昨日、「名山名士を出だす」と書いた。
この言葉は、「岳 みんなの山」(石塚真一)で知り感銘を受けたので、例によって例の如く読書備忘録に記していたのだが、借りて読んだので出典が書いてあったかどうか今となっては分からない。
これも私の悪い癖で、言う前書く前に調べれば良いものを、言ってから書いてから調べてコソコソ訂正したり言い訳しなくてはならなくなる。
「名山名士を出だす」
名山出名士 めいざんめいしをいだす
此語久相伝 このごひさしくあいつとう
試問巖城下 こころみにとうがんじょうのもと
誰人天下賢 たれびとかてんかのけんなるぞ
これは、「坂の上の雲」(司馬遼太郎)にも登場した明治の言論人(日本新聞の社長にして主筆を務めた)
陸羯南が故郷の友に乞われて詠んだ五言絶句で、
「日本全国立派な山のあるところには必ず偉人が輩出している。この言葉が伝えられて久しいが、岩木山の麓に生まれた人に問いたい、岩木山の麓に生まれた人物で誰か一人でも天下の賢(偉人)となった人がいるだろうか、いや未だ誰もいないのではないか」 という意味だそうだ。
ちなみに、これを書くため検索していると、この五言絶句を紹介する人の多くが「陸羯南」こそ岩木山が産んだ天下の賢だと書いていた。
では、私が昨日「名山名士を出だす」と書いた心はというと、「立派な山に登って精神修養すれば立派な人になる」という(勝手な)理解から、概して「登山家には立派な人物が多い」という自己解釈によるものであった。
本格的登山家という人種に会ったことはないのに、「登山家には立派な人物が多い」と思い込んでいるのには理由がある、多分。
皇太子殿下、その人だ。
東宮に世継ぎがおられないということからくる御立場の脆さは古今東西の歴史や物語を読むまでもなく分かることだが、御自身の御立場という問題以上に、125代途切れたことがない(ということになっている・・・・・源氏物語などを読めば疑わしい話は幾つかあったはずだが)男系男子という歴史的重みも歴史学者である皇太子様はしっかり受け留めておられたはずだ。
皇太子様の周囲には幾重にも絡まる糸が張り巡らされお心が休まることがないであろう上に、男児出産の重圧から雅子妃殿下は長く心の病に倒れられ、長きにわたる不妊治療のすえ授かられた一粒種の姫は、女児だという理由であらゆる手法で攻撃を受けておられる。
しかし、皇太子様の穏やかで品格ある佇まいと眼差しは、何時いかなる時も変わることがない。
皇太子様のような素晴らしい人格を育む要素は何かと考えた時、以前 「イーハトーブの星」でも書いた「楽器の練習を通じて精神修養されている賜物」でもあるのだろうが、山に登られることもあるのではないかと考えていた。
深田久弥氏は「日本百名山」で、評論家臼井吉見氏の恩師の言葉を紹介している。
「常念を見よ」
この言葉を念頭において皇太子様が常念にも登られていることに思いを巡らし、「登山家には立派な人物が多い」につながっていったのだが、常念の麓松本では学校登山で必ず常念に登るというので、私のなかでは、この解釈で合っていることにしておく。
ところで、「岳 みんなの山」からは、もう一つ備忘録に記されている言葉がある。
一つ、 困難は自分一人で乗り越える
二つ、 誰かの困難は自分一人でも全力で助ける
三つ、 山では笑う
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写真出展 ウィキペディア
この言葉は、「岳 みんなの山」(石塚真一)で知り感銘を受けたので、例によって例の如く読書備忘録に記していたのだが、借りて読んだので出典が書いてあったかどうか今となっては分からない。
これも私の悪い癖で、言う前書く前に調べれば良いものを、言ってから書いてから調べてコソコソ訂正したり言い訳しなくてはならなくなる。
「名山名士を出だす」
名山出名士 めいざんめいしをいだす
此語久相伝 このごひさしくあいつとう
試問巖城下 こころみにとうがんじょうのもと
誰人天下賢 たれびとかてんかのけんなるぞ
これは、「坂の上の雲」(司馬遼太郎)にも登場した明治の言論人(日本新聞の社長にして主筆を務めた)
陸羯南が故郷の友に乞われて詠んだ五言絶句で、
「日本全国立派な山のあるところには必ず偉人が輩出している。この言葉が伝えられて久しいが、岩木山の麓に生まれた人に問いたい、岩木山の麓に生まれた人物で誰か一人でも天下の賢(偉人)となった人がいるだろうか、いや未だ誰もいないのではないか」 という意味だそうだ。
ちなみに、これを書くため検索していると、この五言絶句を紹介する人の多くが「陸羯南」こそ岩木山が産んだ天下の賢だと書いていた。
では、私が昨日「名山名士を出だす」と書いた心はというと、「立派な山に登って精神修養すれば立派な人になる」という(勝手な)理解から、概して「登山家には立派な人物が多い」という自己解釈によるものであった。
本格的登山家という人種に会ったことはないのに、「登山家には立派な人物が多い」と思い込んでいるのには理由がある、多分。
皇太子殿下、その人だ。
東宮に世継ぎがおられないということからくる御立場の脆さは古今東西の歴史や物語を読むまでもなく分かることだが、御自身の御立場という問題以上に、125代途切れたことがない(ということになっている・・・・・源氏物語などを読めば疑わしい話は幾つかあったはずだが)男系男子という歴史的重みも歴史学者である皇太子様はしっかり受け留めておられたはずだ。
皇太子様の周囲には幾重にも絡まる糸が張り巡らされお心が休まることがないであろう上に、男児出産の重圧から雅子妃殿下は長く心の病に倒れられ、長きにわたる不妊治療のすえ授かられた一粒種の姫は、女児だという理由であらゆる手法で攻撃を受けておられる。
しかし、皇太子様の穏やかで品格ある佇まいと眼差しは、何時いかなる時も変わることがない。
皇太子様のような素晴らしい人格を育む要素は何かと考えた時、以前 「イーハトーブの星」でも書いた「楽器の練習を通じて精神修養されている賜物」でもあるのだろうが、山に登られることもあるのではないかと考えていた。
深田久弥氏は「日本百名山」で、評論家臼井吉見氏の恩師の言葉を紹介している。
「常念を見よ」
この言葉を念頭において皇太子様が常念にも登られていることに思いを巡らし、「登山家には立派な人物が多い」につながっていったのだが、常念の麓松本では学校登山で必ず常念に登るというので、私のなかでは、この解釈で合っていることにしておく。
ところで、「岳 みんなの山」からは、もう一つ備忘録に記されている言葉がある。
一つ、 困難は自分一人で乗り越える
二つ、 誰かの困難は自分一人でも全力で助ける
三つ、 山では笑う
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「山平らかで天成る」「皇太子御一家のお幸せ」を常に念じる
写真出展 ウィキペディア