得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・正に巨木、高瀬のケヤキ。

2009-08-24 18:04:11 | Weblog
蔵のまち、喜多方から、

本日の気候は爽やかな一日でした。お盆が過ぎて何日も経たないのに暑さを感じません。じつに爽やかな一日です。

本日のブログは昨日の直江兼続の続きです。

お天気も良いので「神指城」・コウザシジョウ跡へ行ってきました。会津若松市神指町大字高瀬です。近くに温泉があるので近くまで行ってるのですが、初めてです。高瀬の国道沿いに公民館がありました。チョット寄って尋ねました。場所をしるした印刷物が準備してあります。丁寧に教えていただきました。すぐそばでした。あとは大木が目当てです。
本日の画像が昨日記した跡地に在る高瀬の大木です。国指定天然記念物・昭和16年の指定です。ご覧の様に正に巨木です。根元の周囲12,5M・幹周り10.5M・樹高25Mです。慶長5年(1600)に上杉景勝が直江兼続に築城を命じた時に既にこのケヤキは在ったそうです。昨日樹齢600年と記しましたが、本日の新しい資料には推定900年以上と記してあります。・・大枝の折損が相次ぎ、幹部に亀裂が生じてきたが樹姿はなお堂々としてすぐれ、ケヤキの巨樹として有数のものである、と説明板に記してあります。このケヤキの場所が神指城の東北隅の土塁上です。小高い土塁から会津若松市街が良く見渡せます。

本丸跡を二之丸跡が囲むのですが、このケヤキは二之丸の東北部の角です。周囲をぐるりと廻ると3KM近くもありそうです。ケヤキのある場所から本丸跡を周遊する遊歩道が整備されています。本丸が300M四方ですから、1,2キロ更に南へ進み幕末に新撰組殉難の地が在ります。ここは幕末の会津戦争の地でもあったわけです。
どちらにしても距離があるので、本日は遊歩道は止めにしました。感心なことは、案内板が数多く在ることです。
外堀の更に外側でも内側でも数箇所で遺跡の発掘調査をしている最中でした。かなりの広範囲で調査をしているようです。本丸跡地の遊歩道より内側は立ち入りできません。

大川(阿賀川)の堤防と接しているので内堀の水を引き、西口門濠から高瀬舟で大川を喜多方の塩川まで下り、さらに阿賀野川を日本海に出る。諸国との貿易を考えていたと本日の資料に記して在ります。もしもですが、完成していたら確かに東北の拠点としての120万石の経済都市が誕生していたかもしれません。

しかし、現実は幻の神指城です。

寛永16年に(1643)に石垣は総て鶴ヶ城に運び去られ北出丸・西出丸などの拡張に使われたそうです。神指城は廃城となりました。