中井悠美子(悠石)「四季の絵文日記」 2011/9/24~

四季を語る「絵文」と、日常を織り交ぜた小さな日記。
ご訪問頂き有難うございます。ご縁に感謝を!

Vol. 202 カンブリア宮殿

2012年06月29日 20時41分39秒 | 日記
   

   昨晩「カンブリア宮殿」を観ました。
   必ず観るようにしています。如何にして成し遂げたか・・・こういったお話しが好きなのです。
   なんと言っても「ノンフィクション」なんですから。訴える力は大です。

   写真は「稲盛和夫」さん。
   日航の再生を託されました・・・優しそうなお顔立ちですが・・・秘めた情熱と意志の強さには感服します。
   いかにも剛健・・・そんな感じがしないところに人間的な魅力を感じます。

   会議の席上重役達に向かって「君たちはあまりにも官僚的だ」と怒鳴ったところ
   「官僚的とは、どういうことか?」と質問されたそうです・・・わからないのですね・・・知らないのです。
   稲盛さんのおっしゃる官僚的とは
   「傲慢で、謙虚さもなく、素直さもない」それをさして言うのだそうです。

   簡単に言えば・・・人間的な優しさがないと言うことでしょう!

   
   改革後の社長に選ばれた「植木義晴」さん。
   往年の大物時代劇俳優「片岡千恵蔵」の四男・・・前身はパイロット。
   操縦桿を捨てて、経営陣として「稲盛塾」へ・・・
   画面を通して「温かく、穏やかで、誠実な雰囲気をたたえ、丁寧で美しいことば使い・・・ 話す声も耳に心地よく」
   ・・・伝わって来ます・・・さすがやなあ説得力があるわ!この人のためやったら 何でもする!そんな気になる!
   
   リーダーに必要なもの
   「自己犠牲をいとわないこと。そう言った人間性を持った人でないとリーダーになってはいけないのです」

      
   16000人をリストラ、残された32000人・・・そのどちらのためにも頑張って欲しいですね。
   
   新しく100億円で購入したボーイング787.
   日本の技術を取り入れ「炭素繊維」で出来た軽量で燃費がよく、長距離を飛べる初めての中型機であるとか。
   NON STOP FROM JAPAN TO BOSTON ・・・そんなわけで・・・へえ!すごい!ノンストップ! 

   サービスを低下させることなく・・・そうです・・・サービスの良さと笑顔は日本の文化です・・・がんばって!

   何でそんなに「力こぶ?」 
   実はホテル日航茨木大阪で「絵文」のお稽古をさせて頂いていたのです。
   小さな個展もさせて頂きました・・・今は解体!跡形もありません。
   残念!小さな関わりですが、遠くの片隅から「再建」を願っている・・・小さな一人なのです

      
   最後に往年の時代劇スター「片岡千恵蔵」存在感のある俳優さんでした。
   最初の写真は「忠臣蔵・大石内蔵助」の役をなさった時のものだと思います。
   大好きな俳優さんでした。

   ながくなりました~!
   皆様ご訪問有難うございました

   
   

   
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Vol. 201 思い出の糸・その(2)

2012年06月27日 18時31分35秒 | 日記
   
   高野山真言宗別格本山金陵山西大寺・・・奈良の西大寺との関連はないのです。
   西大寺の「西」は元々犀の角・・・の犀だったのですが・・・
   瀬戸内三十三観音霊場の第一番札所です。

   写真は「仁王門」「あ」「うん」の仁王様が出迎えてくれます・・・子供の頃恐くて、恐る恐る覗いたものでした。

   門を入って左側に個展会場の入り口があります。
   このお寺は「NHK土曜ドラマスペシャル・とんび」のロケ地になりました。
   とんびは岡山県津山市出身の小説家「重松清」さんの小説をドラマ化したものだと記憶。間違っていたらごめんなさい!

