Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

芙蓉の花は咲きましたか

2017-09-30 13:45:48 | ゆるゆる旅日記

【 ほんまもんの京都 葉月 】
  芙蓉の花と美濃吉本店竹茂楼の鰻付京懐石

行程は JR広島駅(新幹線8:35) = JR京都駅(10:16) = 法輪寺(だるま寺) = 美濃吉本店竹茂楼(昼懐石) = 細見美術館 = 平安神宮 = 京扇子白竹堂 = 
JR京都駅(18:10) = JR広島駅(19:55)
ひろでん中国新聞旅行が企画の8月の日帰りツアーです

朝夕は大分涼しくなってきたようですので夏の京都も良かろうと家人と出掛けました
八条口からツアーBUSで30分足らずで最初の観光スポットに着きました

■法輪寺 - だるま寺
   京都府京都市上京区下ノ下立売通紙屋川東入
臨済宗妙心寺派の寺院
嵐山の中腹に在る“十三まいり”で知られる法輪寺(通称 嵯峨の虚空蔵さん)とは違い
きょう訪れたのは通称だるま寺として知られている法輪寺です
享保12年(1727年)に大愚和尚が開山 本尊は釈迦如来
三国随一と言われる起き上がりの達磨をはじめ 諸願成就に奉納された8,000体に及ぶ達磨を祀る達磨堂はとくに有名でしょう
“十二支干支達磨大師”の像が境内にあり 達磨大師坐像を囲み十二支が安置されています
動物愛護の願いから寄進されたものだそうですが 動物の納骨安置所にもなっている動物愛護塔なのです
また 本堂には約400人の日本映画創業以来の関係者が祀られているキネマ(貴寧磨)殿があるそうですが よく分かりませんでした

中国禅宗の始祖達磨が嵩山(すうざん)少林寺で壁に向かって9年間座して悟りをひらいたと言う いわゆる「 面壁九年 」の故事に因んでその座禅姿をうつした人形が“達磨”です
赤い着物姿で手足がなく底を重くして倒れても直ぐ起き上がるように工夫した起き上がり玩具です 倒れても直ぐ起き上がるということから“ 七転八起 ”の喩え言葉とともに縁起ものとされております
ところで【 七転八起 】は ≪ 七回転んで八回立ち上がると言う意味 ≫
何回失敗しても挫けることなく立ち直ってどこまでもやりぬくと言う意味 失敗しても逃げることなくついには成功をおさめるのです
【 七転び八起き 】は ≪ 七度転んで八度起き上がると言う意味 ≫
多くの失敗にもめげずにそのたびに奮起して立ち直ること 人生には浮き沈みが多いことの喩えなのでしょうか
と 違いを述べているのですが 君はわかりますか

そして花の寺とも言われているだるま寺は丁度この時期は芙蓉の花が見頃とのうたい文句でしたが あまりにもささやかでがっかりなのでした

《  芙蓉の花  》は
フヨウ( 芙蓉  Hibiscus mutabilis )アオイ科フヨウ属の落葉低木です
樹は高さ1.5m~3m 寒冷地では冬季に地上の部分は枯れてしまい春には新たな芽を吹きだします
種小名のmutabilisは英語のmutable「 変化しやすい 」の意味です
芙蓉はハスの美称でもあることから特に区別する際には「 木芙蓉(もくふよう) 」とも呼ばれております
7~10月初旬にかけてピンク色や白色の直径10~15cm程度の花をつけます
朝咲いて夕方には萎む1日花で長期間にわたって毎日次々と開花して楽しませてくれます
 ところで我が家にも一株ですが芙蓉の樹があって毎年楽しませてくれます
我が家の芙蓉の樹は芙蓉の変種になるのですが スイフヨウ( 酔芙蓉、Hibiscus mutabilis cv. Versicotor )であり 朝に咲き始めた花弁は白いのですが 時間の経過とともに白色はピンク色に さらには濃いピンク色に やがては赤い色へと変色してくる八重咲きの芙蓉なのです
色の変化が恰も酔って赤くなる酔人に喩えたものでしょうか
ウゥ~ム 私はさすがに朝からは飲みませんがねぇ
なお前述したように「 水芙蓉 」はハスを指しているのです
我が家の芙蓉は 花芽が小さく今夏はお休みのようですなぁ


