日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その50)

2007-03-25 06:26:17 | Weblog
○専門2年、6月10日(日)晴。(昭和48年、西暦1973年、今から約34年前の日記です。)
 長井恵子さんが田原恵子さんになった感じだった。彼女は昼3時ちょっと過ぎに来た。上は、水色で、下は、白色だった。彼女自身が作ったお菓子を持って来てくれた。彼女は、次は、来月の16日に又来ると約束してくれた。理性を持って彼女と共に成長して行かなければいけない。何か、信じられない感じだ。

*次兄から、次の様にアドバイスをもらっていた、「恋愛病にかかると、判断力がなくなる。そんな時は、時間と距離をおくこと。決して焦ってはいけない。一生のことだから。数ヶ月、時間と距離を置いても、それでも、自分の気持ちが変わらなければ本物の可能性がある。完全に突き放してしまうと、逃げてしまって元に戻れないから、必ず、連絡出来る様にしていて、逆に、相手が異常に追いかけて来ても、直ぐに100%応じる様なことをせず、時間と距離を置いて冷静に判断せよ!」と。専門過程で一番忙しい時だったので、1ヶ月に1回しか会わないことにした。しかし、毎日毎晩、夜の8時過ぎに電話を3分間必ずすることを約束して、それを1日も例外なく私は守った(連絡できそうにない日は、その旨を前もって必ず伝えていた)。

○専門2年、6月19日(火)晴。
 生理2の実習は、きつい。夕方6時に帰る人は一人もいなく、20時過ぎまで、皆、頑張っていた。0時過ぎまで頑張っている人もいた(教養部の時の物理学実験で、22時過ぎまでしていた人がいたが、それ以上であった)。多くの人が橋村病に罹患している。

 先輩の言い伝えでは、生理2に合格すれば、基礎医学は終わった様なものだとのこと。兎に角、橋村教授は、スゴイ学者肌の人で、自分の生理学を学ぶ100名の新しい学年の名前を毎年全部覚えていて、授業中抜け出したり、眠ったりした人は、バッチリ覚えている(生理2の場合は、殆どの人が皆勤で、授業中の私語は全くなく、皆真剣に聴いていた)。どんなに出来る学生でも、教授に不真面目と思われたら不合格になり、又、ある学生は、教授が家を移るというので、汗水たらして手伝ったが、見事に試験には落ちたそうで、出来ない人は何年経っても100%落とす人であった。
 この一科目の為に留年した先輩は多く、ある留年した学生は、生理学の本を枕にして毎日寝ていたという。以前は試験はなく、レポ一トと口頭試問だけであったが、このレポ一トが膨大で、殆どの人が、このレポ一トの為に何日も徹夜していた。つまり、本の丸写しは、即不合格で、生理学の基礎的なことを充分に熟知した上で、自分の頭で考え自分なりに考察を書かなければいけないので、その学生の真の実力が問われる訳である。
 出欠のチェックは極めて厳しく、授業中の始めと終わりに箱が回ってきて、決められた小さな紙に自分の名前とどこに座っているかも書いて入れ、それを生理2のおばちゃんが各人ごとに全部きれいに張って整理していた。
 この教授に対する学生の評価はさまざまで、学生をモルモットみたいに思っていると言う人や、鬼の橋村と言う人や、生理2ばかりが基礎医学じゃないと言う人もいたが、多くの人は、カントの様な正確さ(何月何日に何をするという計画を前もって先まで学生に知らせ、講義はベルが鳴って1分以内に始まり、ベルの鳴る1分前後に終わり、学生の質問には極めて快く、正確にていねいに答えていた)と学者肌に驚いていた。


