蔵のまち、喜多方から、
土曜日の本日は晴天に恵まれ、ポカポカ陽気です、街なかは久しぶりで大勢の観光客で賑わいました。午後からチョットだけ街なかの、ふれあい通りのお店まで、「本当に今日は大勢歩いてるわね、でもうちには誰も寄ってくれないよ」と薬屋さんです。
蔵のまちの観光案内所にも、そして土、日、だけの開所になったレトロミュウジアムにも次々と観光客が訪れます。蔵のまちも久しぶりで活気が有ったようです。
さて、第一番、大木とは何でしょう?・・・人の名前ではありません、
画像を見れば判ります、会津地方の年配の方々は皆さん知っていますが、会津三十三観音巡りの第一番の札所です。喜多方市塩川町大木、真言宗紅海山・常安寺の観音堂です。
ご本尊は十一面観世音菩薩。
昨日、阿賀川・会青橋際の菜の花を見た帰りに巡ってきました。塩川町ですが、旧市内に近い方です。
全国に三十三観音巡りがあります。会津には御蔵入り三十三観音巡りもあり主に南会津地方です。
会津三十三観音めぐりは今でも会津人の心のより所として護り引継がれています。全国の三十三観音巡りについても起源については諸説があるとおもいますが、昔から有った伊勢参りや熊野参りなどに出向く人が多く、多額の費用が藩外に流出するのを防止する方法としてこの霊場を作ったと言う説もあります。会津三十三観音巡りですが、御城下の会津若松からはじまっていません。なぜが塩川町からはじまります、
昔徒歩で巡礼をしていましたから、一般には四泊五日の行程だったそうです。塩川を出立して北回りに、大木を一番にして熱塩に泊まります。そして4月8日に紹介した(八番札所)竹屋の観音様を巡って塩川へ戻ります、三日目から南回りに巡り、五日目に会津坂下町の御池・西光寺で結願となります。
現在は車で一日は無理でしょうが、二日ぐらいで巡るそうです。農繁期は避けて秋から春先までに巡るのが一般的です。今では其々の近い所からはじめて巡るようです。
一番・大木 万代(よろずよ)の願い 大木の観世音 あの世とともに 救け給えや。
御詠歌を詠います、 徳一大師の開基で由緒あるお寺です。
土曜日の本日は晴天に恵まれ、ポカポカ陽気です、街なかは久しぶりで大勢の観光客で賑わいました。午後からチョットだけ街なかの、ふれあい通りのお店まで、「本当に今日は大勢歩いてるわね、でもうちには誰も寄ってくれないよ」と薬屋さんです。
蔵のまちの観光案内所にも、そして土、日、だけの開所になったレトロミュウジアムにも次々と観光客が訪れます。蔵のまちも久しぶりで活気が有ったようです。
さて、第一番、大木とは何でしょう?・・・人の名前ではありません、
画像を見れば判ります、会津地方の年配の方々は皆さん知っていますが、会津三十三観音巡りの第一番の札所です。喜多方市塩川町大木、真言宗紅海山・常安寺の観音堂です。
ご本尊は十一面観世音菩薩。
昨日、阿賀川・会青橋際の菜の花を見た帰りに巡ってきました。塩川町ですが、旧市内に近い方です。
全国に三十三観音巡りがあります。会津には御蔵入り三十三観音巡りもあり主に南会津地方です。
会津三十三観音めぐりは今でも会津人の心のより所として護り引継がれています。全国の三十三観音巡りについても起源については諸説があるとおもいますが、昔から有った伊勢参りや熊野参りなどに出向く人が多く、多額の費用が藩外に流出するのを防止する方法としてこの霊場を作ったと言う説もあります。会津三十三観音巡りですが、御城下の会津若松からはじまっていません。なぜが塩川町からはじまります、
昔徒歩で巡礼をしていましたから、一般には四泊五日の行程だったそうです。塩川を出立して北回りに、大木を一番にして熱塩に泊まります。そして4月8日に紹介した(八番札所)竹屋の観音様を巡って塩川へ戻ります、三日目から南回りに巡り、五日目に会津坂下町の御池・西光寺で結願となります。
現在は車で一日は無理でしょうが、二日ぐらいで巡るそうです。農繁期は避けて秋から春先までに巡るのが一般的です。今では其々の近い所からはじめて巡るようです。
一番・大木 万代(よろずよ)の願い 大木の観世音 あの世とともに 救け給えや。
御詠歌を詠います、 徳一大師の開基で由緒あるお寺です。