29年前の今日(1992年4月25日)
尾崎豊は亡くなった(享年26歳)。
生前、彼がよく立ち寄ったという渋谷クロスタワーには
今でも彼を偲んでファンが訪れるという。
午前11時。
3階テラスにある記念碑を眺めていると、
ギターをかかえた男性がやってきた。
滋賀から来たそうだ。
彼は尾崎と同い年で、今日が誕生日だという。
いつか訪れたいと思っていたこの場所で
今日は歌いたいという。
周りにいた数人のファンといっしょに
彼の弾き語りを聴いた!
曲は、「僕が僕であるために」
「きっと忘れない」の2曲だった。
彼はゴスペルをやっているという。
まさに、魂の叫びだった!
記念碑には「17歳の地図」の歌詞が記されていた。
私はアルバム「回帰線」1985年を当時よく聴いていた。
彼のボーカル・詞・曲はストレートで、すっと入ってきた。
だが不思議なことに、彼の歌は
年を重ねるごとに、より深くしみ込んでくる。
訪れたファンが書いた、尾崎へのメッセージは
感謝の気持ちで満ちていた。
来年も会いましょう!
そう言葉を交わして、その場を後にした。
尾崎豊は亡くなった(享年26歳)。
生前、彼がよく立ち寄ったという渋谷クロスタワーには
今でも彼を偲んでファンが訪れるという。
午前11時。
3階テラスにある記念碑を眺めていると、
ギターをかかえた男性がやってきた。
滋賀から来たそうだ。
彼は尾崎と同い年で、今日が誕生日だという。
いつか訪れたいと思っていたこの場所で
今日は歌いたいという。
周りにいた数人のファンといっしょに
彼の弾き語りを聴いた!
曲は、「僕が僕であるために」
「きっと忘れない」の2曲だった。
彼はゴスペルをやっているという。
まさに、魂の叫びだった!
記念碑には「17歳の地図」の歌詞が記されていた。
私はアルバム「回帰線」1985年を当時よく聴いていた。
彼のボーカル・詞・曲はストレートで、すっと入ってきた。
だが不思議なことに、彼の歌は
年を重ねるごとに、より深くしみ込んでくる。
訪れたファンが書いた、尾崎へのメッセージは
感謝の気持ちで満ちていた。
来年も会いましょう!
そう言葉を交わして、その場を後にした。