昼食は京懐石をいただきましょう
☆ 美濃吉本店竹茂楼( たけしげろう )
京都市左京区栗田口鳥居町65番地
TEL 075-771-4185
享保元年 三条河原で腰掛茶屋を開いたのが「美濃吉」の始まりと伝えられております
江戸時代後期には京都所司代から「川魚生洲八軒」として許可された現存する最後の一軒
海から遠い京の都では 昔は鴨川 桂川 琵琶湖で獲れる川魚や近郊で造られる野菜が主な食材であった 海の魚は若狭から鯖街道を通って塩を効かせた鯖や甘鯛(ぐじ)が入ってくる程度であったそうな 川魚復興を目指して献立には名物料理として鰻の蒲焼き そして氷魚(鮎の稚魚)が出されました いずれも絶品でした 美食であり養生食なのです
竹茂楼の一階の奥には合掌館 花の間があります 昭和44年に富山県五箇山から移築した築200年の民家です この部屋の外側の柱には風雪を経て味わいの増した縦長の天然木の看板がかかり「う まる どぜう」の文字が彫られてあります 「う」は鰻 「まる」はすっぽん 「どぜう」はどじょうのことなのです 看板の裏側には「川魚 生洲 美濃吉」の手彫りの文字があることを仲居さんが教えてくれました
苔蒸す竹林の庭には小川が流れていて静かな山里を感じさせる景観です


■ 細見美術館
  京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
日本の古美術を中心とした京都府の登録美術館
大阪府泉大津市で毛織物で財を成した実業家の細見亮市とその長男細見實そして三代細見良行の三代が収集した東洋古美術品を展示するために開設された美術館です
細見家の収集品は琳派や伊藤若沖らなど江戸時代の絵画や平安時代の仏画をはじめとし仏像 仏具などから古墳出土品に至るまで日本美術の殆どの分野に渡り重要文化財指定物件を多数有しているようです

細見美術館から徒歩で近くの 応天門・大極殿など朱塗りの色鮮やかな平安神宮に参拝
いやぁ~陽射しはまだまだ夏です 残暑が続くので油断してはいけません と自戒

このツアーお決まりのコースの最後“お買いもの”処は 1718年に金屋孫兵衛の屋号で西本願寺前に寺院用扇子の店として開店したと言う白竹堂に立ち寄ります
創業300年の歴史を持つ京扇子の白竹堂本店は街中の喧騒から少し離れた麩屋町の静かな通りにありましたが近くには柊屋や俵屋そして炭屋などがありましたなぁ
夏呆けなのか落としたのか置き忘れたのか続けて今夏2本も扇子を亡くしたので買い求めました  黒染め司紺の柄模様です

今回の“ほんまもん京都”のBUSツアーは 美濃吉本店竹茂楼の京懐石を堪能したことには満足したのですが 観光スポットはやや消化不良でした
それでも京の街を歩いたことは心地よい疲労感でしたでしょう
どんな小さな旅であっても身体のなかに浸透してきたものは それまで写真や資料で知っていたものとはまるで異なったものであることが多いのです
学校で習ったことや図書館で見聞したもの或いはTVやDVDなどで知り得たものはあくまで知識でしかなく真実の周辺を語っているものであり真実とは異なるものなのでしょう
歴史の真実とはそこに足を踏み入れて歴史を感じ取ることができると思われます
それこそが喩え小旅行であっても旅の至福を得るということなのだと思うのです
君は どう思う!
やはり8月京都の夏は暑い!今夏もまた“熱い”夏でした
ところで君の処の芙蓉は咲きましたか

 

 

 

 


北の大地と結ばれる時の流れに そのⅢ

2017-07-18 05:46:18 | ゆるゆる旅日記

北の大地と結ばれる時の流れに
    【 北海道3大市蕎麦巡り 】

7/3 【 第三日目 】

午前中は道内一高いビルJRタワーイースト38Fの JRタワー展望室タワースリーエイトで360度のパノラマを楽しみましょう の筈でしたが生憎の曇天で視界不良でした
まぁそれでも市内を眺望することができました
ここの“名物”である(?)男性用のトイレはガラス張りで絶景を見下ろしながら夜にはすすき野の盛り場に向かって“放水”できるのです トイレの見学は初めてですなぁ

さてさて 蕎麦行脚はゴールが近づいてきました
☆手打ち蕎麦 志の屋(しのや)
  札幌市中央区南2条西12-323-10リナパートナーズ南2条1F
  TEL 011-281-1045
36年前からこの札幌で江戸蕎麦の味を伝えてきた蕎麦屋です
細麺の更科ののど越しがよろしい
“鴨せいろう”をいただきましょう 秋田産の肉厚の鴨肉ですよぉ

食後の散歩です 大通公園を散策しましょう
札幌市資料館の前にはバラが咲き誇っておりました 
公園のプレートにはミュンヘンとは姉妹都市であることの説明があります
そこで思いだしたのが
    ♪ “ 知っていますか 知ってるかい 世界のビールの名産地
       ミュンヘン・札 幌・ミルウォーキー 旨いビールの合言葉
       ミュンヘン・札 幌・ミルウォーキー ” ♪
サッポロビールのCM曲で用いられたフレーズでありテーマソングでした
山本直純が作詞・作曲 ボニー・ジャックスの歌でした
世界地図と緯度線が出ていたCMですね
まぁメロディーまで浮かんできたのは随分小父ぃさんなのですなぁ
なにしろ1958年のCMソングですから

