本日12月1日は、皇太子ご夫妻の長女 敬宮愛子内親王殿下の16歳のお誕生日であると同時に、およそ25年ぶりに皇室会議が開かれた日でもある。
<新天皇、19年5月1日即位=平成は31年で幕―政府、儀式検討に着手> 時事通信 12/1(金) 19:20配信より引用
天皇陛下が退位される日程をめぐり、安倍晋三首相が衆参両院議長や皇族らの意見を聴く皇室会議が1日、宮内庁特別会議室で開かれ、2019年4月30日に退位すべきだとの意見を決めた。
これを踏まえ、政府は退位日を定める政令を8日に閣議決定する。皇太子さまは翌5月1日に即位、合わせて改元も行われ、平成は31年で幕を下ろす。天皇退位は1817年の光格天皇以来、約200年ぶりで、現行憲法下では初めて。政府は即位や退位の儀式の検討を本格化させる。
それによって利益を受ける処からのリークにより生前退位という近代例のない事態が動き出して以来、法案が成立する過程も内容も その報じ方も注目してきたが、これほど欺瞞に満ちたものはなく、このような為さり様が いと高き処で行われるのならば、もはや我が国の ’’立憲君主制・君臨すれども統治せず’’ は崩壊したも同然だと考えていた、それが事実上出来上がってしまった日となってしまった。
勿論、国民生活に直結する改元の日時の決定は重要だが、一連の法案と皇室会議が意味する一番の肝は、そしてそれ故に隠されている重大事項は、近代以降続いていた直系継承が途絶え傍系へと皇位が移行することが決定づけられるということだ。
今現在、御称号をお持ちの内親王殿下は、敬宮愛子内親王殿下お一人だ。
次代、天皇陛下に直系のお姫様がいらっしゃるにもかかわらず、しかもお姫様を戴く法案が準備された経緯もあったにもかかわらず、混沌としたなか、今日の日を迎えてしまった。
「幸いをもたらす12月1日」で、「家栽の人」(作・毛利甚八 画・魚戸おさむ)のピラカンサの章にある印象的な言葉を記した。
『気持ちよく帰れる家は冬の日のピラカンサみたいなものですよ』
『生まれた家が大切だなんて、平凡なことを言ってしまいました。
でも、平凡なことを忘れた時に、人は争うんですね』
皇室とは、私にとって、そして多くの日本人にとっては、ある種の心の拠り所 ’’家’’ではないだろうか。
それは、守るべき伝統や風習の象徴としてだけでなく、ある時は往くべき方向を照らす道標ともなり、又ある時は人間の良心や善意や矜持を率先垂範される御存在でもあったはずだ。
そのような総意・象徴としての天皇と皇室には、 これからも、日本国民が気持ちよく寄することができる心の拠り所 ’’家’’ であって頂きたいと切に願っていた。
だが、少なくとも この十数年、皇室をとりまく環境は、安寧や良心や善意や矜持を体現するところではなく、醜い争いを見せつけるところとなっていた。
それは、誰も彼もが、気持ちよく帰れる ’’家’' が続くことの重要性を置き去りにして、自説と我欲を振りかざした所為であるが、その結果 我々はいつか、桑田判事の忠告を聞かず、家をバラバラにしてしまった人と同じ嘆きを口にする日がくるように思えてならない・・・「家をなくしてしまうことは簡単なんだ」。
冬の日のピラカンサたる ’’家'' は、ただ器が整っていればいいというものではない。
そこに集う人あっての ’’家'' であり、集う人が連綿と続いていくことあっての ’’家’’であり、その ''家'' に続いて欲しいと願う人々あっての、「家」である。
細い細い一本の糸に縋る無理と重圧を強いるより、世界に先駆け存在された女性天皇を21世紀の今また戴く道をとるほうが、どれほど ’’家’’ が明るく繁栄するだろうか。
何度でも云う
今現在、唯一 御称号をお持ちの内親王殿下である敬宮愛子様は、次代の天皇陛下の直系のお子様だ。
その敬宮様の御存在の尊さに、国民が気づくことを恐れ、その存在を無いものにせんとばかりに起こされた官民あげての醜く穢れた大バッシングに、敬宮様は時に打ちのめされながらも、誰も責めることなく全てを受け留め、いつも しなやかに、しかし敢然と立ち上がれてきた。
その優しさに包まれた強靭な精神こそ、未来に続く’’家’’の土台にふさわしいと、私には思えるのだ。
敬宮様のお誕生日の12月1日、皇室会議が開かれた、この日、これからも心をこめて敬宮様を応援していく決意を新たにしている。
参照、
<「おことば」が始まり 陛下と憲法、政府苦心> 毎日新聞12/1(金) 13:35配信より一部引用
退位への動きは、2016年8月に天皇陛下が退位の意向がにじむおことばを公表されたことから始まった。憲法は天皇の政治的関与を禁じており、陛下の意向で直接、退位が実現する形にはできない。政府はいかに陛下の政治的関与とならないようにするかに苦心してきた。
皇室典範は「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)(皇位継承順位1位の皇族)が、直ちに即位する」と定めており、退位の規定はない。退位実現にはなんらかの法的整備が必要だ。
憲法4条は「天皇は国政に関する権能を有しない」と定める。陛下のおことばを受けて政府が法整備に直接動くわけにはいかない。
衆参両院の正副議長のもとで行われた与野党協議でも「天皇の意思」をどう取り扱うかが問題になった。だが、「天皇の意思」を要件とすれば、憲法に抵触する恐れがある。
皇室会議については、皇室会議の議決を要件とはしないことで「天皇の意思」が直接反映されないようにすると同時に、強制退位などが行われないようにする実質的な担保とした。