(毎日、今も、小児の救急を続けている。それも、佐伯では、20時~21時まで、約20年間、毎日、した。今も、水曜以外は、19時半~20時まで受け付けて、毎日、土日祝は、殆ど自分が診ている。自分でも、この習慣は異常だと思っている。しかも、それをノートに今も(氏名、年齢、男女別、主訴、病名、現住所、重傷度を)記載し続けている。この調子だと、医者を辞めるまで、記録を執りそうな気がする(少なくとも、60歳までは、こんな感じで続けるつもりである)。
 看護学校での講義では、ベルが鳴って1分以内に始め、ベルが鳴る前後1分以内に終わり、前もって何月何日何をするのかの計画表をバチッと渡している。
 30年後に振り返ってみると、この2つの事柄は、恐らく、この当時に、その基礎が培われていたのかも知れない。)

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為になるかも知れない話(その49)

2007-03-24 07:31:35 | Weblog
○専門2年、5月2日(水)晴。
 図書館で真剣に勉強した。しかし、あまり進んでない。長井恵子嬢のことを考えてしまう。考えないようにするのは、無理だ。彼女が僕の部屋に来たということは、それなりにその気があるということの証拠だ。今度会ったら、どんな話をすればいいのか。
○専門2年、5月4日(金)雨。
 佐藤八郎第2内科教授から課されたレポ一ト(何故医学部に入ったか)を書き上げて、附属病院に持って行った。患者さんがいて、何となく物々しい感じがした。教授に会うのが怖い感じに思っていたが、いなかったので預けた。細菌学のレポ一トも出した。後、衛生学と公衆衛生のレポ一トがある。

内科教授に出したレポ一トの内容の一部(・・・の部分は、省略)
・・・大学で一番要求されるものは、創造力だと思う。今まで知られていないことを見つけ出すというこの創造力こそ、大学に残る者にとっては、なくてはならないもの。暗記力はあっても、この不可欠の創造力は、悲しいかな、僕にはない。与えられた事実を確実に覚え、それをよく分かる様に生徒に教えるだけでは、大学の先生としては、不適格なのだ。・・・教師たるものは、まず、実力がなければ話にならない。生徒以上に勉強し、「あの先生は実力がある」と誰からも言われる先生にならなければならない。心と心が真に触れ合う人間味のある先生でなければいけない。講義に無駄があってはならない。しかし、楽しい講義、魅力的な講義でなければならない。・・・人間味のある仕事がしたい、心と心が直に触れ合うことの出来る仕事がしたい、教師か医師なら、それが出来る。・・・今、自分は次に様に思っている。医学より教育が大切。医は病を治すだけだが、教育は人間を創る。やはり、自分の最後に進む道は、医学教育しかない様にある。

*将来の進む道として、大学に残って、大学の先生になれたらそうしようと思っていた。教育、診療、研究の順に関心があり、自分の最もしたいことは、医学教育であった。

○専門2年、5月5日(土)晴。
 長井恵子嬢のことを考えている。長井さんは、今、何をしているのかなあ。メシを今日は、一食しか摂らなかった。

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為になるかも知れない本(その48)