   子供の頃、このお寺の近くに住まいし毎日境内で遊んだものでした。
   そんな思い出の地での個展開催・・・深い繋がりの糸に紡がれているのですね。
   なぜ?そう思うの?
   実は、開催希望日が、ピッタリ空いていたのです・・・ホントにとっちゃんを初めとして、深いご縁の皆々様のお陰です。

   さて、最後に故郷のアーティストをご紹介
   
   西大寺五福通り・・・とんび・映画三丁目の夕日のロケが行われました。
   この通りの中程に「堂千恵蔵」さんのアトリエがあります。
   
   お見事の作品集・・・まずはご覧くださいませ。
      
   瀬戸内市牛窓町牛窓2718  瀬戸内三十三観音霊場第六番
   海岸山妙福寺観音院・・・奉納の天女の図。 第一日曜日に公開されているそうです。

      
   備前焼のお皿にアクリル絵の具で「絵付け」という大胆な試み・・・豪華です!

   堂さんは女性です・・・温かく大きな手、職人さんの「手」の持ち主でした。
   実は初対面・・・
   ブログを通してお知り合いになりました・・・この方とも 思い出の「糸」でつながりました

   よろしければ「堂千恵蔵」で検索を・・・他の作品もご覧頂けま~す。

   さて、故郷三部作はこれで終わりです。
   今回の帰郷で、疎遠になっていた親族との交流も復活し、新しい世界がひらけそうです。
   「個展観に行くよ~」と、言ってくださいました・・・
   そんなこんなで、たくさんの新しい「糸」が紡げました・・・やがてロープに
 
   最後にとっちゃん家の癒しのメダカをどうぞ!
                     
                     
                     皆様ご訪問有難うございました
   
   

   
   
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Vol. 200 思い出の糸・その(1)

2012年06月26日 22時13分46秒 | 日記
   
   幼なじみの「とっちゃん」が個展にと「西大寺観音院の百畳の間」を予約してくださいました。
   オフ会の翌日24日は・・・会場の下見・・・父の納骨・・・親戚周り・・

   

   ここが個展会場の入り口。緑の木立が美しい・・・「ええとこやなあ!」
   左側の建物の中・・・さすがに広い・・・
   これは男手が要るよなあ・・・
 
   早速同級生の「O君」と「A君」にTEL・・・快諾・・・持つべきは良き友・・・
   会期は10月27日から29日。まだ、まだ、先・・・ちょっと気が早いけど。
   約束は早い者勝ち・・・・だって好期ですからして・・・旅へのお誘いがあるやも知れず

   さて、23日の夜はとっちゃん家に泊めて頂きました。
   とっちゃんは料理上手。夕食は。。。こんなん!

   大喜びで迎えてくれた・・・まゆちゃんとらんちゃん・・・お客様大好きな女の子!たびたび寝室をご訪問
       

   さて、開けて24日。
   冒頭の観音院を訪ねる前に・・・父の納骨を済ませました。
   あまりの石の重さに「とっちゃんは手を詰めて」なんと「私は爪が割れました」とさ!
 
   午後からは、やはり二人で母方の「叔母」の家を訪ねました。
   私の祖母は「とっちゃん」の乳母・・・だったものですから・・・
   叔母も従兄弟達も勿論私も・・・とっちゃんとのご縁は並々ならぬものがあるのです。

   「絵文」への思い・・・
   とっちゃんの思い入れの深さは「祖母」との深い繋がりがあってのことなのです。
   
   思い出の糸・・・細い糸がしっかりと繋がり、たぐり寄せるほどに太く
   強くなっていくような・・・そんな思いに胸が膨らみました。

   今日はこんなところです
   皆様ご訪問有難うございました・・・

   
   
  
   

     

      
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Vol. 199 故郷でのオフ会

2012年06月25日 22時25分22秒 | 日記
   

   故郷、岡山にお住まいのfbのお友達が集って。オフ会!
   岡山市の中心街「表町」の一角にあるイタリア料理店「ハレルヤ」
   私以外は皆さん「お若く」「美しい」。。。「はつらつさん」が勢揃い。
   津山からお越しのAさん・・・遠路を有難う。

      

   初めまして~~~!が終わると,すぐにもうすっかり打ち解けて
   初対面とは思えません・・・きっと、ほぼ毎日のメール、コメント交換のおかげかと!
   ネット社会とはいえ・・・fbのすばらしさを再認識!

