漢・皇太子様と山を書いたので女性の山を書こうかと、その名もズバリ「山女日記」(湊かなえ)を読み返していた。
最初の経験がその後のすべてを凌駕する、という言葉を聞いたことがあるが、「みんな山が大好きだ」でも書いた通り、山岳小説を読み始めた頃に読んだのが、世界初のアルプス三大北壁冬期登攀者・長谷川恒夫氏や、同じくアルプス三大北壁女性初の登攀者の今井通子氏や、チベット・ネパール両側からの世界初のエベレス登頂者の加藤保男氏と、それらの山と壁に悉くとりついていた森田勝氏について書かれたものであったため、命をかけて大自然に挑み、命をかけて自己実現を図るエネルギーに満ちた世界を描いてこその山岳小説だと思い込んでいるフシが私にはあった。
最近また登山ブームで、それは小説の世界にも及んでいるが、「都会に疲れた人、仕事や結婚に行き詰まった人が、自然のなかでのチッポケな自分を認識し、癒され、自分を取り戻す」的な話が多い。 それはそれで良いのだが、しみじみ泣かされたりもするのだが、山岳小説にはガツンとしたエネルギーが欲しい自分としては、読んでも読んでも消化不良のような印象をもたらすのが、最近の山の本で、その代表格が「山女日記」(湊かなえ)と「八月の六日間」(北村薫)だった。
そんな印象を抱えながら再度「山女日記」を読むと、180度印象が変わりガツンと魂を揺さぶられた・・・・とは、やはりいかない。
この小説は7つの話の連作で、一話ごとに山も登場人物も変わるが皆が「山女日記」というサイトを見てるという設定で、物語の時々に交錯する登場人物が最終章「トンガリロ」という神の山の麓で現実的に接点ができるという趣向が凝らされている。
結婚に悩む女性が登る「妙高山」、バブル時代を引きずり新しい一歩が踏み出せない女性が登る「火打山」、同行者の都合で2度登頂し損ねているため今度こそ登頂を果たそうと単独行で目指す「槍ヶ岳」、医師と結婚し順風満帆の姉が自立できない妹を誘って登る「利尻山」と、(ここだけ登場人物が同じで)姉の小5の娘も加えて女三人で登る「白馬岳」、職場の人間関係に疲れた女性が登る「金時山」、転職して成功した自分と元彼との結婚とどちらが正しかったか悩みながら元彼と歩いたことのある景色を見るため訪れた「トンガリロ」。
しかし読後感が以前より爽やかなのは、この1月から(走らないまでも)歩くことを続けていて、歩いた後の気持ち良さを身を持って知り始めたからかもしれない。
そして、人生を考えさせられる言葉にも出会えた。
『人は大なり小なり荷物を背負っている。
ただ、その荷物は傍から見てば降ろしてしまえばいいのにと思うものでも、
その人にとっては大切なものだったりする。
むしろ、かけがえのないものだからこそ、降ろすことが出来ない。
だから、模索する。
それを背負ったまま生きていく方法を。』
この小説には、結婚生活に悩んだ姉が小5の娘と妹と「白馬岳」に登る話がある。
天候急変のため命綱で娘を守る状況と、まだ小5の娘に生活基盤が変わるかもしれないことを悟らせず何とか娘を守り抜きたという願いを重ねながら、登ろうとする「白馬岳」。
しかし、娘は母が思うよりずっと逞しく成長していたことに気づかされる「白馬岳」。
白馬岳は中学生の頃、雅子妃殿下が御家族と登られた山でもあるため、この話が殊更に印象に残った。
イジメに遭われたため通学に不安を覚えられた敬宮様に毎日付き添い一緒に登校された雅子妃殿下。
敬宮様が不安を払拭されて完全に学校生活に戻られたのは、小4後半から小5の頃であったと思いだすと、この年齢の子供の成長は著しく、大人を思いやるまでの成長をみせるのかもしれない。
御自身の運動会をめぐるバッシングが最高潮(最低の様を呈している)の小5の運動会、母へ向けられるバッシングを慮られたのだろう、敬宮様はついに体調不良を理由に運動会を欠席されてしまったのだ。
御病気のため公務がままならない母が、娘の学校行事だけは出席したいと願う、それすらも打ち砕くマスコミの横暴に対抗する術を小5の敬宮様は御存知なかった。
人生で一度しかない小5の運動会を欠席するという方法しか、敬宮様には母を守る道がなかったのだ。
雅子妃殿下に向けられる悪意の悍ましさを目の当たりにすると、
「もう荷物を下して下さっても良い、御自身の命を守るために、そこから一刻も早く遠ざかって下さい」と祈りたくなる瞬間がこれまで何度あったことだろう。
男児を生む女性と男児のみを尊重する世界で、心を病みながら小さくなって生きていかねばならない女性では本来ない。
ハーバード大学を優等(マグナクムラウデ)で卒業し、東大オックスフォードで学び、指導にあたった教授を唸らせるほど優秀だった雅子妃殿下なら、どんな世界でも御活躍になれる。
どうか旧態依然とした荷物を下して下さいと思う日もあったが、血縁によって旧態依然とした世界と結ばれている皇太子様と敬宮様は、雅子妃殿下にとって、かけがえのないものだから、降ろすことが出来ない。
だから、模索される、それと折り合いをつけて生きていく方法を。
毎年春にスキーで訪問される志賀高原から白馬岳は見えるだろうか。
写真出展 ウィキペディア白馬岳