2007-03-23 07:55:42 | Weblog
○専門2年、4月9日(月)曇。
 昨日は、嬉しかった。真面目な立派な女性だった。興奮して、夜よく眠れなかった。1年間付き合って、絶対間違いないことを確かめて、結婚を決めたらいい。振られない様に一生懸命勉強することだ。だけどあんないい女性が、何で僕の様な所に来てくれたのだろうか?そこだけが欠点だ。僕には出来過ぎた人だ。○○よりも○○よりも○○よりも○○よりもいい。でも、俺って話すことが何でこんなに下手なのかなあ。どもりどもりたいしたことでないことしか話せなかった。今日から授業が始まった。頑張るぞ!
○専門2年、4月10日(火)雨。
 長井恵子嬢のことを考えていた。何故、元気のない顔をしているのだろうか?お茶の水を受けて受験に失敗し、栄養士になる為に地元の県短に入って、栄養士にならずに、○○の養護学校の寮母をしていた。N先生(紹介してくれた管理栄養士の人)の話だと、成績が一番優秀だったと言っていたのに。
 学校で、フラフラしていた。お腹の調子が良くないのだ。月曜も火曜も、夕食を全く摂っていない。規則正しい生活をすることが大切だ。不思議に○○さんを見ても、何も感じなくなっている。今の自分には、長井恵子さんしかないのかなあ。
○専門2年、4月11日(水)曇。
 頭がボ一としていて、目が痛かった。体がさえない。それでも、夜の8時まで図書館で勉強した。○○が話し掛けて来た。でも、別に○○がいいとは思わなくなっている。僕は、長井恵子嬢を真から愛しているのかなあ。○○も○○も、今の僕には、何でもない。お風呂に行く時に、電話を掛けたら、元気そうな声だった。あの声なら、脈は、充分かな。
○専門2年、4月12日(木)晴。
 虚も、図書館で8時まで勉強した。途中、眠くなって、少し眠ってしまっていた。学期の初めだからこんなに疲れるのかなあ。春休みに頑張ったことは、今考えると、非常に良かったと思う。
○専門2年、4月16日(月)雨。
 午後の実習で、初めて注射をお互いにした。Tにして、一度失敗し、二回目はうまく行った。手が震えた。
○専門2年、4月18日(水)晴。
 長井嬢に夜の8時15分に電話したら、今日は当直とのこと(4日に1日の割合で、当直していた)。
○専門2年、4月21日(土)雨。
 長井嬢から手紙が来た。別れの手紙だった。ショッだった。どうしてこくなったのかはっきりしない。あまり電話を掛け過ぎたから・・・!?直ぐに手紙を書いた。返事は来そうにないが、もう、他の女性のことは考えられない。

 

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為になるかも知れない本(その47)

2007-03-22 12:54:34 | Weblog
○専門2年、4月4日(水)晴。
 細菌学のレポ一トが出来た。やはり気になることは早めに終わらせとくべきだ。バレ一部の女の娘が図々しくも僕の部屋に来た。又来るとも言う。もう一人、熊大の薬学部を卒業した人も来た。この人は、感じいいかなとも思った。
○専門2年、4月7日(土)晴。
 ずっと思っていた長井恵子嬢の家まで行った(今までに一回しか会っていないし、話もその時に少ししただけだった)。山を越えて自転車で行った(紫原)。勇気を出してチャイムを鳴らしたが、不在だった。家族の名前が全て分かった(その前に、自分なりに情報を集めていた。父親が中学校の先生と聞いていたので、小学校に行って教員名簿を見せてもらって調べた。そしたら、中学の国語の教頭先生だと言うことが分かった。又、鶴丸出身と言うことが分かっていたので、医学部の鶴丸出身の人に聞いたら、高校の時は、大人しくてあまり目立たない存在だったとのことだった。よくカレ一ライスを自分が食べに行く○○○の娘が、よく知っていて、ベタ誉めして、父親の仕事の関係で、紫原の家にいるのは、本人と妹だけで、近所では、とても仲がいいことで有名と言っていた)。汗をかいた。
○専門2年、4月8日(日)曇。
 長井恵子さんに電話して、「遊びに来ませんか。」と勇気を持って言ったら、「行きます。」と返事してくれた。嬉しかった。信じられなかった。彼女がもうすぐ来る。何と言ったらいいのだろうか。僕は田舎坊。少なくとも、ジェンツルマではない。

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為になるかも知れない本(その46)