JR札幌駅から快速エアポートでJR新千歳空港駅へ向かいましょう
“鉄ちゃん”のH氏は新幹線で東京に向かいます

JAL 新千歳空港発15:05 ~ 広島空港着17:10
B737-800型機です往路の700型よりは約6m長いのです
台風3号が接近しているようですが揺れもせず帰着です

君 旅はいいものだよ
盛年重ねて来らず
一日再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月は人を待たず
陶淵明の詩文ですが朱憙の“少年老い易く学成り難し”と同じように人生に於ける時の流れの速さを詩文に託しているのだろう
時の流れは年齢とともに加速していくのだと思う
時間の流れは心理的に年齢に反比例するのだという
愉しい時間はあっと言う間に過ぎ去り苦痛の伴う時間はなかなか通り過ぎないと言うことなのだろう
そしてまた 時の流れの加速には経験量による影響もあるのでしょう
漫ろ歩く旅がたとえ小さな旅物語であっても 時の流れの加速はゆるやかに愉しいものに変わってゆくのだ
時の流れは生きていく旅なのでしょう
どこまでも続くのが旅というものなのだ 愉しい旅はいいものだ
君はどう思うかなぁ

    


北の大地と結ばれる時の流れに そのⅡ

2017-07-17 14:22:09 | ゆるゆる旅日記

北の大地と結ばれる時の流れに
        【 北海道3大都市蕎麦巡り 】

7/2 【 第二日目 】

JR札幌駅から特急ライラック号で約1時間半ほどでJR旭川駅へ着きます
JR旭川駅には知友のA氏が迎えに来てくれておりました 何年振りでしょうか
すっかりオツムが立派になったことのほかは相変わらず陽気な人柄がいっぱい!
昼食を一緒にしましょう

☆蕎麦と日本料理 おかだ紅雪庭(おかだこうせつてい)
  旭川市5条通り16丁目
  TEL 0166-22-5570
昭和8年(1933年)“清酒 北の誉”の創設者の岡田重次郎宅として建築され動態保存という考えで当時の面影を残しつつ新しい息吹を感じさせる建物です
かっては皇族の方が宿泊された謂わば迎賓館的な役割でもあったそうです
旭川の国登録有形文化財です とても蕎麦屋にはみえません
“鴨せいろう”をいただきましょう
麺はやや細い更科です 絶品です!
お椀の鴨肉は厚肉ですが柔らかくダシも絶妙です

旭川を訪れたのは勿論観光でもあるのですが さらには旧知のA氏と会うためです
若くして営業マンから転職して生家のあった旭川で起業した人であり現在は孫たちに囲まれて幸せそうです よかった良かった 知友が幸せだと此方も幸せ気分になります

そしてもう一つの目的は旭川でペンギンを観たいと思っていたことでした そこで
《 旭川市旭山動物園 》
旭川市旭山動物園は文字通りに北海道旭川市に在る旭川市が運営する市営動物園です
丁度7月1日で開園50周年を迎えたそうです
50年も経つと施設も老朽化するのであろうか彼方此方で修理工事をしている
ヒナビタ手造りの動物園でしょうか
一般的な動物の姿勢を見せることに主眼をおいた“形態展示”ではなく行動や生活を見せる“行動展示”を導入したことで注目を集めたものでした
ペンギンのプールに水中トンネルを設けたりして話題になりました
恰もペンギンが空を飛んでいるかのように見えるのです
2005年 NHKの番組「プロジェクトX ~挑戦者たち~・~旭山動物園~ペンギン翔ぶ~」にも取り上げられ注目されたそうです このDVDを探してみましょう
 最近ではあちらこちらに大きな設備のコ洒落た水族館が出来てきております
池袋のサンシャイン水族館ではビルの屋上に天井を泳ぐ40羽のケープペンギンを観ることができるそうです

今回 『 何故にペンギンなのか! 』については
 「ペンギンが教えてくれた物理の話」 渡辺佑基 河出書房新社 2014
 「ペンギンが教えてくれたこと ある一家を救った世界一愛情ぶかい鳥の話」 キャメロン・ブルーム マガジンハウス 2016
 「人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日」 トム・ミッチェル ハーバーコリンズ・ジャパン 2017
 「さすらいの皇帝ペンギン」 高橋三千網 集英社 2017
と偶然になのですがペンギンが関わる書籍に触れて ペンギンに対する知識が希薄なことに気がついたことなのです
そして
 「新しい、美しいペンギン図鑑」 テュイ・ド・ロイ エクスナレッジ 2014
と図鑑までも入手したのですが いまひとつ身近には感じられません
そこで実際ペンギンを観に行こう!と思い立ち 動物園で面会です

〝 飛べない鳥 ……… ペンギン 〟とは
 『 鳥なのに空を飛ばない 鳥なのに巧みに泳ぎ潜る
   鳥なのにほぼ完全な直立二本足歩行
   地球上で最も寒く厳しい南極の真冬に子育てをする
   人を襲ったり逃げたりしないどころかなれなれしく近づいてくる
   あの進化論の島ガラパゴスから南極にいたる南半球の広範囲に分布している
   この鳥は何者なのか? 』