最初の経験がその後のすべてを凌駕する、という言葉を聞いたことがあるが、「みんな山が大好きだ」でも書いた通り、山岳小説を読み始めた頃に読んだのが、世界初のアルプス三大北壁冬期登攀者・長谷川恒夫氏や、同じくアルプス三大北壁女性初の登攀者の今井通子氏や、チベット・ネパール両側からの世界初のエベレス登頂者の加藤保男氏と、それらの山と壁に悉くとりついていた森田勝氏について書かれたものであったため、命をかけて大自然に挑み、命をかけて自己実現を図るエネルギーに満ちた世界を描いてこその山岳小説だと思い込んでいるフシが私にはあった。
最近また登山ブームで、それは小説の世界にも及んでいるが、「都会に疲れた人、仕事や結婚に行き詰まった人が、自然のなかでのチッポケな自分を認識し、癒され、自分を取り戻す」的な話が多い。 それはそれで良いのだが、しみじみ泣かされたりもするのだが、山岳小説にはガツンとしたエネルギーが欲しい自分としては、読んでも読んでも消化不良のような印象をもたらすのが、最近の山の本で、その代表格が「山女日記」(湊かなえ)と「八月の六日間」(北村薫)だった。
そんな印象を抱えながら再度「山女日記」を読むと、180度印象が変わりガツンと魂を揺さぶられた・・・・とは、やはりいかない。
この小説は7つの話の連作で、一話ごとに山も登場人物も変わるが皆が「山女日記」というサイトを見てるという設定で、物語の時々に交錯する登場人物が最終章「トンガリロ」という神の山の麓で現実的に接点ができるという趣向が凝らされている。
結婚に悩む女性が登る「妙高山」、バブル時代を引きずり新しい一歩が踏み出せない女性が登る「火打山」、同行者の都合で2度登頂し損ねているため今度こそ登頂を果たそうと単独行で目指す「槍ヶ岳」、医師と結婚し順風満帆の姉が自立できない妹を誘って登る「利尻山」と、(ここだけ登場人物が同じで)姉の小5の娘も加えて女三人で登る「白馬岳」、職場の人間関係に疲れた女性が登る「金時山」、転職して成功した自分と元彼との結婚とどちらが正しかったか悩みながら元彼と歩いたことのある景色を見るため訪れた「トンガリロ」。
しかし読後感が以前より爽やかなのは、この1月から(走らないまでも)歩くことを続けていて、歩いた後の気持ち良さを身を持って知り始めたからかもしれない。
そして、人生を考えさせられる言葉にも出会えた。
『人は大なり小なり荷物を背負っている。
ただ、その荷物は傍から見てば降ろしてしまえばいいのにと思うものでも、
その人にとっては大切なものだったりする。
むしろ、かけがえのないものだからこそ、降ろすことが出来ない。
だから、模索する。
それを背負ったまま生きていく方法を。』
この小説には、結婚生活に悩んだ姉が小5の娘と妹と「白馬岳」に登る話がある。
天候急変のため命綱で娘を守る状況と、まだ小5の娘に生活基盤が変わるかもしれないことを悟らせず何とか娘を守り抜きたという願いを重ねながら、登ろうとする「白馬岳」。
しかし、娘は母が思うよりずっと逞しく成長していたことに気づかされる「白馬岳」。
白馬岳は中学生の頃、雅子妃殿下が御家族と登られた山でもあるため、この話が殊更に印象に残った。
イジメに遭われたため通学に不安を覚えられた敬宮様に毎日付き添い一緒に登校された雅子妃殿下。
敬宮様が不安を払拭されて完全に学校生活に戻られたのは、小4後半から小5の頃であったと思いだすと、この年齢の子供の成長は著しく、大人を思いやるまでの成長をみせるのかもしれない。
御自身の運動会をめぐるバッシングが最高潮(最低の様を呈している)の小5の運動会、母へ向けられるバッシングを慮られたのだろう、敬宮様はついに体調不良を理由に運動会を欠席されてしまったのだ。
御病気のため公務がままならない母が、娘の学校行事だけは出席したいと願う、それすらも打ち砕くマスコミの横暴に対抗する術を小5の敬宮様は御存知なかった。
人生で一度しかない小5の運動会を欠席するという方法しか、敬宮様には母を守る道がなかったのだ。
雅子妃殿下に向けられる悪意の悍ましさを目の当たりにすると、
「もう荷物を下して下さっても良い、御自身の命を守るために、そこから一刻も早く遠ざかって下さい」と祈りたくなる瞬間がこれまで何度あったことだろう。
男児を生む女性と男児のみを尊重する世界で、心を病みながら小さくなって生きていかねばならない女性では本来ない。
ハーバード大学を優等(マグナクムラウデ)で卒業し、東大オックスフォードで学び、指導にあたった教授を唸らせるほど優秀だった雅子妃殿下なら、どんな世界でも御活躍になれる。
どうか旧態依然とした荷物を下して下さいと思う日もあったが、血縁によって旧態依然とした世界と結ばれている皇太子様と敬宮様は、雅子妃殿下にとって、かけがえのないものだから、降ろすことが出来ない。
だから、模索される、それと折り合いをつけて生きていく方法を。
毎年春にスキーで訪問される志賀高原から白馬岳は見えるだろうか。
皇太子御一家の荷物が軽減されること、人生という山の頂きに登られる御健康を祈っている。
写真出展 ウィキペディア白馬岳