正直なところ、KKコンビニはあまり興味はなかった。
チビッ子チームで一番ショート(控えピッチャー)だった自分が憧れ応援していたのは、宇部商だった。
宇部商の控えのピッチャー古谷君だった。
とはいえ、宇部商にも山口県にも、何の縁もゆかりもない。
夏がくれば、贔屓のチームがなくとも甲子園をとりあえず見て、見ているうちに贔屓のチームをつくり熱心に応援するというのが、我が家のスタイルだった。
そして、私はといえば子供の頃から既に、頑張っているのに報われない、だが腐らず真面目に頑張る人、を応援する気質があったのだと思う。
宇部商の古谷君にはまってしまった。
かなり昔の記憶なので曖昧な部分はあるが、たしか宇部商には知られた本格派のエースがいた。
この投手が君臨する限り、古谷君には出番はないはずだった。
しかし、控えの古谷君は、ふて腐れることなく真面目に地道に練習をしていたのだと思う。
出番は甲子園の本番に突然やってきた。
準準決勝では走者を背負ってのピンチに登場し見事に抑え、準決勝では大量得点を取られた後に登場これまた見事な好投で味方打線の反撃と勝利を呼び込んだ。
ついに決勝の日、甲子園で一度も任されたことのない先発投手となったのだ。
手に汗握り応援した。
投げても投げても、Kは打つ。
古谷君はマウンド上で頻繁にかがみこんでは、靴ひもを結びなおしていた。
靴ひもを結びなおしながら、冷静になろうとしていたのだと云う。
だが、「どこに投げても打たれてしまった、もう投げる球がないと思った」と試合後古谷君は正直に述べている。
万年控えながらリリーフとして準々決勝・準決勝とチームを勝利に導き、決勝でついに初めて先発を任され、あのKKコンビに一歩も譲らず真っ向から勝負に挑んだ古谷君を讃える記事の見出しは「さわやか真っ向勝負」だった。
この「さわやか真っ向勝負」の切り抜きと写真は、かなり後々まで私の机の上に飾られていて、私を励ましてくれたものだった。
最近世を騒がしているKKコンビの一方のニュースには関心がなかったが、宇部商や古谷君を思い出させてくれる記事を見つけた。
<PLに敗れた宇部商・藤井さん「まだ君に憧れている人たくさんいる」…清原容疑者へメッセージ>
スポーツ報知 2月5日(金)7時5分配信より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160204-00000202-sph-soci
85年夏の甲子園決勝で清原容疑者を擁するPL学園(大阪)に敗れた宇部商(山口)の藤井進さん(47)が4日、ライバルの逮捕に思いを語った。大会本塁打記録をめぐってデッドヒートを繰り広げた同学年の英雄へ「今も憧れている人がたくさんいることを忘れないでほしい」とメッセージを送った。
あの夏から31年後に届いた衝撃の一報について、藤井さんは「なんと言ったらいいか分かりませんが、残念です。同い年の僕にとっては今も憧れ…雲の上の存在ですから」と率直な思いを口にした。
聖地に響いた球音、空高く架かった放物線を今も覚えている。85年夏の甲子園。藤井さんは準決勝までに計4本塁打の大会新記録を樹立して決勝に臨んだが、清原容疑者が大舞台で2発。通算5本塁打と記録を塗り替え、チームを全国制覇に導いた。「バックスクリーンへの打球をセンターで見送りました。ここで打ったらヒーローって場面で、本当に打っちゃうんですからね。悔しさはなかったです。ただ『さすが清原だな』と」
大会後は共に高校日本代表として日韓米対抗野球に出場。クリーンアップを打った。「バッティングのアドバイスもしてくれたり、アイドルの話をしたり。気を使ってくれる兄貴分。そんな感じでした」
その後、野球の道を諦めて会社員になった藤井さんにとって、同学年の清原容疑者は夢を託す英雄で在り続けた。「清原と戦ったことはずっと付いて回りましたけど、僕にとって誇りであり、支えでもありました」。引退するまで、常に打撃成績を気にしていたという。