飛べない鳥とは飛翔能力が欠如しており その代替手段として走行や水泳の力に頼るように進化した鳥類です 現在では約40種類存在しておりますが有名なものにダチョウ エミュー ヒクイドリ レア キーウィ そしてペンギンでしょう
ペンギンは現在では6属19種とされており南半球の広い緯度範囲に分布しております
旭山動物園に2000年にオープンしたペンギン館では4種類のペンギンのキングペンギン ジェンツーペンギン フンボルトペンギン イワトビペンギンを飼育しております
▽キングペンギン Aptenodytes patagonicus 
別名オウサマペンギン
エンペラーペンギンに次いで現存するペンギンのなかで2番目に大きいペンギン
 頬から首にかけて黄色なのが特徴
 19世紀まではこの種が最大のペンギンとして知られ名もKing(王)が冠されたが 19世紀に南極大陸に探査の手が伸びた結果 さらに大きなコウテイペンギンが発見され 名にEmperor(皇帝)が当てられたという経緯があります
▽ジェンツーペンギン Pygoscelis papua 
ペンギン全種のうち3番目に大きい
頭の上の白いリボンが特徴
ペンギンの仲間では一番速く泳ぐとされ最高時速36kmが記録されている
▽イワトビペンギン 陸上で両足を揃えてピョンピョン跳び跳ねて移動する姿が印象的なペンギンです
その仕草から和名を“岩跳び(イワトビ)ペンギン” 英名をRockhopper Penguin
と呼ばれるようになりました
赤い目と黄色い飾り羽が特徴でいわゆる不良っぽい髪型(不良の方には失礼!)で小型の種類でありながら攻撃的なのだそうです
▽フンボルトペンギン Spheniscus humboldti 
日本でもっとも多く飼育されているペンギンです
 ペルーとチリの温暖な地域に生息する種でフンボルト海流により栄養が豊富な地域で生息します
旭山動物園ではもっとも寒さに弱いペンギンなのです
ペンギンたちはちょうど食後の休憩時間のようでした
金髪不良?のイワトビペンギンに逢えなかったのが心残りでしたよ

ところでペンギンは家庭でもペットとして飼うことができるのだろうか?
フンボルトペンギンとケープペンギンはワシントン条約の対象になっているので輸出許可証がない限り日本への輸入は国際法違反になるであろう
しかし人工的に雛を孵す方法も確立されているので日本では意外と入手可能なのかも知れませんなぁ
日本の風土や気候などを考えると暖かい地域に生息しているキングペンギンなどが飼いやすいそうです
ペンギンの購入価格は「時価」とされており安価な場合でも70万円以上でキングペンギンは250万円以上 繁殖の難しい皇帝ペンギンは1,000万円以上で取引されているとか
庭先で飼ってみましょうか 
ナニ我が家の庭にはノラ猫が来ますので無理でしょうなぁ やめときましょう

特急カムイ号で札幌へ戻り夕の宴です
☆酒とそば まるき
  札幌市中央区南2条西2-8 カドレビル1F
そばの生産量日本一を誇る北海道で1889年(明治22年)の創業だそうです 
札幌市の中心部 地下鉄大通駅とすすきの駅の間に在る狸小路アーケードの2丁目から程近い洒落たビルにあります
北竜町産“キタワセ”を石臼挽きにしたそば粉を使う二八そば
つゆは創業当時から継ぎ足してきたかえしに かつおの厚削りと薄削りからとったダシを加えた江戸前風の辛つゆです
“鴨せいろう”をいただきました

“JRタワーホテル日航札幌”泊
 2連泊です

 

 

 


北の大地と結ばれる時の流れに そのⅠ

2017-07-16 16:01:29 | ゆるゆる旅日記

北の大地と結ばれる時の流れに
       【  北海道3大都市蕎麦巡り 】

今年も盟友H氏と初夏の北海道を訪れました 今回は蕎麦好きのH氏との蕎麦屋巡りです

7/1【 第一日目 】
広島空港のカフェで朝食です
ANA広島空港発08:15 ~ 新千歳空港着10:10
昨日の大雨による影響が残ると思われたのですが快適なフライトで安堵しました
B737-700型で座席数は144です
JR新千歳空港駅から快速エアポート111号 約37分でJR札幌駅へ
車窓からの風景が広~いのです 白樺の木々が北海道ですねぇ
同行してくれるH氏とは札幌で合流です
H氏は熱烈(?)な“鉄ちゃん”ですから飛行機などという恐ろしいモノには乗らないのです 横浜から新幹線を乗り継いで先着なのです

HOTELのロビーではH氏の笑顔が待っておりました
早速 荷物を預けてJR札幌駅から快速エアポートでJR小樽駅に向かいましょう
蕎麦行脚のはじまりです

☆ 蕎麦屋 藪半(やぶはん)
    小樽市稲穂2-19-14
  TEL 0134-33-1212
JR小樽駅から徒歩数分の静屋通りという小路にある和風の風情ある蕎麦屋さんです
ニシン漁の網元白鳥家の石蔵と小樽の歴史的建造物伍楽園そして古い割烹料亭を融合させて造られたものだそうです
蕎麦の地粉は小樽から近い蘭越町産や道央空知の北竜町産を使用しております
“鴨せいろう”をいただきました
酒肴の品数も多く石蔵で小粋な蕎麦屋酒を楽しみたいところですがじぃ~っと我慢でした

《 天狗山 》
昨年は悪天候のため登れなかったのでリベンジです
天狗山(てんぐやま)は 標高432.5m  小樽市南西部に位置しております
展望台と冬季にはスキー場として親しまれているそうです
天狗山の名称の由来は
1.山中に天狗火(火や煙り)などが見え 天狗が棲んでいると言われていた
2.山や岩の形が天狗に似ていた
3.東北日本海側から移住してきた人々が故郷の天狗山を想って名付けた
と まぁ諸説多くてはっきりしたものはないようです
山頂の展望台からは小樽市街と石狩湾を眺めることができますが視界不良で残念でした
夜景は“北海道三大夜景”のひとつとして謳われております
他の二つは函館山と昨年訪れた札幌市の藻岩山ですね
山麓から山頂まで735mを30人乗りのロープウエイで約4分です
天狗山と言うくらいですから天狗山神社があります
伊勢神宮神社から分霊された猿田彦大神が祀られているのです
“鼻なで天狗さん”なるものがありました 長い鼻に触れると魔除けや願い事が叶うという謂われがあるとか
時雨そうなので行くことが叶わなかったのですが天狗山にはシマリス公園があるそうです
北海道のリス科では エゾリス エゾシマリス チョウセンシマリス エゾモモンガの4種あげられます
樹上生活のエゾリスに対してシマリスは地上が主な生活の場で巣も地下に造りますが木登りも上手ですな エゾリスと違って半年くらい冬眠するとか
そう言えば昨年訪れた札幌市の藻岩山のケーブルカーは『モー~!』と鳴くリスがいたことから“モーリスカー”と名付けられたそうです まぁ本当なのでしょう

小樽から札幌へ戻りHOTELチェックイン 夕の宴はイソイソとすすき野へ出掛けます

☆ 割烹 いそ田
  札幌市南四条西3-2-6 LC16番館1F
  TEL011-511-3800
すすき野のど真ん中のビルの1階にある海鮮料理屋です
腰痛リハビリ中なのでカウンター席を予約してくれました
友人のH氏とは古くからの付き合いがあるそうですが店主(店長ではない!)の磯田哲靖さんは男気のあるそして割烹に対してなかなかの哲学をもった人です
不在だったことが残念!
お酒は何年か前にお勧めでいただいた地酒 明治20年に誕生したという根室の銘酒“北の勝”が美味しいのでしたなぁ

“JRタワーホテル日航札幌”泊

明日は旭川でH氏に会いましょう

    

   


 

 


沙羅双樹の花は 京都に

2017-07-09 15:15:38 | ゆるゆる旅日記

― 沙羅双樹の花がみたかったのです
そこで出掛けました京都です

【 ほんまもんの京都 水無月 】
 平八茶屋の昼懐石・紫陽花祭りと沙羅の花を愛でる会

行程はJR広島駅(新幹線8:35)= JR京都駅(10:16) = 大原三千院(紫陽花まつり) = 平八茶屋(昼懐石) = 京菓子司 満月 = 東林院(沙羅の花を愛でる会)= JR京都駅(新幹線18:10)= JR広島駅(19:55)
ひろでん中国新聞旅行が企画の日帰りツアーです

JR京都駅八条口からBUSは大原三千院に向かいます
大原は若狭街道(国道367号)沿いに開けた山里です
紫蘇畑が広がり京名産しば漬けの里でもあります
本来は“柴葉漬け”であり“柴葉”とは赤紫蘇のことです
京郊外の大原はシソが名産だったが 平家滅亡後に大原に隠棲した建礼門院(平徳子)が里人の差し入れた漬物を気に入り柴葉の漬物つまり柴葉漬けと名付けた伝承があるそうです

  ♪「 女ひとり 」
      作詞 永 六輔 作曲 いずみたく
  京都大原三千院 恋に破れた女が一人
  結城に潮風のすがきの帯が 池の水面に揺れていた
  京都大原三千院 恋に破れた女が一人

  京都拇尾高山寺 恋に破れた女が一人
  大島紬につづれの帯が 影を落とした石畳
  京都拇尾高山寺 恋に破れた女が一人

  京都嵐山大覚寺 恋に破れた女が一人
  塩沢絣に名古屋帯 耳をすませば滝の音
  京都嵐山大覚寺 恋に破れた女が一人

オリジナルは1965年にリリースしたデューク・エイセスが唄ったヒット曲です
その後60年代の終わりに「京都の恋」「京都慕情」をヒットさせた渚ゆう子もリリースしておりました
今回も家人と二人の小旅行ですが口ずさんでみました

