自分のクラスが専科の授業を受けているとき,気になりますよね。
ちゃんと授業を受けているだろうか。
ふざけている子はいないだろうか。
甘えている子はいないだろうか。
授業の中身はきちんと理解できているのだろうか。
専科の先生はクラスの子たちをどう思っているのだろうか ・・・
その間,担任はいわゆる「空き時間」になり,自分の仕事を進められるうれしい時間でもあるわけですが,やはりクラスの子たちのことが気になります。
自分の目の届かないところにいるとなると,なおさらです。
こんなときに
「うちのクラスは大丈夫」
と,何の心配もせずにいられるようになったら,きっと学級としてかなり成熟したということになるのでしょうが。
6月というまだ日の浅いこの時期。
まだまだ子どもたちは未熟です。
専科の先生が多いのは理科や音楽でしょうか。
主に高学年はこれらの教科を専科の先生に任せて教えてもらいます。
(ただしある程度大きな学校では, ですね。)
この専科の先生の授業のとき,私も経験が何度もありますが,子どもたちって,クラスにいるときと豹変したりすることがあるんですよね。
いつもは見せないだらしない表情を見せたり。
びっくりするようなトラブルが起きたり。
子どもたちの心理としては,いつも厳しい目を光らせている担任の先生がいないから気持ちが緩むのか。
そこまで厳しいことを言わない専科の先生に甘えているのか。
いつもの教室の授業とは違う特別な雰囲気に気持ちが浮つくのか。
いずれにせよ
専科の授業で見られる子どもたちの未熟さは,すべて担任の責任!
そういう意識をもとうと思います。
「いつもクラスではしっかりしている子たちが,理科の授業になったら急にダメになるのは,理科専科の先生が悪いんじゃないか」
これは間違い。
これは偏見。
理科の先生が悪いなんて味方は絶対にしないようにします。
例え,理科の先生の授業の腕がなくて,子どもたちをまとめる腕がなくて,授業自体が荒れやすい状況にあるとしても,そうです。
そんな状況でさえ,必死に学ぶ子どもたちを育てるのが担任の仕事です。
理科の何倍も普段一緒に授業をしている担任。
そこで子どもたちの資質を高めなくてはいけません。
そこで高まった資質は,たとえ1・2時間担任から離れた授業を受けたとしても,崩れることはないはずです。
それができているクラスこそ
「うちのクラスは大丈夫」
ですね。
イメージとしては
レベル1:担任の目の前でさえ子どもたちがだらしない。
レベル2:担任の目の前では子どもたちがしっかりしている。
レベル3:担任の目から離れたところでも,担任がいるときと変わらぬしっかりとした様子でいれる。
レベル4:担任の目から離れたところのほうが,子どもたちが本気でがんばっている。
という感じでしょうか。
専科の授業で子どもたちがだらしないのは,レベル2です。
もっと上をめざして指導をするのは,専科の先生ではなく,やはり担任です。