今、心の中にあるのは失望だけではない。更生を期待している。「まだ君に憧れている人がたくさんいるんだということを、清原には忘れないでほしいです。吹っ切って、二度と薬に手を出さないでほしい」。切なる願いが届く日は、来るだろうか。
藤井選手のことも覚えている。
先取点を取られた後にいくら古谷君が好投しても、それだけでは勝つことはできない。
この記事にある藤井選手がホームランとヒットを量産したおかげで逆転できたのだ。
あの頃はKKコンビの活躍ばかりが報道されたが、たしか藤井選手の打点はKを上回り、長く破られていなかったはずだ。
藤井選手は豪快なスイングと男前の顔をくしゃくしゃにして笑う笑顔が印象的な選手だったが、自分が憧れ応援したのは(申し訳ないが)容貌も万年控えっぽい地味な古谷君であり、その古谷君がここ一番で主役となったことは子供心に胸を打つものがあったのだ。
このニュースを見て宇部商を検索し、あの山際淳司氏が「ルーキー」という作品を書いていること、そのなかで宇部商に触れていることを初めて知った。
あの山際氏と書くのは、山際氏には同じく高校球児を描いた「スローカーブを、もう一球」という作品があり、この作品を切っ掛けとして山岳小説を読み漁るようになったからだ。(参照、「みんな山が大好きだ」)
山際氏の視線と筆致は、功成り名遂げたが帰らぬ人となった登山家に対しても、どんなに努力しても報われなかったスポーツ選手に対しても、あたたかい。
山際氏がご存命なら、この事態をどう見て、どう書かれるかと思わずにはおれないが、それに思いを巡らせるため「ルーキー」を読んでみたいと思っている。
落ち込むばかりの最近だが、「さわやか真っ向勝負」を思い出したことで、少し元気がでた気がしている。
藤井選手は、「まだ君に憧れている人がたくさんいるんだ」とKを気遣うが、その藤井選手が活躍した宇部商の名勝負に憧れ励まされた当時のチビッ子は、今もそれを思い出しただけで元気がもらえると感じている。
そんな宇部商のナインの方々が、あの名勝負にふさわしい人生を送っておられることを願っている。
チビッ子チームで一番ショート(控えピッチャー)だった自分が憧れ応援していたのは、宇部商だった。
宇部商の控えのピッチャー古谷君だった。
とはいえ、宇部商にも山口県にも、何の縁もゆかりもない。
夏がくれば、贔屓のチームがなくとも甲子園をとりあえず見て、見ているうちに贔屓のチームをつくり熱心に応援するというのが、我が家のスタイルだった。
そして、私はといえば子供の頃から既に、頑張っているのに報われない、だが腐らず真面目に頑張る人、を応援する気質があったのだと思う。
宇部商の古谷君にはまってしまった。
かなり昔の記憶なので曖昧な部分はあるが、たしか宇部商には知られた本格派のエースがいた。
この投手が君臨する限り、古谷君には出番はないはずだった。
しかし、控えの古谷君は、ふて腐れることなく真面目に地道に練習をしていたのだと思う。
出番は甲子園の本番に突然やってきた。
準準決勝では走者を背負ってのピンチに登場し見事に抑え、準決勝では大量得点を取られた後に登場これまた見事な好投で味方打線の反撃と勝利を呼び込んだ。
ついに決勝の日、甲子園で一度も任されたことのない先発投手となったのだ。
手に汗握り応援した。
投げても投げても、Kは打つ。
古谷君はマウンド上で頻繁にかがみこんでは、靴ひもを結びなおしていた。
靴ひもを結びなおしながら、冷静になろうとしていたのだと云う。
だが、「どこに投げても打たれてしまった、もう投げる球がないと思った」と試合後古谷君は正直に述べている。
万年控えながらリリーフとして準々決勝・準決勝とチームを勝利に導き、決勝でついに初めて先発を任され、あのKKコンビに一歩も譲らず真っ向から勝負に挑んだ古谷君を讃える記事の見出しは「さわやか真っ向勝負」だった。
この「さわやか真っ向勝負」の切り抜きと写真は、かなり後々まで私の机の上に飾られていて、私を励ましてくれたものだった。
最近世を騒がしているKKコンビの一方のニュースには関心がなかったが、宇部商や古谷君を思い出させてくれる記事を見つけた。