BUSで40~50分くらいで “八瀬”を通り三千院の駐車場で着きました
“八瀬”は先頃“瑠璃光院”で青もみじを観に来ましたのでなんだか懐かしいような気がしました

■ 三千院
天台宗の寺院で三千院門跡とも称される
門跡寺院とは室町時代に確立した寺格で代々の住職を貴族や天皇の血族で僧籍にあった者が務めた格式の高い寺院ということです
かっては貴人や仏教修行者の隠遁の地であった大原の里に在ります
青蓮院 妙法院とともに天台宗の三門跡寺院のひとつに数えられております
最澄が比叡山に根本中堂を造営した時に建てたお堂を現在地に移したものであるそうです
苔庭が眼に優しいのです “東洋の宝石箱”とも称されております
紅葉の頃にもさぞかし趣がありましょう
ここには小さな可愛らしい“わらべ地蔵”があります 
やすらぎを覚えさせてくれましたなぁ
宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」と書かれた伝教大師の言葉がありますが
「 修業僧は紅葉を見 青苔に接して 紅葉と和し 青苔に融け 一枚の散る紅葉を青苔とが一つになって同化し 自分の心にとけ込んでいく心境づくりをするものであります 」と言うことなのです
往生極楽院の阿弥陀三尊像は国宝です 中尊の阿弥陀如来は来迎印を結び 右の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で 左の勢至菩薩は合掌し 特筆すべきは両菩薩共に少し前屈みに跪く「大和坐り」であることです

≪ 呂律が回らない; 呂律ゆかりの川 ≫
三千院は呂川と北に同じく細流の小さな律川に挟まれた高台に境内にあります
崖に建て札がたっており呂川と律川について解説しております
呂律の寺・声明(しょうみょう)の寺です 声明発祥の地であるそうな
声明とは日本仏教の儀式や法要で僧の唱える声楽のことである
つまり経文に音曲をつけて歌唱するように唄えること
呂律は もともと中国から伝わった雅楽の言葉で「りょりつ」で言葉の調子を意味している「呂旋(りょせん)」は長音階に「律旋(りつせん)」は短音階に相当するのだとされます
呂(りょ)と律(りつ)と言う音階が合わないことを 《 呂律が回らない 》の語源なのだそうです
呂律がよどみなく流れ声明盛んな頃の時代がよみがえってくるような所ですなぁ
語源はここにあったのか と言うことは納得ですが ウ~ム わかったかな!

三千院あじさい祭り
三千院のあじさいは境内にある金色不動堂に向かう参道脇の紫陽花苑に
幻のあじさい“小紫陽花”や珍種の“星紫陽”などがあるそうですが判りませんでした
3,000株以上の色とりどりであざやかなあじさいが初夏の訪れを喜んでいるかのように咲き誇っているとのうたい文句でしたがやや淋しい感じでしたが すこしガッカリです

◎ 昼食は 「山ばな 平八茶屋」で昼懐石
平八茶屋の創業は天正年間で400年以上続く老舗です
壬生狂言の“山端とろろ”と言う演目はこの店が舞台なのだそうです
夏目漱石の“虞美人草”や徳富蘆花の“思い出の記”や頼山陽の漢詩“山陽詩抄”のなかにも店名が登場しているとか
幕末には新撰組が嫌がらせでつけた刀傷が今も母屋の入り口に残っているとか
“麦とろろご飯”で満腹

■ 妙心寺
京都右京区花園に在る臨済宗妙心寺派大本山の寺院です
本尊は釈迦如来 開基は花園天皇
近世に再建された三門 仏殿 法堂などの中心伽藍の周囲には多くの搭頭が立ち並び一大寺院群を形成している
平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いことから京都市民からは西の御所と呼ばれているそうです

東林院 - 沙羅双樹の寺
東林院(とうりんいん)は妙心寺の山内搭頭のひとつです 宿坊ですね
枯山水庭園 水琴窟があり 通称は沙羅双樹の寺 沙羅双樹の花が咲く時期の特別公開で知られております 
1月の“小豆粥で新春を祝う会” 10月の“梵燈のあかりに親しむ会” そして6月は今回の“沙羅の花を愛でる会”が特別拝観なのです
供された抹茶の和菓子は沙羅双樹の花をあしらっておりました

≪ 沙羅双樹とナツツバキの花は ≫
サラソウジュ(沙羅双樹 娑羅双樹)はフタバガキ科の常緑高木である
シャラソウジュ サラノキ シャラノキとも呼称する
特徴として 幹高は約30mにも達するそうです この時期には白い花が咲きジャスミンにも似た香りを放つそうですが判りませんでした
思っていたよりも花弁は小さいものでした
耐寒性が弱く 日本では温暖な地域の仏教寺院や植物園で見ることができる程度でしょう 家庭では育てることは難しいのでしょうか

そしてサラソウジュと仏教との関わりもあります
仏教三大聖樹は
・無憂樹(マメ科):釈迦が生まれた所にあった木
・印度菩提樹(クワ科):釈迦が悟りを開いた所にあった木
・沙羅樹(フタバガキ科):釈迦が亡くなった所にあった木
二本並んだ沙羅の樹の下で釈尊が入滅したことから沙羅樹は沙羅双樹とも呼ばれます

かって代用として 各地の寺院でツバキ科のナツツバキが植えられたことから沙羅(シャラ)と呼ばれていることがあるのですがこれは別種なのです
沙羅双樹と言えば 平家物語です
『 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
     沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
   奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
     猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ 』
を思いだします
平家物語を習った高校生の頃に 沙羅双樹の花とはどのようなものなのだろうと思ったものでした
日本に於ける沙羅双樹はツバキ科落葉樹のナツツバキのことを指しており 名前の通り初夏に可憐な白い花をつけます 
この花の寿命は僅か一日で朝に咲いて夜には落ちてしまいます 
この儚さが平家一門の盛者必衰を表していると平家物語の作者が語ったのでしょうか

それにしても 時が過ぎるのはあっと言う間なのだ
前回に三千院を訪れたのは2011年だったかな
未だ見ぬところ そしてもっと知りたくてまた行きたいところ これからどれほど訪れることが出来るのであろうか
これからはあてどもない彷徨は無理だとしても たとえ観光名所とされているところだけでもいいのだ 
生きているかぎりの僅かな時間なのですが 愉しいことに夢が膨らむのだ
君はどう思うのだろうか

    

    


“ 平和の祈り ” 平山郁夫美術館 そして倉敷

2017-06-07 06:06:26 | ゆるゆる旅日記

【 開館20周年記念特別企画
平山邦夫美術館「平山邦夫 平和の祈り」展 】
    ― 倉敷アイビースクエアで桃の花御膳
 「ひろでん中国新聞旅行」企画の日帰りBUSツアーです

BUSは広島ICから本州四国連絡道路の3ルートのうち西に位置する尾道~今治ルートを成す西瀬戸自動車道いわゆる瀬戸内しまなみ海道へと走ります
西瀬戸尾道ICを経て向島~因島~生口島へ向かうのですが海峡部の新尾道大橋・因島大橋・生口橋の橋梁の造形美にうっとりしながら走るのがなんとも心地よい
生口島北ICで降りると瀬戸田です

■平山郁夫美術館(Hirayama Ikuo Museum of Art)
平山郁夫は昭和5年(1930年)にこの瀬戸田町に生まれ瀬戸内の青い海や緑の島々の織りなす豊かな自然のなかで少年期を過ごしたのです (死没 2009年12月2日)
神秘的な潮の流れや群青色の海は平山郁夫に大きな影響を及ぼしたことでしょう
画家としての感性は瀬戸内の風土に育まれたのでしょうか
平山郁夫美術館は平山郁夫が生まれ育った生口島瀬戸田町で1977年に開館した平山作品の常設展示美術館です
もう何年も前になるのでしょうか 家人と来たことがありますが新しい感動がありました
画家としての平山作品だけではなく幼少期のスケッチや体験談(広島原爆の被爆のこと)等の平山郁夫の人物像をも展示している
広島市で被爆 その後遺症に苦しんだのですが やがて“仏教伝来”を初めとする平和を願う作品を多く描くことに繋がったのでしょうか
仏教がもたらした日本文化の源流を求めて 東西文化の交流の路であるシルクロードへと時空を超えて思いは広がったのだそうです
展示室は3つに分けられているのですが 学芸員の人が主なものを解説してくれたことで理解が深まりました
とくに印象に残ったものは
「広島生変図」(昭和54年/1979年) 広島を焼き尽くす炎 画面下方には羅災した街の様子を表している
被爆の惨状を体験した画家平山郁夫の心の中でその情景が幻想的な場面に昇華されたものでしょう 
燃え上がる炎のなかに配された忿怒形の不動明王は人の営為を見守る聖なる存在であるとともに悲劇を乗り越えて再生する不屈の生命力の象徴なのか!
深い鎮魂の思いと生命への讃歌を画面に込めて製作されたものだそうです
 「祈りの行進 聖地ルルド・フランス」
 「行七歩」(昭和37年/1962年)
 「求法高僧東帰図」(昭和39年/1964年) 天竺への道を玄奘や法顕のように多くの求法僧が目指しました 求法僧のなかには道に迷ったり病に倒れたりあるいは盗賊に襲われたり 多くの旅人と同様に途中で倒れ目的を達成出来なかった人も多かったことでしょう
この作品は求法を終えて中国へ東に向かって帰る砂漠を行く集団の僧たちですが 天竺への求法の旅を果たした僧たちがたどった姿を抽象的に描いたものだそうです
 「絲綢の路 パミール高原を行く」(平成13年/2001年) 作品のタイトルは“シルクロード”つまり“絹の道”です 言葉の美しい響きとは異なり厳しい道なのです
荒涼とした岩山を行く隊商に さらに大きな目標を定め歩もうとする平山郁夫の決意を重ね合わせて描いたものなのだそうです
 「アンコールワットの月」(平成5年/1993年) や 「月光ブルーモスク イスタンブール」などは私が観光旅行で実際に見て来た以上の美しさで表現されております
つい先頃訪れた足立美術館(ADACHI MUSEUM OF ART)で眼に焼きついた平山郁夫の作品「祇園精舎」(昭和56年/1981年)で シルクロードでの調査研究をもとに幻想的な表現を取り入れた一作を思いだしました 阿弥陀仏を説く釈迦と宗教的な神秘感が時空の彼方へ誘ってくれたものでした

