
127代薬師寺官主 高田好胤さん
数十年かけて、荒廃していた薬師寺の再建を手がけた官主・・皆様良くご存じの方。
薬師寺は730年の創建・・・開基は「天武天皇」
壬申の乱の戦いで苦労を共にした皇后、後の「持統天皇」の病気平癒祈願のため
「薬師如来」を造像・・・その尊像を安置するために建立された・・・それが薬師寺。

金堂はS51年に再建。
西塔はS56年に再建。(1528年兵火により焼失)

兵火を逃れ、創建当時の姿を残す「東塔」・・・このたび大修理が始まるのだそうです。

実はその大修理のニュースを昨日観まして・・・物作りの知恵・・・をまたまた思いだしたのです。
法隆寺の大修理、薬師寺の再建を手がけた宮大工の棟梁「西岡常一」さん。
「樹齢1000年の檜は、木材としてさらに1000年もつ」・・・信念の下、求めつづけ、探し当てたのが台湾の山奥。
その檜を使用するのだから、和釘も1000年の耐久性のあるものを・・・
依頼を受けたのが「物作りの知恵」でアップしました「白鷹幸伯」・しらたかゆきのり・さん。だったのです。
お二人とも・・・素晴らしい「職人さん」尊敬!!!!!
西岡さん(1908~1995)はすでに亡く・・・今回はどなたが修理を請け負われたのか・・興味津々!
白鷹さんは愛媛県松山市の鍛治師・・・今年で77歳・・・ご健在を祈りつつ!
人は一代名は末代・・・・職人さんていいなあ!
私も次に生まれてくるときは、庭師か宮大工になりたいです~~!
薬師寺の再建・修理は浄財によってなされるとか。
私もS46年頃「般若心経の写経」に添えて浄財をお届けしました。
写経は800万巻に及んだそうです・・・
薬師寺西塔・東塔の写真は「いこまいけ高岡」さんのブログからシェアさせて頂きました。
当時の再建には写経と浄財だけで賄った。
(電機メーカーや自動車メーカーなどの大口寄付は断って・・と聞いた)
「写経を売り物に」とか、の心ない批判もあったようだが偉業には批判者も頭を下げたろう・・ね。
文化財の保存は大変だけど「ニッポンのシンボル」・・出来る限り守って欲しいね。
それにしても台湾までとは・・。
講話をお聞きしたことがあるのですが
落ち着いた、優しい声の方でした。
心、鎭もる・・・一時でした・・・
「四季の絵文」も末代まで・・・
悠美子先生の庭師、宮大工姿
想像してみました???
粋でいなせな・・・若者・・・になってました?(笑)
四季の絵文、最近、腕が上がりません!
肩凝りで・・・・(笑)
こころひとつで 楽しくなれる
ありがとう
四季の絵文日記のぞいて見ました。
すばらしいプログですね。
原町
岡崎
早速のご訪問・・・PCを使える方がきょうちゃん以外にはどなたがいらっしゃるのか???
11月の末総会に出席しました。
その折観音様の写真を沢山写しまして、故郷愛史としました・・・由来があるのですね。
NHKのドラマ「とんび」も中福通り(現・御福通り)と観音様で大がかりなロケがあったのですがご存じでした?
ブログにアップしてます。お暇があったら覗いてくださいませ。
原町・・・広い大阪で・・・こんなに近くに!
ありがたいことです。
よろしくお願い致します。
(何せ支社勤務が永かったんで事情知らず
で、ホテルオオタニだったかでご講演を頂き
お得意先様を招待したような気が・・・
営業マンだったんで立ち番の役!
その時、立ったままふわぁ~と体が倒れていく
「ん?脳梗塞ぅ~」と、ビックリした記憶が
思い出されました!怖かった・・・
薬師寺は何度か参りました・・・
大池越しの風景も下手な絵で描いたりしましたよ!
昔の技術が現代を超えるのを感じさせてくれる
東塔! 凄いもんですねぇ~
凄い技術ですよね。
白鷹さんは、当時の釘の鋳造技術に舌を巻いたそうです。
1300年前にこんな素晴らしい技術を持った職人が居たのかと・・・!!
当時はおそらく「渡来人」が現場監督(笑)
限りなく「インド様式」だそうですから・・・
また、どうぞお出かけを!
好胤さんの霊気にまた当てられるかも