2007-03-22 12:49:19 | Weblog
○専門1年、2月16日(金)晴。
 ちょっと熱があると思っていたが、夕方測ってみるとなかった。でも、ちょっと体の調子がおかしい。病原体(ウイルス)と宿主との相剋で、まだ、自分が優位に立っているということかな?
○専門1年、3月6日(火)晴。
 長兄から電話があり、(高校の時に教わった)○○先生の息子の入試で、旅館探しを頼まれた。忙しいが、先輩として後輩の為に労を惜しんではいけない。
○専門1年、3月9日(金)晴。
 徹夜した。生理2のレポ一トの為にだ。いい旅館を見つけることが出来た。いろいろ難儀して、やっと見つけられた。
○専門1年、3月15日(木)曇。
 ○○君が九大(現役)で合格したとのこと(それで、旅館の予約をキャンセルした)。良かった。本当に嬉しい。浪人の苦しさは、自分が良く知っているから。
○専門1年、3月17日(木)曇。
 教養部に行ったら、今度上がる人(46年入学)の成績を(いつもの様に)掲示していて、最高がH嬢の107単位で、次が99単位取っていた。フランス語4単位を取ったのは一人で、ラテン語は、4人取っていた。今考えると、馬鹿みたいに自分は、110単位(満単)も取ったものだ(44年入学は、最高104単位、47年入学は、女性で最高107単位)。
○専門1年、3月23日(金)晴。
 ○○君(私の薦めで小児科医となったが、現在、内科小児科で開業されている)の受験の付き添いで実業高校に行ったら、何と、修猷学館で大変お世話になった引野先生達に会って、懐かしかった。あの先生方、実に人間味溢れて素晴らしいなあ。ああやって、毎年浪人生の為に頑張っておられるのだなあ。
○専門1年、3月30日(金)雨。
 夏休みから始めた内科診断学の本を一応読み上げた(病名はピンク、生化学的なことは黄色、生理学的なことは黄緑、解剖学的なことはダイダイ色、病理は紫などと色分けして、線を引き上げただけだが)。何と、内科診断学が始まる前に、読み上げてしまったのだ(在学中に、再び改訂版を買って、それも又、線を引き上げてしまったが)。病理学を4月1日までに読み終わりたい。講義が始まる前に、本を一応読み上げておく、これが自分の勉強法だ。
○専門1年、3月31日(土)晴。
 ○○○教室のおばちゃんの話だと、例の我々クラスで時々話にあがる女の娘(○○教室にいる)が僕と付き合いたいとのこと(自分は、全く話もしたことなし)。学費も全部出してくれるとか。「医学用語の学びかた」の本を勉強したら、とても面白かった。

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為になるかも知れない本(その45)

2007-03-22 07:06:04 | Weblog
○専門1年、1月11日(金)曇。
 (目の使い過ぎのせいか)目が一日中痛かった。夕方8時前まで、図書館で勉強した。勉強時間は多いかもしれないが、能率がぜんぜん上がっていない。臨床生理学の本がなかなか進まない。
○専門1年、1月23日(火)曇。
 医動物の実習で、広節裂頭条虫、縮小条虫、小形条虫、無鉤条虫を見た。医動物の実習は、すごく充実している。薬理学で、病院の方から薬剤部の人(石橋教授)が来て、メチャクチャいい講義(病態生理から見た臨床薬理学、この先生に、卒業時に、為になるかも知れない本を渡す。その時、この先生から、何事も10年続ければ、大きな事が出来ますヨとのアドバイスをもらい、貴方ならそれが必ず出来るはずでと言われ、その後、先生から、先生の著書の本を送って頂いた)をした。
○専門1年、1月27日(土)晴。
 2年生の細菌学の再試があっていて、○○が50点は取れた様に言う。彼(同じ高校の同級生)は、追試のせいでか、やせていた。夕方6時半から、時々行く異人館(歌声喫茶)に行った。クラスの○○氏が歌っていた。彼は自信家だ。貝島が8時(20時)ちょっと過ぎに来た。彼は皆の前でロシア民謡をギタ一を弾きながら歌った。とても素晴らしかった。自分もその後、(作詞姉)オリジナルの曲「小さな願い」(高校2年の時に、予餞会で歌いながら演奏する)をギタ一を弾いて歌ったのに、貝島は、外に出ていて聞いていなかった。ガックリ。まあいいや○○氏(医師以外の道に進まれた)が聞いていたから。
○専門1年、1月29日(月)晴。
 細菌学で、宿題が出た。生理学2もある。薬理学も宿題が出て、土曜までに仕上げないといけない。することが多過ぎる。暇な時に、思い切って先に進んでおくことが大切だ。
○専門1年、1月31日(水)晴。
 松田とテニスをした。楽しかった。看護学校の女の娘もいて、試合をしたが、練習不足でファイナルまで行ったが負けた。それで生理2のレポ一ト完成がならなかったが、気分転換が出来た。時々、パッと別のことをすることが大切だと思った。
○専門1年、2月6日(火)晴。
 医動物学で、エチオピアから来たテヘラさんの講義が英語であった。(当たり前のことだが)人間はどこにでも立派な人がいる。立派な紳士であった。
○専門1年、2月9日(金)晴。
 生理2の実習で、猫を使った。前々から気になっていた実習だ。ネコさん、本当にかわいそうだった。ア一メン。
○専門1年、2月14日(木)曇。
 出産の映画があった。解剖でライヘがプ一ルから運ばれて来た時以上に、衝撃的だった。女の人って大変だ。本当に死ぬ思いだよ、全く。

