何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

行けなかった道

2017-12-17 23:00:00 | ひとりごと
山を歩いていると、木製の標識に よく出会う。
槍ケ岳と穂高連峰と蝶が岳への分岐となる横尾には幾つか木製の標識があるが、自分が登らない山への道標を見るのも、次の山歩きへの期待が膨らみ、楽しい。
 

だが、今日見つけた標識には、深く考えさせられるものがあった。
素敵な写真が掲載されているブログをぶらぶら訪問するのが、最近の私の楽しみの一つだが、そんなブログの一つに、金剛山山頂付近の標識が掲載されていた。
頂上まで あと一息という所にある木製の標識は、「楽な道」「近道」と二手に分かれている。
これが、痛く心に刺さったのは、最近「嫌な事とダメな事」の狭間で迷うことが多いからかもしれないし、迷った時に思い出す「道」に関する詩がズシリと重いからかもしれない。

「行かなかった道」
森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
長い間立ち止まって
私は一方の道を眺めていた
その先は折れており、
草むらの中に消えている
それからもう一方の道を眺めた
一見同じようだが
私の心はこちらのほうを選んだ
なぜならこちらの道は
草がぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたからだ
いま深いためいきとともに
私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。
そして私は…
人があまり通っていない道を選んだ
そのことが
どれだけ大きく
私の人生を変えたことかと
「THE ROAD NOT TAKEN」(Robert Lee Frost)より


敢えて、人が通ってない道や困難な道を選んでいるつもりはないが、気がつくと孤独で困難な道を選んだように思えるのは、気のせいだろうか。
いつもそんな不満を抱えている私なので、金剛山9合目にあるという「近道」「楽な道」の標識を見るため、いつか金剛山に登りたいと決意しつつ、今まで見た標識で一番ドキリとしたものを思い出してみた。
殺生分岐だからといえ、生きるか死ぬかの分かれ目というわけでは勿論ない。
直登せず右に折れ、しばらく歩いたところに殺生ヒュッテがあるため、この標識になったのだろうが、頂上も槍ヶ岳山荘も見えているのに、なかなか辿り着かない生殺しのような急坂には、もってこいの標識だと思っている。「ずぶの素人改めダメな素人」

現時点で、生きるか死ぬかの分かれ目という選択は迫られたことがない。
それを以て幸いと云うべきなのだろうか?