   *起業家のYさん*茶道の達人Sさん*お料理・手芸の名人Aさん*責任あるお仕事をなさっているIさん
   皆さん・・・強者揃い!ですぞ!
   さて・・・お食事の後は全員で「絵文」にトライ!
   わたしの同級生の妹さんもお一人加わって・・・計6人!で・・・・

      
   セミナールーム・・・Sさんのお心遣いで、ご提供頂きました。
   お稽古の最期は「お抹茶」で一服・・・憎いねえ!・・・設定がお洒落です!^-^

   お出会いは12時半・・・お別れは5時・・・
   あっと!言う間の4時間半でした・・・・
   皆さん、さっとお手伝いできたり、私の荷物を持ってくださったり、駐車代金をお支払いくださったり・・

   行き届いたご配慮に感心・・・得心・・・・さすがにねえ!
   津山からお越しのAさんが・・・事前に送ってくださっていた「家庭菜園」の「お野菜達」をお土産に・・・

   心を残しながら  さよなら!   
   私は一路「幼なじみの待つ」西大寺へと急いだのでした・・・泊めて頂きました。

   はい!今回は「マイカーで」ビューと大阪から参りました
   続きは又明日・・・・皆様ご訪問有難うございました。

      

   
   
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Vol. 198 郷土の偉人・その(3)

2012年06月20日 18時18分50秒 | 郷土の偉人
  田中正造・・・現在小学生の間で一番知られている偉人かも知れません。
   国語の教科書で紹介されていますから・・・^-^

   明治天皇に自訴の場面・・・田中正造記念館            田中正造・・・栃木県佐野市・・・1885年生(安政2年)           日本初の公害    栃木県の足尾銅山の鉱毒事件を告発した人です。       栃木県・・・足尾銅山・・・当時日本で有数の銅山であったとか。       絹と銅は日本の大きな収入源であったのでしょう。       しかし、その排煙がもたらす「酸性雨」が辺りの山々の木々を枯らし。       廃液は田、畑から豊かな実りを奪ったのです。       農民の困窮ぶりに心を痛めた正造は・・・何とか救いたいと、議員を辞職。    明治天皇に直訴するも「狂人あつかい」       その後も逮捕、投獄・・・を何度も繰り返しながら、鉱毒問題を訴え続けるのですが・・・           

   渡良瀬川に垂れ流された廃液・・・周辺の村々が、いかに悲惨な状態であったか想像できますよね。
   その後、政府は「谷中村」を貯水池にするべく農民の追い出しにかかるのです。
   元々貧しい人々、何の保証もなく追い出される。。。悲惨さは想像を絶します。

   正造は志半ば、多くの同士に裏切られ続け、赤貧の中で亡くなります。
   1932年・・・満76歳。
   枕元には「日本国憲法」「聖書」「ずた袋の中にちり紙」・・・これだけだったそうです。
   そうして、谷中村は・・・消えたのです。

   その後1973年・・・農民との和解にいたり。足尾銅山は閉山。
   辺りはやっと緑の田野を取り戻すことが出来たのです。正造没後40年にしてやっととは・・・!
   

   正造の名言
   

   真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし

   今の政治家は、この正造の生き様をどう見るでしょうか!
   
   途中で文章の並びがおかしくなりました・・・どうしても直らないので
   読みにくいと思いますが・・・このままに
   皆様ご訪問有難うございました。


   

   
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Vol. 197 郷土の偉人・その(2)

2012年06月18日 20時31分48秒 | 郷土の偉人
   京都の偉人・・・まずは 角倉了以・・・すみのくらりょうい・・・ 水運の父 と呼ばれています。

   角倉家は長年「裏千家」の支援者であり、裏千家12代はこの家からのご養子です。
   従って裏千家にはこの角倉の血も流れていると言うことになります。
   10代さんには子供がなく、11代は他家からご養子を迎えられましたから
   この時点で「千利休」の血は途絶えたことになりますね・・・11代には女子しか生まれず。
   この時代「家督」は男子、しかも長男しか継げなかったのです。そんな訳でご養子に・・・

   余談が長くなりました。さて、その角倉了以・・・本名ではなかったと検索で知りました。
   名字は「吉田」・・・先祖は室町幕府お抱えの「医者」をつとめていたとのこと。
   その後医業で得た財産を元手に「土倉」を営み・・・角倉は運営していた土倉の一つからとったと言うことです。

       
   了以・・・なかなかの強面ですねえ!優しい写真見つかりませんでした。了以邸跡。木屋町二条下ル・・・

   
   「がんこ」の宣伝ではありませが、了以の別邸です。維持が困難になり売却取り壊し寸前に「がんこ」が買い取り。
   鴨川から流れ込む清流も庭も茶室も巨大な石塔もそのままに、お食事処となりました「がんこ二条苑」・・・小島社長有難う。
   高瀬川の注水口・・・はこの邸の中にあるんですよ。残って良かった!

