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月8日

臼杵磨崖仏(国宝・特別史跡)
磨崖仏は4か所に分かれて所在し、それぞれ古園石仏群、山王山石仏群、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群と称される。

ホキ石仏第一群

第四龕



第四龕は左脚を踏み下げて坐す「地蔵菩薩像」を中心に、その左右に「十王像」を配す



「(右側)十王立像」



「地蔵菩薩半跏像」





「(左側)十王立像」









第三龕



第三龕は「金剛界大日如来坐像」を中心に、その左右に1躯ずつの「如来坐像」、さらに左右に1躯ずつの「菩薩立像」を配す



「伝釈迦如来坐像」



「大日如来坐像」



「阿弥陀如来坐像」



「伝勢至菩薩立像」



第二龕



第二龕は「如来坐像」3躯を配す。第一・二龕間に「愛染明王坐像」がある



「伝釈迦如来坐像」



「阿弥陀如来坐像」



「薬師如来坐像」



第一龕



第一龕は「如来坐像」3躯を配し、第一龕はさらに「脇侍菩薩立像」2躯を配す
右端は「愛染明王坐像」



「観音菩薩立像」



「阿弥陀如来坐像」



「伝釈迦如来坐像」



「伝薬師如来坐像」



「菩薩立像」は左端の岩の塊と思われる。



第一龕と第二龕



石造五輪塔(重要文化財・特別史跡)
少し離れた所にある五輪塔を目指す
山道を歩き、呼吸が乱れピンボケになってしまった






大小2基の石塔がある



大きい方は嘉応2年(1170年)の銘があり、日本で最も古い五輪塔の1つと言われている



小さい方は承安2年(1172年)の銘がある
それぞれ「千部如法経願主遍照金剛」の銘が刻まれている
如法経(法華経)を収めるために造立されたことがうかがえる



いずれもそれぞれ1つの石を削って五輪塔全体を刻み出した珍しい様式である



「日吉神社鳥居」 急な上り坂を見ると膝のあたりが急に痛くなってきたので止めることにした



山王山石仏






丈六の「如来坐像」を中心に、その左右に小さめの「如来坐像」1躯ずつを配する



「伝薬師如来坐像」



「伝釈迦如来坐像」



「阿弥陀如来坐像」









金剛力士立像(国宝)



平成29年3月に追加指定された。
いずれも古園石仏と同時期に、参道の山門の二王として彫刻されたものではないかと考えられている



「金剛力士立像」 



こちらの力士像は判別できない状態だ






撮影 令和元年6月8日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臼杵磨崖仏 その1(大分県臼杵市深田)

2020年02月03日 | 名所・旧跡
訪問日 令和元年6月8日
確か、6年前キャンピングカーを購入した最初の旅で訪れて以来の再訪となる
最近記憶が不確かになってきているが、駐車場や売店も変わったような感じだ

臼杵磨崖仏(国宝・特別史跡)
磨崖仏は4か所に分かれて所在し、それぞれ古園石仏群、山王山石仏群、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群と称される
ホキとは、「がけ」という意味の地名である



一般には臼杵石仏の名で知られている
1952年(昭和27年)に国の特別史跡に、1995年(平成7年)には、磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定された



有料施設なので周辺地図や案内板の内容を記載した資料など配付して貰いたい



清浄香



寺社でいうと手水舎にあたるものか






「特別史跡臼杵石佛」と刻まれた石柱
新しくなった建物の中に石仏が見えている



「観音の水」



ホキ石仏第二群
第一龕(がん)と第二龕からなる。

第二龕 九品の弥陀
第二龕は九体阿弥陀如来像を中心とする



右の入口側から



記載はないが「不動明王」と思われる



右側から、「観音菩薩立像」 右側 4躯の「阿弥陀如来立像」のうち3躯



正面から。大きすぎてカメラの画角に収まらない



中央に「阿弥陀如来坐像」 (左右に4躯ずつの阿弥陀如来立像を配す)



「阿弥陀如来坐像」



左側 4躯の「阿弥陀如来立像」のうち3躯



一番左にあるはずの「菩薩像」は原形をとどめていない



第一龕



阿弥陀如来坐像を中心に、左右に脇侍菩薩立像を配す



「阿弥陀三尊像」  左から「勢至菩薩」「阿弥陀如来」「観音菩薩」



「観音菩薩立像」



「阿弥陀如来座像」



「勢至菩薩立像」



阿弥陀如来の首の辺りが気になっていた



中尊像については弥勒仏像とする説もある



礎石






次はどちらの矢印に向かって進むのか



撮影 令和元年6月8日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北川陵墓参考地(宮崎県延岡市北川町長井)

2020年02月01日 | 名所・旧跡
訪問日 令和元年6月7日

北川陵墓参考地
陵墓参考地とは、古記録・地域伝承・墳丘の形態や規模・出土品等により、宮内庁によって皇族の墳墓とされたが、被葬者を特定する資料に欠ける陵墓をいう
西郷隆盛宿陣跡資料館の裏手にあるのが、北川陵墓参考地である



北川陵墓参考地<可愛山陵(えのさんりょう)>由緒
天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の陵墓として宮内庁から治定されている
ニニギの陵については、「日本書紀」に「筑紫日向可愛山之山陵」との記載がある






和田越決戦に敗れた西郷は、この地が「天孫瓊瓊杵尊の陵墓」だということを知り、この場所に宿陣したと考えられている



西郷は、政府軍が天皇家の先祖の墓に向けて砲撃できないであろうと考えたのである
事実、政府軍は3日2晩にわたって攻撃をすることはなかった



瓊瓊杵尊像



鳥居をくぐり先に進む。御陵と神社が一体となっているのは全国でも珍しい形態だという



朝から雨が降っていなければ「瓊瓊杵尊終焉の地」に来ることはなかった
これも何かの縁だと思い、道の駅で「天孫降臨」という銘柄の焼酎をお土産に購入した






歴史のある九州の地にはロマンがある。陵墓の前に立ちそう思った






撮影 令和元年6月7日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする