私の努める学校のある地域では,毎年,小学生を対象としたドッジボール大会が行われます。
それに合わせて,学校へも案内が来て,出場者を募ります。
学校の授業の一環として行われるものではなく,出場はあくまで希望者です。
クラスからチームが出場することになれば,担任はそれなりに指導しなくてはいけないのですが,授業に「ドッジボール」なんて単元があるわけではなく,その時間を確保することが難しいです。
公式のドッジボールとは,ルールも難しく,その点だけでも出場する子たちにはしっかり指導しなくては試合になりません。
また,クラスの全員が出場するわけはなく,希望者ですので,出場する子としない子が存在してしまい,学級としての活動の仕方がさらに難しくなります。
さて
昨年受け持った六年生学級は,スポーティーな子も多く,1チーム12人に対し,2チーム編成できる数の子が出場を希望しました。
その分,クラスとしてもにぎやかな大会になりました。
一方今年の六年生クラスはというと…
なかなか希望者が集まりません。
大会の日に都合がある子もいたのですが,1チーム編成できる数も集まりません。
しかし,受付締め切りまでにはなんとか1チーム分は集まりました。
うーん
昨年との,この差。
同じ六年生なのに,同じ担任なのに。
しかし,私は何も他の子に強く出場を呼び掛けるようなことはしませんでした。
だって,基本は「授業外の活動」であるということ。
私だってスポーツ好きで,クラスみんなで楽しみたいという気持ちもあることはあるのですが,その点は忘れてはいけないと思っています。
無理せず,今年はなんとか集まった1チーム分の人数で臨もうと思います。
しかし,他の学級には,(ほとんどが1チーム出場なのですが)担任の先生がほぼ強制的に参加させて,2チーム出場したり,クラスのほぼ全員を参加させる先生もいます。
(まず,そういうスタンスが学校として足並みが揃っていないことに問題があると思うのですが)
そこにはその先生なりの強い願いがあるのでしょう。
学級に込める願い,子どもたちに込める願いが。
以前に聞いたことがある言葉ですが
「先生が願いを持ちすぎてはいけない。願いは子どもたちの内から出てくるものだ」
このドッジボールに臨むに際しても,重要なことかなと感じます。
ドッジボールを通してクラスづくりをしたい先生の願い。
と
ドッジボールに対する願いがそれぞれ違う子どもたち。
どちらを優先するのかといえば,やはり後者であるべきだろうと。
繰り返しますが,授業外の活動です。
これがもし授業の一環であれば,先生がリーダーシップをとって強烈に子どもたちを導いていくこともありえるでしょう。
しかし,余暇を利用した活動ですので,先生は授業中の役割とは区別して臨むべきだろうと,思います。