(追加、次女出産の時、骨盤位で、私が付いていた。妻の苦しんでいる顔を見て、自分のせいでこんなに苦しい思いをさせたからには、今後、この女性を命懸けで守らなければいけないと、その時、思った。)
コメント (1)
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為になるかも知れない本(その44)

2007-03-21 20:18:43 | Weblog
○専門1年、12月12日(火)雨。
 福大から解剖学の和佐野教授が来て、神経中心に、一日中、この先生の特別講義だった。何も見ないでどんどん黒板に書いて行って、絵が実に上手だった。お腹が痛くなって、午後の講義の時、きつかった。
○専門1年、12月13日(水)晴。
 Kが、脈管学を8時間で仕上げたと言った。自分もその位で出来ると思う。神経学も小さい所まで覚えないといけない。解剖は、3学期も週3回するらしい。いいことだ。そうなると、1回目の試験は、難しくなりそうだ。
○専門1年、12月23日(土)雨。
 解剖の試験中、下痢でお腹が痛くなって、2時間で出た(3時間の試験であったが)。それで、腹腔動脈の所が書けなかった。済んだことは仕方がない。残りの箇所は、まあまあだった。(結果は、合格で、約7割の人が合格していた。昨年は、逆に、4分の1しか、合格していなかったが)

 
*12月の解剖実習が終わる頃、クラスのある人が、「近頃、皆同じ顔に見える」と言った。つまり、解剖実習とレポ一トと講義と試験で、皆、疲れ切っていて、「髪ボサボサに白衣汚く、青白い顔に目だけギョロギョロしていて、医学部の周りを夕方ウロウロしていたら、(専門)1年だ」ということになっていた。どんな立派な本も、どんな立派なスライドも、実物にはかなわないというのが皆の一致した意見であった。実物は、平面でなく立体になっている。医学生だけに許される人体系統解剖、実際にメスを使って解剖してみて初めて本当はどうなっているのかが確認できるのである。
 骨一つにしても、出っ張ったり引っ込んだりした小さい所までちゃんと名前が付いていて、解剖名を覚えるだけでも凄い量であるが、初めはこの莫大な量を覚えられないと思っていたが、自分も含めて殆どの人が試験前ちゃんと名前を覚えていたのは、全く不思議であった。解剖部位を見て、どの部位に関しても、ちゃんと名前が言えた。やはり、実習をちゃんとしてきたからであろう。

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為になるかも知れない本(その43)

