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He who laughs last laughs best

命と純粋&責任の物語

2016-02-07 23:01:07 | ニュース
12歳くらいと云うのは、世俗の垢にまみれておらず純粋で、しかし何かを訴えることで変わるかもしれないという行動力が身に付きはじめる年齢なのだろうか。
12歳の少女が書いた作文を契機に、命の大切さを伝える活動が広がりを見せているようだ。

<少女がつなぐ「78円の命」 猫殺処分の値段「胸がはりさけそう」> 東京新聞2016年2月6日 夕刊一部引用
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016020602000252.html
猫の殺処分に心を痛めた愛知県豊橋市の少女の作文「78円の命」がインターネットなどで広がり、共感を呼んでいる。賛同した東京の若手アーティストらが作文を絵本やポスターにして、全国の子どもたちに命の大切さを伝えようと動きだした。
作文は、豊橋市青陵中三年の谷山千華さん(14)が小学六年の夏休みに書いた。近所の野良猫「キキ」の産んだ子猫がいなくなったのをきっかけに、殺処分のことを知った。
処分の現状を伝える動画などをネットで見たところ、映し出された「処分費一匹七十八円」の文字に言葉を失った。子猫を捜しているかのようなキキのかれた声に、眠れなくなった。
思いを書き、市内小中学生の作文大会で発表すると最優秀賞に。地元で野良猫の保護活動をする市民団体がブログで紹介し「少女の悲しみに心が痛む」「無責任な大人たちが読むべきだ」と反響が広がった。
豊橋市の漫画家鈴尾粥さんが昨夏、漫画にしてインターネットで発表すると、東京都在住のライター戸塚真琴さんや写真家、デザイナーらの目に留まり、ボランティアのプロジェクトが始まった。
インターネットを通じて不特定多数に事業資金を募る「クラウドファンディング」で印刷費を集め、命の大切さを訴える絵本や啓発パンフレット、ポスターを四月に完成させる。まずは豊橋市の小中学校に寄贈し、全国に広めていく。
クラウドファンディングは「78円の命プロジェクト」でインターネット検索。三月三十一日まで。
◆作文抜粋「命の価値がたった…」
近所に捨てネコがいる。人なつっこい性格からいつの間にか近所の人気者になっていた。2年たった頃にうれしい出来事があった。赤ちゃんを産んだのだ。行き場所のない子ネコたちを近所の○○さんが預かってくれた。
ある日、子ネコの姿が見えなくなった。○○さんは「センターに連れて行ったよ」と、うつむきながら言った。たぶん新しい飼い主が見つかる所に連れて行って幸せに暮らせるんだなと思った。
学校で友達に話したら「保健所だろ? それ殺されちゃうよ」と言った。「そんなはずない。絶対幸せになってるよ」。授業中も保健所のことで頭がいっぱいだった。走って家に帰ると、パソコンの前に座った。
想像もできないざんこくなことがたくさんのっていた。見捨てられた動物は3日の間、飼い主をひたすら待ち続けるのだ。飼い主が見つからなかった時には、死が待っている。
10匹単位で小さな穴に押し込められ、二酸化炭素が送り込まれる。数分もがき、苦しみ、死んだ後はごみのようにすぐに焼かれてしまうのだ。動物の処分、1匹につき78円。命の価値がたった78円でしかないように思えて、胸が鳴り、はりさけそうになった。
命を守るのは私が考えるほど簡単なことではない。生き物を飼うということは一つの命にきちんと責任を持つことだ。今も近所に何匹かの捨てネコがいる。このネコたちをかわいがってもいいのか、ずっと悩んでいる。(一部抜粋、原文のまま)



