東日本大震災から一年。
まだ辛い状況にある人々が大勢いることをテレビから知らされます。
改めて,心よりお見舞い申し上げます。
私の暮らす地域は被災地からは遠く離れていて,直接震災を感じたことはありません。
もちろん,学校の子どもたちもそうです。
あの日から一年が過ぎ,子どもたちの意識にはどれくらい震災のことがあるのだろうかと,ふと思います。
もちろん,深く,深く思っていてほしい。
被災地に暮らす人々の辛さや強さ
地震や津波の恐さ
復興に向けてがんばっている日本の未来
そして,今自分に命があり,当たり前の生活が与えられていることの幸せ ・・・
教師として,身近にいる大人として,子どもたちに伝えたいことはたくさん胸に浮かびます。
震災からちょうど一年が過ぎた今。
そういった話を本気ですることも必要なんじゃないかと。
・・・・・でも,正直に言って,なかなか話の口をきることができません。
「言葉がない」というのが,一番当てはまるのかもしれません。
どんな言葉をもって話をしても,震災のことを子どもたちに十分に伝えられないんじゃないかと,不安になるんです。
私だって震災を経験していないから。
報道でその情報を受け取り,自分なりに考えているだけの大人にすぎないからです。
その立場は,どんなあがいても変わらないし,ごまかせないし,子どもたちにうそをつくことはできません。
そんな自分に,震災を語る「勇気」が足りないんです。
とても情けないことですが,正直なところです。
だけど語らずにはいられないから「一年が過ぎましたね。今でも被災地では…」なんて,サラッと話をするようなことはしたくありません。
また,不十分な形で取り扱ってしまって,子どもたちにふさわしくない印象を与えることは絶対にしたくありません。
なかなか本気で子どもたちと震災のことを語ろうとできない自分に,未熟さを痛感します。
教師として,大人として。
人格が足りないから,言葉が出ない。
言葉が出せないから,人格が育たない。
どちらでしょうか。
どちらとも言えるのでしょうか。
でも,近いうちに,必ず本気で語りたいと思います。
語れる自分になりたいと思います。
私なりの本気で,子どもたちと向き合わなくてはいけません。
この緊張感は,これまでにしたどんな仕事よりも,子どもたちに何を語ったときよりも張り詰めたものを感じます。
そこから逃げない勇気。
もたなくてはいけません。