<新天皇、19年5月1日即位=平成は31年で幕―政府、儀式検討に着手> 時事通信 12/1(金) 19:20配信より引用
天皇陛下が退位される日程をめぐり、安倍晋三首相が衆参両院議長や皇族らの意見を聴く皇室会議が1日、宮内庁特別会議室で開かれ、2019年4月30日に退位すべきだとの意見を決めた。
これを踏まえ、政府は退位日を定める政令を8日に閣議決定する。皇太子さまは翌5月1日に即位、合わせて改元も行われ、平成は31年で幕を下ろす。天皇退位は1817年の光格天皇以来、約200年ぶりで、現行憲法下では初めて。政府は即位や退位の儀式の検討を本格化させる。
それによって利益を受ける処からのリークにより生前退位という近代例のない事態が動き出して以来、法案が成立する過程も内容も その報じ方も注目してきたが、これほど欺瞞に満ちたものはなく、このような為さり様が いと高き処で行われるのならば、もはや我が国の ’’立憲君主制・君臨すれども統治せず’’ は崩壊したも同然だと考えていた、それが事実上出来上がってしまった日となってしまった。
勿論、国民生活に直結する改元の日時の決定は重要だが、一連の法案と皇室会議が意味する一番の肝は、そしてそれ故に隠されている重大事項は、近代以降続いていた直系継承が途絶え傍系へと皇位が移行することが決定づけられるということだ。
今現在、御称号をお持ちの内親王殿下は、敬宮愛子内親王殿下お一人だ。
次代、天皇陛下に直系のお姫様がいらっしゃるにもかかわらず、しかもお姫様を戴く法案が準備された経緯もあったにもかかわらず、混沌としたなか、今日の日を迎えてしまった。
「幸いをもたらす12月1日」で、「家栽の人」(作・毛利甚八 画・魚戸おさむ)のピラカンサの章にある印象的な言葉を記した。
『気持ちよく帰れる家は冬の日のピラカンサみたいなものですよ』
『生まれた家が大切だなんて、平凡なことを言ってしまいました。
でも、平凡なことを忘れた時に、人は争うんですね』
皇室とは、私にとって、そして多くの日本人にとっては、ある種の心の拠り所 ’’家’’ではないだろうか。
それは、守るべき伝統や風習の象徴としてだけでなく、ある時は往くべき方向を照らす道標ともなり、又ある時は人間の良心や善意や矜持を率先垂範される御存在でもあったはずだ。
そのような総意・象徴としての天皇と皇室には、 これからも、日本国民が気持ちよく寄することができる心の拠り所 ’’家’’ であって頂きたいと切に願っていた。
だが、少なくとも この十数年、皇室をとりまく環境は、安寧や良心や善意や矜持を体現するところではなく、醜い争いを見せつけるところとなっていた。
それは、誰も彼もが、気持ちよく帰れる ’’家’' が続くことの重要性を置き去りにして、自説と我欲を振りかざした所為であるが、その結果 我々はいつか、桑田判事の忠告を聞かず、家をバラバラにしてしまった人と同じ嘆きを口にする日がくるように思えてならない・・・「家をなくしてしまうことは簡単なんだ」。
冬の日のピラカンサたる ’’家'' は、ただ器が整っていればいいというものではない。
そこに集う人あっての ’’家'' であり、集う人が連綿と続いていくことあっての ’’家’’であり、その ''家'' に続いて欲しいと願う人々あっての、「家」である。
細い細い一本の糸に縋る無理と重圧を強いるより、世界に先駆け存在された女性天皇を21世紀の今また戴く道をとるほうが、どれほど ’’家’’ が明るく繁栄するだろうか。
何度でも云う
今現在、唯一 御称号をお持ちの内親王殿下である敬宮愛子様は、次代の天皇陛下の直系のお子様だ。
その敬宮様の御存在の尊さに、国民が気づくことを恐れ、その存在を無いものにせんとばかりに起こされた官民あげての醜く穢れた大バッシングに、敬宮様は時に打ちのめされながらも、誰も責めることなく全てを受け留め、いつも しなやかに、しかし敢然と立ち上がれてきた。
その優しさに包まれた強靭な精神こそ、未来に続く’’家’’の土台にふさわしいと、私には思えるのだ。
敬宮様のお誕生日の12月1日、皇室会議が開かれた、この日、これからも心をこめて敬宮様を応援していく決意を新たにしている。
参照、
<「おことば」が始まり 陛下と憲法、政府苦心> 毎日新聞12/1(金) 13:35配信より一部引用
退位への動きは、2016年8月に天皇陛下が退位の意向がにじむおことばを公表されたことから始まった。憲法は天皇の政治的関与を禁じており、陛下の意向で直接、退位が実現する形にはできない。政府はいかに陛下の政治的関与とならないようにするかに苦心してきた。
皇室典範は「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)(皇位継承順位1位の皇族)が、直ちに即位する」と定めており、退位の規定はない。退位実現にはなんらかの法的整備が必要だ。
憲法4条は「天皇は国政に関する権能を有しない」と定める。陛下のおことばを受けて政府が法整備に直接動くわけにはいかない。
衆参両院の正副議長のもとで行われた与野党協議でも「天皇の意思」をどう取り扱うかが問題になった。だが、「天皇の意思」を要件とすれば、憲法に抵触する恐れがある。
皇室会議については、皇室会議の議決を要件とはしないことで「天皇の意思」が直接反映されないようにすると同時に、強制退位などが行われないようにする実質的な担保とした。