    ←がんこの前辺りの「高瀬川」

   前置きが長くなりました・・・水運の父と呼ばれた了以!
   安南(あんなん・今のベトナム)との貿易で巨額の冨を得た了以は
   1606年から「大堰川・保津川下流」の開削を行います・・・川の底を削って水深を深くしたのですね。

   このことで、丹波からの物資が一気に、難なく京へ運ばれることになります。
   現在、保津川下りが観光として残ったのは、まさに 了以 のおかげなのです。

   続いて「富士川」開削。
   そして「高瀬川」・・・京都→伏見→淀川へ・・という水上交通路を開くのです。
   1604年・・・吉井川・私の故郷を流れる川です・・・この川の運搬船「高瀬舟」をみて
   京都その他の地にこれを流行させたということです。

   人は一代、名は末代さ・・・やはり私財を なげうって ・・・ですよね

   岡山繋がりが出てきたところで・・・お終いです・・・簡単ですみません。

   皆様お付き合い有難うございました。
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Vol. 196 郷土の偉人・その(1)

2012年06月16日 19時47分49秒 | 郷土の偉人
   今日「西村京太郎」トラベルミステリー
   TV・・・なにげなく観ていますと・・・猪苗代湖・・・という言葉が耳に!
   関連して、ふっと「十和田湖」を思い出しました。

   十和田湖といえば・・・和井内貞行・・・小学5年・国語の時間に学んだ偉人!
   郷土の偉人 ですよね!

   
   秋の「十和田湖」美しいですよね!以前一度参りました。吸い込まれるような美しさでした。


   
   和井内貞行・・わいないさだゆき・・・1858年~1922年
            秋田県鹿角市生まれ

   和井内は十和田湖畔にあった小坂鉱山に赴任。
   鉱山労働者に「新鮮な魚」をたべさせたいと・・・養殖事業に取り組みます。
   1881年当時、十和田湖は魚の影すらない死の湖だったそうです。
   火山湖だったのでしょうか?

   養殖を志して22年後・・・失敗を繰り返し、家財をなげうっての血を吐くような努力がやと実るのです。
      ヒメマスです。大きいです

   1905年・・・秋。風もないのに十和田の湖面がさざ波で揺れている?
   それは、産卵のため「ヒメマス」が大挙して、浅瀬に押し寄せていたのです。
   北海道支笏湖で養殖されていた「ヒメマス」の卵を購入。
   5万匹の稚魚を放流して、二年半後のことでした。

   そんなお話しです。

   土地の方々は今でも「ヒメマスの一匹一匹の中に、和井内貞行の情熱が刻み込まれている」
   と、思っていらっしゃるとか・・・

   現在200万人近い観光客が訪れる「十和田湖」
   和井内の功績は計り知れませんよね!

   秋田県小坂町に和井内神社・・・現在も神様として崇められているんですね。

   こういうお話しが好きな私でした・・・・
   

   
  
   

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Vol. 195 牛窓・犬島・ピーアール

2012年06月15日 20時50分37秒 | 故郷愛史
   故郷近く牛窓の記事を見つけました。
   見出しの写真は「犬島」ですが。

   牛窓はこの写真・・・日本の夕日百選に選ばれている瀬戸内の夕景です。
   日本のエーゲ海と呼ばれ一時期は観光客も多く・・・
   今はちょっと、淋しい!
   

