3学期には指導要録を記入しなければいけませんね。
これが曲者です。
厄介です。
かなりの労力と時間を必要とします。
この作業に追われて3学期の仕事や学級経営がグダグダになることだけは避けたいところです。
だから,早い人は2学期につけ始めます。
もしくは冬休み。
そうすると3学期がずいぶんと楽です。
せっせとつけている先生を横目に,優越感。
さて
学習成績をつけるときに,どの教科・領域でも先頭に出てくる観点が
「関心・意欲・態度」
です。
これは点数として表れにくいもので,評価が難しい観点の一つでもあります。
その学習における,その子の積極性を計るものです。
みなさん,どのようにつけているでしょうか。
小学校の先生が,これに関して一番に評価の対象としてとらえているのが,きっと
「発言」「発表」
ではないでしょうか。
例えば,国語の授業でたくさん手を挙げて発表していた子は,意欲があるとして,高い評価をつける。
つけたくなる。
私も,さとしくんの,算数におけるこの観点の評価をつけようとしするときには,真っ先に,授業中のさとしくんの様子から,どれくらい発表していたかというのを自然と思い返します。
もちろん,「思い返す」だけで評価をつけるのはあまりに不適切だから,もっと正確で,具体的な方法でするべきなのですが,どうしてもこの観点を評価しようとするときには,その子の「声」を拾いあげようとしてしまいます。
が,ここに危険性があるのではないかと,最近思うんです。
「発言」=「意欲が高い」とは,限らない!
「発言しない」=「意欲が低い」とも,限らない!
これを忘れてはいけないと思います。
進んで手を挙げる子には,単なる目立ちたがり,言いたがりな子だっています。
この子たちに,何の学習にでも積極性があると評価するのは妥当ではないでしょう。
手は挙げない,発言はしないけれども,意欲的に「聴いている」子だっているはずです。
先生の話を,友だちの意見を精一杯聴き入れて,自分の中で吟味,解釈している子は,まぎれもなく積極性があると言えるでしょう。
肝心なことは,これらの子たちの本質を授業をしながら見抜くということ。
そして,単純な子どもの発言や発表に積極性を当てはめないということ。
「関心・意欲・態度」の評価を,それだけに頼らないということ。
だと思います。
いわゆる「静かな積極性」とでも言えるでしょうか。
私自身,最近はそれがとても大切に感じるのです。
「静かな学び」の中に存在する「静かな積極性」
「はい!」「はい!」と盛んに手の上がる授業が以前は好きでしたが,今の私の授業の理想は,こちらの方に傾いてきています。
物静かな子の中にある積極性を,見てあげたいと思うのです。
が,これはなかなか難しい。
子どもと芯から向き合って,本音で向き合って,子どもの心をゆさぶるほどの知的な授業を展開する中だけで,見えるものだと思っています。
まだまだ修行が必要です。