何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

大和撫子の愛と勝利

2015-06-25 12:10:31 | ひとりごと
「心をつかむ胃袋」では、「女王陛下の外交戦略」(君塚隆一)にある「ホットドックとビールを食されたジョージ国王御夫妻」の話から、食事を共にする相手の国の文化に根差す料理を気持ちよく食すということは、相手国とその国民への友情と敬意を示すことになるのではないか、と書いた。

では、晩餐であれ午餐であれ食事会の(その場)を和やかに過ごすことが皇族方や王族方の最大にして唯一の仕事かと考えた時、「天皇の料理番(6/21)」のある場面を思い出す。
昭和天皇御即位の御大礼のための饗宴の儀のディナーを任された主人公秋山氏は、「陛下のために、国の威信のために絶対に失敗があってはならない」とメニューに悩む。
2000人の要人に、ともかく同じ品質の食事を同時に出さなければならないという点で頭が一杯な秋山は、大量の食材が揃いやすく、全ての料理人が知っている調理法からメニューを考える。
それでは、「大失敗は免るかもしれないが、記憶に残る料理にはならない、すなわち失敗ではないか」と再考を迫られる秋山に、昔の上司が「フランスでは何と習ったか?」とヒントを与える。
そこで秋山はフランスで尊敬していた料理長の言葉を思い出す。
「料理は音楽だ」と。

「料理は音楽」
とりあえず胃の腑に栄養分が収まれば良いという私の調理を音楽で語るなら、味はともかく手際よくリズミカルに段取りがはかどることをもって「ブラボー」となるが、そこは一流の料理人、一品一品に手塩をかけるだけでなく、それぞれがハーモニーを奏でる味わいが必要なのだと思われる、多分。
一流の料理人たちが、メニューの作成から調理まで時に威風堂々を頭に響かせながら(笑)心を込めて作った食事を、気持ちよく召し上がることだけが皇族や王族方の最高にして唯一の役目なのだろうか。

ここで思い出すのが「殿下の料理番~皇太子ご夫妻にお仕えして」(渡辺誠)にある、その名もずばり
「ミュージックメニュー」だ。
1995年、皇后陛下の還暦を祝う祝宴が東宮御所で行われるにあたり、雅子妃殿下と「殿下の料理番」である渡辺氏は綿密な相談を重ねておられた。
当時を振り返って渡辺氏は、『雅子妃殿下が御成婚から二年足らずで両陛下の御料理のお好みを完全に理解し、それに適したアドバイスをなさるのにも驚いたが、それと同時に驚かされたのが、雅子妃殿下が示された「ミュージックメニュー」の存在だった』と書いている。

「ミュージックメニュー」
食事会のテーマに合わせ、ゲストのお好みを組み入れ、更には料理とのアンサンブルを考え曲目や作曲者が選ばれるという。

皇后陛下の還暦のお祝いによせて雅子妃殿下が選ばれた「ミュージックメニュー」
エルガー作曲「愛のあいさつ」に始まり、皇后陛下の作詞による「ねむの木の子守歌」まで全9曲。

雅子妃殿下によって「ミュージックメニュー」について知った渡辺氏がご自分の不明を悔み、それ以後クラッシックの専門家である佐藤勝美氏について勉強され始めたことは立派で、渡辺氏のようなプロ意識の高い方を私は尊敬しているが、それはともかく、この雅子妃殿下の教養と優しい御心配りのエピソードから「皇族・王族方と食事」について考えてみる。

皇室や王族の方の食事の場が、共に食事する人への敬意や友情を示す役割を果たしているならば、食事会で気持ちよく過ごすことはもちろんだが、その食事会の準備段階から相手のことを思いながら関わるのが、一番誠意ある姿勢ではないだろうか。

今年3月30日、デンマーク皇太子ご夫妻が東宮御所を訪問された。
デンマーク皇太子ご夫妻をお迎えする車寄せに雅子妃殿下のお姿がなかったことから批判する向きもあったが、それは4時間にも及ぶ晩餐会に向け体調を整える必要がありカメラ撮影を遠慮されたのだという。この一点をもって批判するのは如何なものだろうか。
雅子妃殿下は、デンマーク皇太子ご夫妻の晩餐会のために、両殿下の食事の嗜好や宗教的な配慮について事前に外務省に問い合わせ、その情報をもとに大膳職の人達とメニューとワインを考え準備に備えておられたという。

カメラの前でニッコリするのも大事な仕事には違いないが、二か国の皇太子ご夫妻が共に食事をし友情と敬意を確かめられるとき、雅子妃殿下の優しさと配慮の行き届いた「おもてなし」は、カメラには映らないが確実に存在する大仕事であると思われる。
カメラに映らない雅子妃殿下のお姿といえば、東宮御所で祝宴が催されて忙しいときなど、雅子妃殿下は大膳職の方々とご一緒に皿洗いまでなさるという。

「やまとなでしこ」とは、見た目の清楚な美しさばかりを言うのではないはずだ。
誰が見ていなくとも、カメラがないところでも、誰にも理解されなくとも、成すべきことを成す奥ゆかしさを秘めていてこそ、真の大和撫子だと思う。
真の大和撫子である雅子妃殿下を信じている。
「撫子」とは撫でるように可愛がっている子、愛しい子という意味があるそうだが、雅子妃殿下が大切に育てておられる敬宮様を信じている。

真の大和撫子の愛と勝利を祈っている。