「煩悩具足せる凡夫なり①」「煩悩具足せる凡夫なり②立春」「煩悩具足せる凡夫なり③」
東本願寺ギャラリーで「我等は絶対的に 他力の掌中に 在るものなり」という言葉を前にして、久しぶりに「他力」(五木博之)を思い出した。
アオサギの出迎えを受けながら?阿弥陀堂門をくぐった写真から、御影堂門を後にするまでの写真を振り返っている間に、なんとか’’他力’’について理解を深めたいと思ったが、やはり難しかった。
以前「他力」を読んだ時は、自力で全てを解決できるとは思わないまでも、’’他力’’と言い切るには まだ青かった。
その後 年を重ねるごとに、自力の限界は身をもって知ることになるが、自分自身が’’他力’’の恩恵?のようなものに浴したことがないため、「絶対的な他力の掌中にある」という言葉は、私の中では「自分ではどうしようもないような、他からの(芳しくない)影響」と自動変換されてしまう。
こんな私が、今一度「他力」を読み返したぐらいで、親鸞・蓮如が説く’’他力’’を理解できるはずもないが、考えるヒントとなる例の一つを、とりあえずは記しておきたい。
(『 』「他力」より引用)
『エンジンのついていないヨットは、まったくの無風状態であれば走ることはできない。少しでも風があればなんとかなるでしょうが、そよとも吹かなければお手上げです。
ヨットの上で、どんなにがんばっても無駄です。他力の風が吹かなければ、私たちの日常生活も、本当は思うとおりにはいかないものです。~略~
しかし、風が吹いてきたときに、ヨットの帆をおろして居眠りしていたのでは、走る機会を逃してしまいます。ですから、無風状態がどれほど続いても、じっと我慢し、注意深く風の気配を待ち、空模様を眺めて、風を待つ努力は必要なわけです。』
ここで、「なるほど、五木氏は、風をまつ努力を<自力>と考えるのか」などと思ってはいけない。
五木氏は、それすら<自力>ではなく、<他力>の働きによるのではないかと考える。
『無風に負けず、じっと風を待ち、いつでも風に応ずる緊張感、その努力をヨットマンにあたえ、そして「いつか風は吹く」というくじけぬ信念を持続させるもの、それこそまさに<他力>の働きだと思うようになったのです。
「やる気」をおこすこと、また、「人事をつくして天命を待つ」という気に、おのずとさせる不思議な力、それこそまさしく<他力>の働きの本質でしょう。
「人事をつくして天命を待つ」
という言葉を、
「人事をつくすは、これ天命なり」
と、私は勝手な読み方をしています。<天命>を<他力>の意味に受けとめるのです。』
一見分かりやすそうな この例の理解が私に難しいのは、「落日燃ゆ」(城山三郎)で記されていた、広田弘毅の歌が思い浮かぶからかもしれない。
『風車 風が吹くまで 昼寝かな』
この歌は、文官でただ一人A級戦犯として絞首刑に散った内閣総理大臣・広田弘毅が、外交官だった時に左遷先のオランダで詠んだものだ。
その後 広田氏は吹いてきた風に乗り位人臣を極めるが、最終的には絞首刑になる。
この歌とその結末を思うせいか、五木氏が云う肯定的な意味合いでの ’’他力の風’’を信用することは難しい。
それは、ここ数日、’’他力’’の本家本元の写真を見ながら「他力」を読んだくらいでは、変わりようはない。
だが、尊い教えの真意が理解できないからといえ、御影堂門を後にする私の心が満たされていないわけでは決してない。
いつ訪れても、東本願寺は いいお寺だ。
東本願寺は、駅前の雑踏のなかにいることを忘れさせ、心をスッキリさせてくれる、いいお寺だ。
それこそが、’’他力の風’’の力なのかもしれない、今はそう思っている。
アオサギの出迎えを受けながら?阿弥陀堂門をくぐった写真から、御影堂門を後にするまでの写真を振り返っている間に、なんとか’’他力’’について理解を深めたいと思ったが、やはり難しかった。
御影堂からの御影堂門
御影堂門から拝する御影堂
以前「他力」を読んだ時は、自力で全てを解決できるとは思わないまでも、’’他力’’と言い切るには まだ青かった。
その後 年を重ねるごとに、自力の限界は身をもって知ることになるが、自分自身が’’他力’’の恩恵?のようなものに浴したことがないため、「絶対的な他力の掌中にある」という言葉は、私の中では「自分ではどうしようもないような、他からの(芳しくない)影響」と自動変換されてしまう。
こんな私が、今一度「他力」を読み返したぐらいで、親鸞・蓮如が説く’’他力’’を理解できるはずもないが、考えるヒントとなる例の一つを、とりあえずは記しておきたい。
(『 』「他力」より引用)
『エンジンのついていないヨットは、まったくの無風状態であれば走ることはできない。少しでも風があればなんとかなるでしょうが、そよとも吹かなければお手上げです。
ヨットの上で、どんなにがんばっても無駄です。他力の風が吹かなければ、私たちの日常生活も、本当は思うとおりにはいかないものです。~略~
しかし、風が吹いてきたときに、ヨットの帆をおろして居眠りしていたのでは、走る機会を逃してしまいます。ですから、無風状態がどれほど続いても、じっと我慢し、注意深く風の気配を待ち、空模様を眺めて、風を待つ努力は必要なわけです。』
ここで、「なるほど、五木氏は、風をまつ努力を<自力>と考えるのか」などと思ってはいけない。
五木氏は、それすら<自力>ではなく、<他力>の働きによるのではないかと考える。
『無風に負けず、じっと風を待ち、いつでも風に応ずる緊張感、その努力をヨットマンにあたえ、そして「いつか風は吹く」というくじけぬ信念を持続させるもの、それこそまさに<他力>の働きだと思うようになったのです。
「やる気」をおこすこと、また、「人事をつくして天命を待つ」という気に、おのずとさせる不思議な力、それこそまさしく<他力>の働きの本質でしょう。
「人事をつくして天命を待つ」
という言葉を、
「人事をつくすは、これ天命なり」
と、私は勝手な読み方をしています。<天命>を<他力>の意味に受けとめるのです。』
一見分かりやすそうな この例の理解が私に難しいのは、「落日燃ゆ」(城山三郎)で記されていた、広田弘毅の歌が思い浮かぶからかもしれない。
『風車 風が吹くまで 昼寝かな』
この歌は、文官でただ一人A級戦犯として絞首刑に散った内閣総理大臣・広田弘毅が、外交官だった時に左遷先のオランダで詠んだものだ。
その後 広田氏は吹いてきた風に乗り位人臣を極めるが、最終的には絞首刑になる。
この歌とその結末を思うせいか、五木氏が云う肯定的な意味合いでの ’’他力の風’’を信用することは難しい。
それは、ここ数日、’’他力’’の本家本元の写真を見ながら「他力」を読んだくらいでは、変わりようはない。
だが、尊い教えの真意が理解できないからといえ、御影堂門を後にする私の心が満たされていないわけでは決してない。
いつ訪れても、東本願寺は いいお寺だ。
東本願寺は、駅前の雑踏のなかにいることを忘れさせ、心をスッキリさせてくれる、いいお寺だ。
それこそが、’’他力の風’’の力なのかもしれない、今はそう思っている。
お堀のマガモ