子どもと一緒に遊ぶから共感してあげられることって多い!
・教師にとっては授業が絶対に一番だけど,子どもにとっては同じくらい休み時間が大事だということ
・休み時間にこそ表れる,それぞれの子の本性
・休み時間にしか見られない,子どもたちの人間関係
・遊びから見る今の子どもたちの流行り
・遊びから見る今の子どもたちの問題
・授業が終わり校庭に飛び出す瞬間のうれしさ
・校庭の場所取りに燃える必死さ
・休み時間の残り時間が少なくなってきて,時計を気にしだすときの焦り
・休み時間終了のチャイムが鳴り,やむなく教室にダッシュするときのやるせなさ
・夢中になりすぎて授業に遅れてしまったときの動揺
・そこで注意されるときのブルーな気持ち
・なんらかの行事で休み時間をつぶされたときの怒り ・・・・・・
こんな気持ちは,私たちだって子どものころそうだったから,みんな大人も忘れてはいないはずです。
分かっているはずです。
休み時間に夢中になって授業に遅れてきた子を叱る先生だって,分かっているはずです。
でも「分かっている」と「共感している」は違うんですよね。
子どもの側から見て,
「先生も分かってくれている」
これが大事です。
それこそ共感です。
何度も言っていますが,子どもにとって休み時間は,遊びは,本当に大事なもの。
学校生活の意識のうち,相当な割合を休み時間に置いているものです。
教師のそれとは比べものにはならないほど。
そこの意識の中に先生も入っているかどうか。
それはとても大きいはず。
子どもにとって,先生は休み時間後の教室で,授業のために待ち構えているだけの存在ならば,それはお互いの関係としてとてもさびしいことでしょう。
先生がどれだけ熱心に授業をしても,お互いの関係として,なかなか縮まらないものがあるように思います。
息を切らしながら,授業に遅れてやってきた子たちを叱るとき,いつも遊びを共有している先生なら,温かみのある叱り方をできることでしょう。
子どもたちからしても,その先生に叱られるなら,心に届くものも多いことでしょう。