2007-03-21 20:14:01 | Weblog
○専門1年、11月28日(火)晴。(昭和47年)
 昨日は、熊大の解剖学の水谷名誉教授のリンパ系に関する講義があった。いい講義だった。我々のクラス、とてもよく出席している。今日と明日で、生理2のレポ一トをやり遂げたい。こんなに長時間掛かってレポ一トを書くのは、初めてだなあ。ドイツ版のゾボタの解剖の本を高いが買った。又、生化学的薬理学の本と病理生化学の本を注文した。ジンフィ一ズを作って飲んだせいか、グッスリ眠った。
○専門1年、12月1日(金)晴。
 泌尿生殖器を解剖した。精嚢・精丘がよく分かった。女性生殖器を隣のグル一プに行ってした。よく分かった。生理2のレポ一トが午前0時20分に終わった。やっと肩の荷が降りた感じだ。
○専門1年、12月2日(土)晴。
 解剖、一番初めに開頭して脳を見た。浜田先生に声帯と仮声帯の相違を聞かれ、合っていたので嬉しかった。生理2のレポ一トを(12月1日午前8時40分)提出した。昨夜は5時間位した寝ていないの眠くなかった。
○専門1年、12月3日(日)晴。
 日曜というのに8時半から学校に行ったが、解剖実習室が開いていないので、照国神社に行って、「勉強が調子よくうまく出来ます様に」と祈ってきた。それから城山に行き、焼き芋を買って食べて、解剖実習室に行った。解剖していると、平本・池田・原口・貝島が来た。その後、法医解剖を見た。
○専門1年、12月11日(火)晴。
 年賀状を出さないといけない。解剖のプリントを早く仕上げないといけない。又、風邪気味になったが、朝起きたら、治っていた。12日に解剖実習の口頭試問。20日にヒルン(脳)の試験、ライヘ(死体)の試験、23日に解剖の試験。1月6日に生化学の試験、・・・ウワ一試験ぜめだなあ。一つ一つその時点で確実にして行って、悔いの残らない様にしないといけないなあ。今から必死だなあ。

*この頃、凄いインフレになり、お金がなくて、よく1日に昼の1食しか摂っていなかったのを覚えている。食事だけは、ちゃんと3食摂っておくべきだったと今でも後悔している。同級生に、夜起きているとお腹がすくので、早く寝ることにしていると言う人がいたが・・・。金欠病で、多くの同級生が苦しんでいた(忙しくて、バイトが出来ない状態であった)。

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為になるかも知れない本(その42)

2007-03-21 07:54:49 | Weblog
○専門1年、10月5日(木)晴。
 死体を渡された。プ一ルから運んで来る時には、緊張した。上肢の皮はぎの途中で今日は終わった。
○専門1年、10月6日(金)晴。
 Kが自分を見て、「どこからそんなファイトがわいて来るのか」と言った。Iが同じ感じで、「よく頑張るなあ」と言った。それに、「感心するよ」とも言った。しかし、実際は、生化学も解剖も生理もたいしたことはない(追試は、受けなかったが)。
○専門1年、10月22日(日)雨。
 日曜というのに、11時前に学校に行ったら、誰もまだ来ていなかった。病理解剖を見た。肺ガンだった。SHとOが来たので、読み合わせをした(生理2の教授から出された英語の論文に付いて、レポートを書かなければいけない)。何と、夜の8時を過ぎまでした。
○専門1年、11月7日(火)晴、午前7時25分記載。
 長井恵子って女の娘、いい娘だなあ。6人の中で、一番いいと思った(アパ一トに、年配の東大病院で勤務していた生化学に詳しい管理栄養士の人が居て、その人の勤務病院に栄養士の卵の県立短大生が実習していて、その内の6人が、遊びに来ていた)。血液型はA(AA)型で、自分のB型(BO)とは、合わないが、星占いで、誕生日がモ一ツアルトと同じ1月27日で、自分の5月28日とは、約120度となり(最適)、手相を見たら自分と違って浮気線は全くなく、一本の長い結婚線があり、中指が長くなく(女性で長いと我が強く、男性で短いと信念がない?)、中指と薬指に隙間はなかった(中指は自分で、薬指は配偶者を現すと手相の世界では言われている。女性の多くは、薬指が中指に寄り添う感じになっていることが多く、その間に隙間があると、うまく行かないことが多い。男性で、中指が薬指に寄っているのは、頼りない男性?!)。顔はとても優しそうで、しかし、しっかりしている賢い娘(実習に来ている中で、この娘は、とても優秀で、良かったら付き合ってみたらと、栄養士の先生が言う)。彼女は、真面目で、一人しか愛せない感じ・・・。
 生理2のレポ一ト、朝4時に起きて勉強した。どこが当たるかなあ?(この日、教授が自分のグル一プに課した論文vestibular tilting responsesの内容に付いて質問し、それに付いて皆の前で説明しなければいけない、論文は原著で、自分たちのグル一プのが一番長くて、19ペ一ジもあった)。
○専門1年、11月18日(水)晴。
 解剖で胸を開けた。N達のグル一プと同じく一番早く開けた。早いのは、予習のお陰だ。(しかし、いつも、短時間で切り上げていた)
○専門1年、11月9日(木)曇。
 4時30分に起きて、勉強した。朝、バッチリ3時間は、勉強するべきだと思った。
○専門1年、11月10日(金)曇。
 昨日と同じく、4時30分に起きた。昨日は、多くの人の前で説明した。浜田(助教授)先生が、自分の解剖の状況をマイクで誉めてくれて、嬉しかった。内科で大切な肺肝境界、トラウベの半月などを皆に説明した。

