何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

水をおさめる天下人

2015-06-01 19:00:00 | 
「どこへ帰る」で、「水神」(帚木蓬生)を読むと「予報が当たらない気象庁や無責任な農業政策をたてる御上に不満ばかり言っている自分が恥ずかしくなる」と書いたが、日本の歴史を振り返れば、日本人の良い意味での自己責任の意識の強さと、自己責任で完結させるだけの知恵を有することが、抜本的な大改革を遠ざけているという複雑な思いもないわけではない。

それはともかく、「水神」は江戸初期の筑後の国で干害に苦しむ農民が藩の対策に頼らず自ら堰を作るまでの過程を描く話である。

物語の舞台となる江南原一帯は、筑後川の近くにありながら高台のため川の水を農耕に使えず、天秤棒で水を運ぶ村もあれば、「打桶」という手法で水を引く村もある。高い堤防から桶を下し水を汲みあげ、それを村の用水路に流し込む「打桶」という過酷な作業には雨の日以外休みがない。この「打桶」に従事する男と、百姓の窮状に命がけで立ち上がる庄屋が、この物語の主人公である。

数年来の日照りと洪水の繰り返しで不作が続き疲弊する農民のため、庄屋の一人が年貢の減免を奉行所に訴え、棒晒しの刑をうける場面から、この物語は始まる。
このままでは餓死と女の身売りと田売りに逃散になってしまうという窮状を打破するため、庄屋たちは堰を作り用水路を建設しようと立ち上がる。
これが現代だと、地元の議員に掛け合い公共事業を呼び込み、諸々上手い目をみようという話になるのだろうが、「水神」が書く江戸初期の久留米藩の農民と庄屋は、そうではない。
自らが綿密な工事計画を立て藩に建設計画を持ちかけるのだが、その計画の申請が凄まじい。
工事資金は庄屋が全財産を提供し、労力は農民が全て負担するだけでなく、工事に失敗すれば藩の面目を潰さぬ為に庄屋全員が磔刑になることを条件する、というものだ。
近隣には反対する庄屋もあったものの、背に腹はかえられぬ藩が許可したため、工事は始まる。
下巻は工事の過程が具に書かれ、多少冗長気味な感がないわけではないが、反対していた近隣庄屋や村人の積極的な協力も得られて完成した水門が開き、水が滔々と流れ、次々とのろしが上がっていく場面などは今思い出しても感動的であった。

物語の最後、日頃から農村の窮状に思いを寄せていた久留米藩の老武士が切腹する。
百姓のために庄屋が立ち上がり、庄屋を救うため下奉行が切腹するが、藩の体制というか体質は変わらないのだと思う。数十年後の同じ地域を描いた「天に星 地に花」(帚木蓬生)でも、やはり庄屋も百姓も苦しんでいる。
生きるか死ぬかの瀬戸際の苦しみにもかかわらず、人を頼らず自分達で何とかしようとする心意気は、立派ではあるが切なく、その忍耐強さが抜本的改革を遠ざける原因の一だとしても、やはり大御宝の最大の美徳なのだと感じている。


ところで、「水神」にある田んぼに水を引くための作業の過酷さは、読む者の胸を沈鬱にさせるが、この現場を実際に御覧になった皇太子様の衝撃は計り知れない。
水に関するご研究をされる皇太子様は、学生時代は水運が御専門であったが、ネパールご訪問を契機に水の御研究は女性や子供の教育を受ける権利の問題にまで広がっていくのだ。

平成19年アジア・太平洋水サミット開会式における皇太子様の御講演より一部引用
(ネパールで皇太子様が撮られた写真を示しながら)
これは,私が1987年にネパールのポカラを訪れた際,サランコットの丘付近で撮影したものです。水を求めて甕を手に,女性や子どもが集っています。ご覧いただくように,水は細々としか流れ出ていません。「水くみをするのにいったいどのくらいの時間が掛かるのだろうか。女性や子どもが多いな。本当に大変だな」と,素朴な感想を抱いたことを記憶しています。
その後,開発途上国では,多くの女性が水を得るための家事労働から解放されずに地位向上を阻まれており,子どもが水くみに時間を取られて学校へ行けないという現実があることを知りました。また,地球温暖化問題の多くが,水循環への影響を通じて生態系や人間社会に多大な影響を及ぼすことも知りました。このようにして,私は,水が,従来自分が研究してきた水運だけでなく,水供給や洪水対策,更には環境,衛生,教育など様々な面で人間の社会や生活と密接につながっているのだという認識を持ち,関心を深めていったのです。


政治の「治」は治水の「治」と謂われるように古来、『水を治める者は天下を治める』という。
それは民の生活を安定させるという目的はもちろんだが、為政者が権力を手中に収めるためには必要不可欠な手段でもあった。
そして現在「水」は、それぞれの国内問題にとどまらず世界的紛争の原因ともなりかねない要素をはらんでいるが、皇太子様が水問題に向けられる視線は政治的権力闘争とは一線を画し、どこまでも優しい。

皇太子様が数々なさっている水に関する御講演では、弥生時代の「唐古・鍵遺跡」の環濠集落や、仁徳天皇の時代に淀川の氾濫を防ぐために行われた「茨田堤」建設や、江戸時代に利根川と荒川の洪水を防ぐために行われた「利根川東遷」などを、資料や写真とともに紹介されている。
日本のさまざまな時代の治水工事を紹介されるのは、世界にはさまざまな段階の国があり、その段階に応じて日本の事例が役立つよう望んでおられるからだと、何かで読んだ記憶がある。

確かに、水瓶を頭に乗せて運んでいる国に対して、最新式のダムと浄化設備を提供しても機能せず無用の長物と成り果てるだけかもしれない。
長い歴史を有する国の皇太子様であるからこそ、変化と進化には段階を経る必要があることを御存知なのだと思う。その段階を示されるお気持ちの根っこにあるものが、水汲みという過酷な労働に従事する女性や子供に寄せる優しさであることが、素晴らしい。

『水を治める者は天下を治める』
弱き者への優しい眼差しを胸に、水のご研究を修めていかれる皇太子様に、天下を治めて頂きたい。