           

   昨年秋に、友人達と旅しました・・・       ホテルからの夕景はさすがに美しい!
   こよなく晴れた一日でした・・・

   牛窓は「日明」貿易で栄えた港町・・ルソンからの商船の寄港地でもありました。
   栄枯盛衰は世のならい・・・どっと建てられた「ペンション」もブームが去り。
   何とか街おこしをと牛窓の皆さんは頑張っていらしゃるようですが・・・

   
   寒風工房のオーナーさんでしょうか・・・この方が記事の見出し写真に・・・
   
   岡山県瀬戸内市牛窓・・・歴史の彩りを感じる小さな街ですが・・・何とか新に活況を取り戻して欲しいものです。

   さて、この町から車で30分ほど・・・岡山市東区犬島・・・見出しの写真ですが
   ベネッセが展開する「近代美術館」・・・直島が有名ですね。
   犬島はその一角を担う・・・小さな島です・・・

   宝伝という港から「郵便船」で5分・・・周囲5キロの小さな島に
   地中美術館・・・家プロジェクト・・・カレー屋さん・・・宿泊施設・・などが点在!   
   同級生のT君がボランティアガイドを勤めています・・・
   お話しを聞くと楽しさ倍増。

   海は爽やか・・・銅を採掘していた名残はマチュピチュみたい。
   感激すること請け合います!

   牛窓===犬島・・・この観光ルート・・・いかがでしょうか。
   ぜひ一度、お出かけ下さいませ。
   こんな紹介では・・・わかりにくいかなあ!
   
    皆様ご訪問有難うございました
   

  
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Vol. 194 破顔施

2012年06月14日 21時10分45秒 | 日記
   
   破顔施・・・はがんせ
   仏教用語かと
   以前「瀬戸内寂聴」さんの講話をお聞きしたときに、教えて頂きました。

   破顔とは、顔をほころばして笑うこと。
   施・・・とは文字通り「ほどこす」こと・・・
   合わせて・・笑顔を人様に施すこと・・・破顔施

   良い言葉ですよね。
   何時も優しい笑顔を人様に「向ける」だけでいいのです。
   微笑みかければ、微笑みかえる

   何より安上がり(失礼!)なお布施です・・・とのことでした。
  
   日頃・・・わたし・・・心がけているんですよ。
   お聞きして以来・・・

   今日は逆に、人様から頂いた「破顔施」載せてみますね。

   
   友人のご主人様の描かれた肖像画・・・いきいきとはじける笑顔!

   
   中三の教え子から届いた写メ・・・猫好きですから!心が笑顔に!

   
   故郷の親友から・・自宅の庭の紫陽花・・・白が好きです!花・・・笑ってますよね。

   
   小さきもの・・・見ると思わず口元がほころびます・・・ね!

   最期に私の描いた大吉地蔵・・・何時もこんな笑顔でいたいもの!
   との、願いを込めて描きました・・・笑顔になっているでしょうか!
   

    久しぶりにブログを更新しました。

   皆様、ご一緒に「破顔施」・・・幸せの種を蒔きませんか!
   ご訪問ありがとうございました~~!
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Vol. 193 京都まで

2012年06月10日 20時26分05秒 | 日記
   急に思い立って・・・京都へ。
   和紙を買いに、参りました。
   日曜日の京都は人出も多く・・・久しぶりの街歩き・・・疲れました・・・
 
   

   こんな和紙を買いました。
   巻手紙ふうの作品にします。
   失敗することも考えて少し多めに購入。
   蛸薬師通高倉西入る・・・にある「楽紙館」

   お隣に「木田安彦」美術館。最近オープン・・・町家を利用した個人美術館。大作が展示されていました。   
   美術館は旧町家を利用・・・定番の坪庭を囲むようにお茶室、座敷・・奥に辰巳倉まであって。
   壁は最近では珍しくなった「土壁」がそのままに・・・町家の方が印象に残ってしまいました。

   
   中は撮影禁止・・・これが玄関

   買い物を終え・・・歩いて一筋下がれば「錦市場」・・・時間がないからとりあえず帰ろう・・・と決める(笑)
   最近は観光客が多く、「焼き牡蠣」のお店は男性陣で満席・・・いいにおいい~~!夜店の匂いだ!

   少しはずれを南に下る。
          
   銭湯があって、テレビクルーがカメラを・・「銭湯劇場」・・へえ!と左に見て、右には祠。京の街中ではよく見かます「南無・・」 

    
   最寄りの駅はすでに黄昏時・・・真っ赤な太陽がまさに沈もうとしていました。

   一人、気ままに京都行・・・京都が近くて申し訳ありません!
   皆様ご訪問有難うございました・・・
   
   

   

   
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