訪問日 令和元年6月12日
「令和元年 春の旅」最後の訪問地となる。海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」の向かいにある
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
正式名称は「呉市海事歴史科学館」だが、愛称の「大和ミュージアム」の方が広く定着している
戦艦「陸奥」のスクリュープロペラ
戦艦「陸奥」の41インチ主砲身
「陸奥」建造当時は世界最大の艦載砲
第27回企画展 海底に眠る軍艦 「大和」と「武蔵」
太平洋戦争の経過を概観し、潜水調査により撮影された動画や静止画によって、海底に遺された日本海軍艦艇の現状を紹介している
「太平洋戦争のはじまり」
「戦局の展開 ミッドウェー海戦」
「戦局の展開 マリアナ沖海戦」
「戦局の展開 レイテ沖海戦」
「レイテ沖海戦の武蔵」
「坊ノ岬沖海戦の大和」
戦艦「大和」引揚げ品
平成28年(2016)年には呉市が戦艦「大和」潜水調査を実施、その前年には民間調査によって大和型戦艦「武蔵」を発見
同28(2016)年には「大和」とともに沖縄戦に向かった第二艦隊駆逐艦「磯風」が発見された
「ハンドル」と「バルブ」
「空中線付き碍子(がいし)」
「計器盤」
「測距儀」
「46cm 主砲火薬缶と蓋」
常設展
戦艦「大和」
全長26.3mある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現している
映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影の際、尾道市にあった戦艦大和実寸大オープンロケセットの不足部分を補うため、CGの合成用素材として使用された
人物と比較すると、その大きさが把握できると思う
スクリュープロペラ
「宇宙戦艦ヤマト」を意識したアングル
戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラー
「探照灯と太陽炉」
戦艦「金剛」
「二式魚雷」
「九三式魚雷」
射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた
「零式艦上戦闘機六二型」
開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされた
運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠から始まった
「特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)」
飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦
全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名
大和は、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備えた日本の最高の技術が駆使された軍艦であった
太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった(司令長官山本五十六大将)
ミッドウェー作戦が初出撃。1944年(昭和19年)6月、マリアナ沖海戦に参加。同年10月中旬、アメリカ軍の護衛空母部隊に対し46cm主砲砲撃を実施した(レイテ沖海戦)
1945年(昭和20年)4月7日、第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された
撮影 令和元年6月12日
「令和元年 春の旅」最後の訪問地となる。海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」の向かいにある
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
正式名称は「呉市海事歴史科学館」だが、愛称の「大和ミュージアム」の方が広く定着している
戦艦「陸奥」のスクリュープロペラ
戦艦「陸奥」の41インチ主砲身
「陸奥」建造当時は世界最大の艦載砲
第27回企画展 海底に眠る軍艦 「大和」と「武蔵」
太平洋戦争の経過を概観し、潜水調査により撮影された動画や静止画によって、海底に遺された日本海軍艦艇の現状を紹介している
「太平洋戦争のはじまり」
「戦局の展開 ミッドウェー海戦」
「戦局の展開 マリアナ沖海戦」
「戦局の展開 レイテ沖海戦」
「レイテ沖海戦の武蔵」
「坊ノ岬沖海戦の大和」
戦艦「大和」引揚げ品
平成28年(2016)年には呉市が戦艦「大和」潜水調査を実施、その前年には民間調査によって大和型戦艦「武蔵」を発見
同28(2016)年には「大和」とともに沖縄戦に向かった第二艦隊駆逐艦「磯風」が発見された
「ハンドル」と「バルブ」
「空中線付き碍子(がいし)」
「計器盤」
「測距儀」
「46cm 主砲火薬缶と蓋」
常設展
戦艦「大和」
全長26.3mある10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに、可能な限り詳細に再現している
映画『男たちの大和/YAMATO』の撮影の際、尾道市にあった戦艦大和実寸大オープンロケセットの不足部分を補うため、CGの合成用素材として使用された
人物と比較すると、その大きさが把握できると思う
スクリュープロペラ
「宇宙戦艦ヤマト」を意識したアングル
戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラー
「探照灯と太陽炉」
戦艦「金剛」
「二式魚雷」
「九三式魚雷」
射程距離の不足、航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた
「零式艦上戦闘機六二型」
開発には、広海軍工廠で研究・開発された技術が活かされた
運動性重視から主翼を片方だけで支える強度維持の技術、桁と外板で主翼の強度を保持する技術などは、日本国内では広海軍工廠から始まった
「特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)」
飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦
全長:17.28メートル、水中速力9.8ノット、乗員2名
大和は、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備えた日本の最高の技術が駆使された軍艦であった
太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった(司令長官山本五十六大将)
ミッドウェー作戦が初出撃。1944年(昭和19年)6月、マリアナ沖海戦に参加。同年10月中旬、アメリカ軍の護衛空母部隊に対し46cm主砲砲撃を実施した(レイテ沖海戦)
1945年(昭和20年)4月7日、第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された
撮影 令和元年6月12日