今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

太陽山 安国寺(大分県国東市国東町安国寺)

2020年02月10日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月9日
前夜は道の駅「ゆふいん」にて車中泊。硫黄臭が気になっていたが、そのことさえ忘れてしまうほど爆睡
大分市に住む高校時代の友人から国東半島は海岸線の風景が美しいと聞いていたので向かうことにした

太陽山 安国寺
美しい風景の事など頭からすっかり抜け向かったのは重文の像があるという寺
山門前にはマイクロバスと十数名の人がいた。参拝者ではなく集合場所にしていたようだ

山門
天明4年(1784)に建立。仁王像がいるだけで印象に残る山門になっている



扁額には山号の「太陽山」



仁王像
大分県に入ってから石造仁王像をよく目にする。しかも愛嬌があって見ていて楽しい
躍動感があり、今にも走り出しそうな感じがする






この重文の像を拝観したいと思いここへ来たが、願いは叶うか






境内には風雨に耐え年月を重ねた多くの石仏があるが、このように可愛いのも置かれている



「地蔵尊」









手水舎



鐘楼



本堂
足利尊氏が後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために日本全国68か所に建てた安国寺のひとつ
応永元年(1394年)にその最後(68番目)の寺として建立された



扁額には寺号の「安國禅寺」 臨済宗妙心寺派の寺院
天正年間(1573年-1591年)の島津氏の豊後侵攻の際に全伽藍を焼失。以後、寺院は衰退したが、明治時代に再建



廃寺となった京都山科の地蔵寺から、足利尊氏坐像や地蔵菩薩立像(延命地蔵)が移された



木造足利尊氏坐像(重要文化財)
堂内に入ると写真で見た像の姿が目に入ってきた。重文と書かれた札も何も無く、本物かどうか不安に……



足利尊氏の存命中に製作された最古とされる尊氏像で、束帯姿、等身大の寄木造



元は京都の東岩蔵寺に尊氏の分骨とともに安置されていた
応仁の乱で同寺が焼失すると、尊氏の信仰が篤かった京都山科の地蔵寺に移された



廃仏毀釈により地蔵寺が明治11年(1878年)廃寺となったのに伴い、近くの華山寺に移され、明治40年(1897年)に安国寺に移管された












欄間の彫刻









「大石良雄ゆかりの女 おかるの像」
意外な人物に会ったような気がした



「おかる」の名は知っていたが、何故ここに……



昔の女性の責任感の凄さに触れたような感じがした
また、それに応え像にする日本人の心に感動する



本堂から鐘楼、山門を見る



境内を散策する









地蔵堂
寺伝では恵心僧都作「木造地蔵菩薩立像(大分県指定有形文化財)」が安置されているか分からないが、像には歴史がある
尊氏の信仰が篤く、この像を本尊として京都山科に地蔵寺を創建したとされる



大石良雄(大石内蔵助)が浅野家断絶後に山科に隠棲した際に祈願をしたと言われ、足元の蓮華座には、四十七士の戒名が書かれた巻物が収められている
足利尊氏坐像と同様に廃仏毀釈により地蔵寺が廃寺となったのに伴い、近くの華山寺に移され、明治40年(1897年)に安国寺に移管された






「小菊地蔵」



「重陽地蔵」



「国東塔」



境内はよく整備されて美しい





















「運慶作 仁王像」
天正年間(1573年-1591年)の島津氏の豊後侵攻の際に全伽藍を焼失した
この像は安国寺創建の時、京都「東福寺」より移管されたもの



駐車場に戻ることにする



石仏からも合掌され……



仁王像からも「またね」と言われたような感じがした






撮影 令和元年6月9日
コメント
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