このニュースを見て思い出すのは、やはり敬宮様の作文。
これまで何度か記してきたが、敬宮様はニュースで紹介されている少女と同じ12歳の時に、動物の殺処分がなくなるようにと願いをこめた作文を書かれている、しかも、それは初等科卒業記念文集の「夢」という課題において、書かれているのだ。
敬宮様は、道徳の授業で「ペットの命は誰のもの」という番組を見て年間27万頭もの犬猫が殺処分されているという現実を知られたそうだが、同じ番組を見ても受け留め方が異なり、命の重みに敏感なのは、敬宮様が7~8歳の頃にピッピとまりを見送っておられたからだと思われる。
そう思いながらも、動物の殺処分を理解できていなかった私が、その酷い実態に驚いたのは「犬とあなたの物語~犬の名前」(十倉和美)を読んでのことだ。(参照、「犬と私の物語」
飼い主が飽きたという理由で動物施設に持ち込むのは論外だが、さまざまな経緯で施設に持ち込まれた動物は、新たな飼い主が見つからない限り、たった数日で殺処分されてしまう。一日たつごとに奥の部屋へと移動させることも残酷なら、その最期の処置も極めて残酷だ。
そんな残酷な現実を作り出している大人社会を、このニュースの少女は責めるのではなく、今も近所にいる何匹かの捨て猫を『かわいがってもいいのか、ずっと悩んでいる』 という。
二年間近所に居ついた捨てネコを見守るなかで、少女自身『命を守るのは私が考えるほど簡単なことではない。生き物を飼うということは一つの命にきちんと責任を持つことだ。』と理解したからこそ、殺処分の酷さに涙して尚、近所の捨て猫をかわいがっても良いのかと悩むのだと思われる。この少女の作文を中心に活動が広がったのは、ただ命の重みを理解しただけでなく、責任をもって命と向き合う姿勢が示されているからではないだろうか。

それは、敬宮様の作文と姿勢にも通じている。

この土曜日もまた私達はワンコ聖地をお参りしてきた。
あれから毎週週末は、ワンコ聖地へ花を手向けに出かけるが、人間世界は’’墓の墓’’が社会問題となっているのにワンコ聖地はいつもきれいな花が供えられ、いつも誰かが涙を浮かべてお参りしている。
それほどに辛い家族ペットとの別れを幼少期に経験された敬宮様だからこその『犬も猫も殺処分されない世の中の実現に向けて、たくさんの人に動物の良さが理解され、人も動物も大切にされるようになることを願っています。 』という願い(作文)だが、その願いに説得力があるのは、皇太子御一家が飼われるのは迷い犬・猫として保護されたものばかりであり、それらの犬や猫を敬宮様が決して野良犬・猫とは呼ばれない優しさに、強い意思が感じられるからだ。

辛い経験をすることも厳しい事実を知ることも、12歳の少女には悲しいことには違いないが、純粋で瑞々しい感性だからこそ、世に訴えるものがある、そのあたりについては、つづく


『動物達の大切な命』       敬宮愛子

 道徳の授業で、「ペットの命は誰のもの」という番組を見て、私は、年間27万頭以上もの犬猫が保健所などで殺処分されている現実を知りました。動物達にも命があるのに、なぜ殺されなければならないのか、かわいそうに思いました。
 私の家では犬一頭と猫2頭を飼っています。みんな保護された動物です。前に飼っていた二頭の犬も保護された犬でしたが、どのペットも、可愛がって育てたらとても大切な家族の一員になりました。動物がいることで癒されたり、楽しい会話がうまれたりして、人と動物の絆は素晴らしいものだと実感しています。私が飼っている犬は、病院に入院している子供達を訪問するボランティア活動に参加し、闘病中の子供達にもとても喜ばれているそうです。
 また、耳の不自由な人を助ける聴導犬や、体に障害のある人を助ける介助犬は、保健所に収容された、飼主の見つからない犬達の中から育成されて、障害のある人々の役に立つ素晴らしい仕事をしているそうです。
 私はこのような、人と動物の絆の素晴らしさや、命の大切さを広く伝えていかれたらよいと思います。そして、犬も猫も殺処分されない世の中の実現に向けて、たくさんの人に動物の良さが理解され、人も動物も大切にされるようになることを願っています。