<PLに敗れた宇部商・藤井さん「まだ君に憧れている人たくさんいる」…清原容疑者へメッセージ>
スポーツ報知 2月5日(金)7時5分配信より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160204-00000202-sph-soci
85年夏の甲子園決勝で清原容疑者を擁するPL学園(大阪)に敗れた宇部商(山口)の藤井進さん(47)が4日、ライバルの逮捕に思いを語った。大会本塁打記録をめぐってデッドヒートを繰り広げた同学年の英雄へ「今も憧れている人がたくさんいることを忘れないでほしい」とメッセージを送った。
あの夏から31年後に届いた衝撃の一報について、藤井さんは「なんと言ったらいいか分かりませんが、残念です。同い年の僕にとっては今も憧れ…雲の上の存在ですから」と率直な思いを口にした。
聖地に響いた球音、空高く架かった放物線を今も覚えている。85年夏の甲子園。藤井さんは準決勝までに計4本塁打の大会新記録を樹立して決勝に臨んだが、清原容疑者が大舞台で2発。通算5本塁打と記録を塗り替え、チームを全国制覇に導いた。「バックスクリーンへの打球をセンターで見送りました。ここで打ったらヒーローって場面で、本当に打っちゃうんですからね。悔しさはなかったです。ただ『さすが清原だな』と」
大会後は共に高校日本代表として日韓米対抗野球に出場。クリーンアップを打った。「バッティングのアドバイスもしてくれたり、アイドルの話をしたり。気を使ってくれる兄貴分。そんな感じでした」
その後、野球の道を諦めて会社員になった藤井さんにとって、同学年の清原容疑者は夢を託す英雄で在り続けた。「清原と戦ったことはずっと付いて回りましたけど、僕にとって誇りであり、支えでもありました」。引退するまで、常に打撃成績を気にしていたという。
今、心の中にあるのは失望だけではない。更生を期待している。「まだ君に憧れている人がたくさんいるんだということを、清原には忘れないでほしいです。吹っ切って、二度と薬に手を出さないでほしい」。切なる願いが届く日は、来るだろうか。
藤井選手のことも覚えている。
先取点を取られた後にいくら古谷君が好投しても、それだけでは勝つことはできない。
この記事にある藤井選手がホームランとヒットを量産したおかげで逆転できたのだ。
あの頃はKKコンビの活躍ばかりが報道されたが、たしか藤井選手の打点はKを上回り、長く破られていなかったはずだ。
藤井選手は豪快なスイングと男前の顔をくしゃくしゃにして笑う笑顔が印象的な選手だったが、自分が憧れ応援したのは(申し訳ないが)容貌も万年控えっぽい地味な古谷君であり、その古谷君がここ一番で主役となったことは子供心に胸を打つものがあったのだ。
このニュースを見て宇部商を検索し、あの山際淳司氏が「ルーキー」という作品を書いていること、そのなかで宇部商に触れていることを初めて知った。
あの山際氏と書くのは、山際氏には同じく高校球児を描いた「スローカーブを、もう一球」という作品があり、この作品を切っ掛けとして山岳小説を読み漁るようになったからだ。(参照、「みんな山が大好きだ」)
山際氏の視線と筆致は、功成り名遂げたが帰らぬ人となった登山家に対しても、どんなに努力しても報われなかったスポーツ選手に対しても、あたたかい。
山際氏がご存命なら、この事態をどう見て、どう書かれるかと思わずにはおれないが、それに思いを巡らせるため「ルーキー」を読んでみたいと思っている。
落ち込むばかりの最近だが、「さわやか真っ向勝負」を思い出したことで、少し元気がでた気がしている。
藤井選手は、「まだ君に憧れている人がたくさんいるんだ」とKを気遣うが、その藤井選手が活躍した宇部商の名勝負に憧れ励まされた当時のチビッ子は、今もそれを思い出しただけで元気がもらえると感じている。
そんな宇部商のナインの方々が、あの名勝負にふさわしい人生を送っておられることを願っている。