何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

明日も、明日の明日も味方 その弐

2017-12-10 21:32:37 | ひとりごと
「明日も、明日の明日も味方 その壱」より

春以降、少し憂鬱な日が続いていた。
年を考えれば、要求されるものに変化が生じるのは仕方がないが、少しばかり立場が重くなろうが少しばかり実入りが良くなろうが、それに伴う責任やら めんどくささを思うと、先のことを一切考えたくないというレベルまで嫌になっていた。
だから、どうにも憂鬱だと思っていた頃に読んだ、九州北部豪雨について書かれたブログには、考えさせられるものがあった。

最近 災害が起こる度に、「ここに〇十年住んでいるが、こんな災害に遭うのは初めて」という被災者の方の言葉をよく耳にする。
その言葉を聞く度、明日は我が身だと気を引き締めてきたつもりだが、毎日訪問している高齢犬ブログが伝える生の声は、防災意識 以外の何かを私に与えた。

30人以上の犠牲者を出した雨が降り始める日(7/5)も、いつも通り朝早くブログを更新されていた。
その日(7/5)はむしろ、(直前の)台風の被害がなかったと明るく報告されていたのだが、翌日(7/6)のブログは内容が一変していた。
前日(7/5)の朝 出勤時には降っていなかった雨は、昼頃から本降りになり、夕方帰宅する頃には少しの距離歩いただけでも濡れ鼠になるほどだったという。
そして一晩中、雷鳴とともに降り続いた雨は、ブログ主さんの地には被害をもたらさなかったものの、川を一つ隔てただけの隣の朝倉市に甚大な被害を与えたという。

それは、私に大きな衝撃を与えた。
何気ない日常が、たった一日で覆されることがある。
ほんの少しの違い(川幅)で、命も財産もすべてが変わってしまうこともある。
そんなことは、毎年のように繰り返される災害の度に伝え聞き頭では理解していたのだが、毎日訪問している わんこブログが綴る生の声は、私の身に迫ってきた。
それ以来、「明日と云う日があるとは限らないのに、あまり先のことを思い煩うのはやめよう」「先ずは今日と云う日を精一杯頑張ろう」と心に定め、やってきた。
それは、かなり憂鬱の虫に憑りつかれた私にとって、必要な教えだった。
だが、最近読んだ本に、明日と云う日に希望を見出せる言葉を見つけた。

「晴れ ときどき 涙雨」(高田郁)
「みをつくし料理帖」シリーズや「あきない世傳 金と銀」シリーズは勿論のこと、ワンコを見送った直後に読んだ「蓮花の契り」(高田郁)はワンコからの贈り物としか思えなかったこともあり、高田氏の作品はスト―リーだけでなく個人的に心打たれるものがあるのだが、その理由が、本書「晴れ ときどき 涙雨」を読むと、よく分かる。(「庭の草木の祈り」
高田氏と共有する私の古傷・生傷については書かないが、本書を読み、なるほどと納得した。
そんな「晴れ ときどき 涙雨」には、’’明日’’に希望を感じさせてくれる言葉が記されている。

『明日は味方』
これは高田氏が、尊敬する山本一力氏から贈られた言葉だという。
両目の網膜に孔が開き、思うように視界がきかない不自由と心細さのなか書き上げた作品の授賞式で、山本氏から贈られた言葉だそうだ。
残念ながら大賞がでなかった授賞式で、奨励賞をとった高田氏に「俺が一番好きな言葉なんだ」と言いながら、この言葉を贈った山本氏。
その言葉を今度は、高田氏が読者に届けてくれる。
『皆の衆、今日は試練の一日だったとしても、「明日は味方」だ』

ただただ憂鬱の虫に憑りつかれていた時期は過ぎ、前を向いて 少しは力強く 歩いていかなければならない今、「明日は味方」という言葉は心強いものに感じられたが、その想いを一層強くさせて下さったのは、
雅子妃殿下のお誕生日の感想と御姿だ。

そのあたりは、又つづく