*浜田先生が、「君等が後2年経って、内科診断学の理学的診断法を教わる時には、今解剖しているこの内臓の位置関係を忘れている。その時に、又、解剖すると本当はいいのだが」と言ったことがあったので、胸部を開ける前に、内科診断学の2章の理学的診断法をバッチリと頭に入れていた。

○専門1年、11月15日(水)雨。
 心臓を上下二分した(心臓の解剖の仕方には、二通りあり、心臓の各部屋を開いて見る方法をとらずに、心房と心室を分離する方法をとった)。とてもうまく出来たので、嬉しかった。(専門)4年生が卒業試験前で、一所懸命勉強している。図書館は、昼その人達で超満員だった。僕も負けずに勉強した。ファイトは、誰にも負けないつもりだ。生理2のレポ一ト、生化学の試験とあり、1月6日までは、必死だ。


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為になるかも知れない本(その41)

2007-03-21 07:14:24 | Weblog
○専門1年、8月8日(火)晴。
 生化学の先生(元外科医)は、基礎医学を知らないで医療をしている医者のことを、モンキー医者と言った。やはり基礎では、それなりの頭が要求される感じだ。理学部的素質がないと駄目だ。俺の頭は丸暗記一本だ。俺はモンキー医者になるのか。今日の生化学の実習は、楽しくなかった。劣等感にさいなまれた。やり方だけを覚えたという感じだ。ハ一パ一の生化学の重要性が分かった。
○専門1年、8月23日(水)晴。
 吉利和の内科診断学を買った。2600円の五分引き。実に安い。しかし、とてもいい本。見ていると本当に俺はこの先、医者になるんだなあという感じがした。嬉しい。分からない所が多いが、しかし、読んでいると、心がうきうきして本当に楽しい。今日は、朝4時に起きて、朝4時間バッチリ勉強した。
○専門1年、9月2日(土)晴。
 生化学の実習が終わった。最後は、アセ一トセルロ一ス膜で電気泳動したが、・・・月曜日にもう一度しないといけないかなあ。
○専門1年、9月30日(土)晴。
 今日で今月も終わり。非常に頑張ったと自分では思っているが、その割に、たいして身に付いていない感じだ。解剖のレポ一ト、生理のレポ一ト、生化学のレポ一トと、多いなあ。あまり無理をして体を壊さない様にしないといけない。
○専門1年、10月3日(火)晴。
 この胎児とも今日でお別れだ(9月1日から10月3日までの間に、二人に一体で、胎児の解剖をした)。どんどん進んで行って、一番初めに終わってしまった。ホルマリンの匂いもなくなって、少しカビが生えている。もうすぐ、成人の解剖(4人に一体)が始まる。
 
*系統解剖の時は、どこまでするのか自分なりに決めて、その日の朝、予めどんな感じになるのか頭の中でイメ一ジして、毎回解剖に臨んでいた。その場で覚えることはしなくて、確認を実習でする感じで解剖して行ったが、やはり、本の上では、空間のイメ一ジがはっきりと作れにくく、実際にメスで解剖してみて、解剖の素晴らしさに何度も感嘆していた。今でも、自分に解剖させて頂いた人の顔を思い出すし(安らかな顔をされていた)、今でも、私の医学の元を作ってくれたバイブル的存在と思っている。(自分の解剖の予習量は、半端でなかったことを、今でもはっきりと記憶している)

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