1945年夏、満州のソ連国境で
勤労奉仕をしていた日本人中学生120名が
取り残されソ連兵につかまった。
しばらくして解放されたが、
食べるものもない、行くところもない。
そんな窮状を救ってくれたのが、
中国北東部の小さな村:石岩鎮(せきがんちん)の村長だった。
この映画が公開されたのは2015年。
映画の冒頭シーンは現代だった。
夏なのにマスクをして中学校に行っている。
コロナでもあるまいし、
と、不思議に思っていたら・・
なんと、2012年の福島というシーンの設定だった。
原発事故後で、放射線量が高いのでマスクをしているのだ。
約70年の時を超えて、当時と現代の中学生の夏を映している。
軽々には言えないが、
いつの時代も
苦難もあれば喜びもある。
どこの国の人であろうと、目の前で苦しんでいる人がいれば、
手を差し伸べないということはありえない。
中学生を救った中国人の村長のセリフだ。
私もそういう人間でありたいと思った。
<ソ連国境 15歳の夏 official site>
勤労奉仕をしていた日本人中学生120名が
取り残されソ連兵につかまった。
しばらくして解放されたが、
食べるものもない、行くところもない。
そんな窮状を救ってくれたのが、
中国北東部の小さな村:石岩鎮(せきがんちん)の村長だった。
この映画が公開されたのは2015年。
映画の冒頭シーンは現代だった。
夏なのにマスクをして中学校に行っている。
コロナでもあるまいし、
と、不思議に思っていたら・・
なんと、2012年の福島というシーンの設定だった。
原発事故後で、放射線量が高いのでマスクをしているのだ。
約70年の時を超えて、当時と現代の中学生の夏を映している。
軽々には言えないが、
いつの時代も
苦難もあれば喜びもある。
どこの国の人であろうと、目の前で苦しんでいる人がいれば、
手を差し伸べないということはありえない。
中学生を救った中国人の村長のセリフだ。
私もそういう人間でありたいと思った。
<ソ連国境 15歳の夏 official site>