昼食は 岡山県倉敷市に在る倉敷アイビースクエアKURASHIKI IVY SQUAREで桃の花御膳です
倉敷アイビースクエアは江戸幕府の代官所跡に1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場です 所謂倉敷美観地区に含まれております
煉瓦造りの門柱の脇のプレートに《 歩み入る者にやすらぎを 去り行く人にしあわせを 》と記されておりました
これはかって訪れたドイツ南部のバイエルン州のローデンブルクRothenburg ob der Tauber の市壁に記されていた文言に酷似しております
模倣であれ 洒落たことを
もっともローテンブルク・オプ・デア・タウバーの石壁には独逸語で書かれておりましたがねぇ

■倉敷美観地区
 幕府の直轄領いわゆる天領の町 江戸の風情を色濃く残す白壁の街並みの倉敷の美観地区を訪ねてみたい と憧れにも似た想いがあったのです
江戸時代初期の寛永19年(1642年) 江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ 以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史をもっております
倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び天領時代の街並みが残っております
また1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館である大原美術館や 1888年(明治21年)に代官所跡に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修再利用した観光施設とも言うべき倉敷アイビースクエアもこの美観地区を代表する建築物なのです
倉敷河畔は時代劇映画の撮影にはうってつけなのかも知れません
美観地区の漫ろ歩きも楽しみでしたが観光で歩いているのは若者が多いですなぁ
大原美術館が目的でしたが方向を間違えたのか大回りをしてやっと辿り着きました

■大原美術館(Ohara Museum of Art)
倉敷の実業家である大原孫三郎が大原美術館を設立したのが昭和5年(1930年) 旧大原家住宅の眼の前に位置しております
ギリシャ建築の神殿を模した本館は開館当時の姿のままだと言う
大原孫三郎が支援していた洋画家児島虎次郎が収集した西洋絵画の展示を目的として造られたものですね
駆け足で館内を廻るのですが主なリストは モネの「睡蓮」とエル・グレコの「受胎告知」ゴーギャンの「かぐわしき大地」 ドガの「赤い衣装をつけた三人の踊り子」 ルノワールの「泉による女」などを観賞しました
エル・グレコ(1541-1614)の「受胎告知」だけでもゆっくり眺めたいものでしたが
思っていたよりも小さいもので 109.1×80.2cmなのです
家人は以前にここで鑑賞したことがあるそうですが 最初はもっと大きな迫力なある画像であったそうです
その時その時に印象が違っていてもよいのだろう 新しきことを知ることになるのでしょう
この「受胎告知」は かぎりなく深い神秘的な闇に包まれた夜空に 突然眩いばかりの光芒を発して天使が登場してきたところです 雲に乗って現れた天使は右手を大きく捩じりながら天に向けて左手には純潔のシンボルである白百合の花を持って やや上方から聖処女マリアを見下ろして居ります 二人の視線の交錯こそが全体の構図の中心となっており天上世界と地上世界との結びつきが成立しているのだと言う

なにしろ倉敷での滞在時間が制限されていたので大忙しです
今度は時間に余裕をもって是非訪れたいのでした
美術館の隣に在る“喫茶エル・グレコ”は大正末期に建てられた大原孫三郎の事務所を改装したものだそうです ゆっくりお茶の時間をも楽しみたかったのですが

 かって訪れた街 あるいは初めて訪れた土地 そこで見たものや見えたもの 歩きながら感じたもの そうした体験が身体の中に浸み込んで積み重なっていくのだろう
そのことが身体の中で生き続けていくのだろうと
絵画に対する憧憬は 甚だ希薄なのですが きょうの美術館で身体の中に入ってきたものは それまで教科書や書籍の写真や資料で知っていたものとはまるで違ったものでした
学校や図書館で見聞したものは知識でしかなく真実の周辺を語っているものにしか過ぎないのでしょうか
生きている僅かな時間の中でも至福の時を得ることを大事にしたい
君は どう思う!

        

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こころ和む からだ憩う いのち癒す 洛北八瀬の青もみじ

2017-05-03 14:36:59 | ゆるゆる旅日記

“やすらぎ”と“いこい”の郷へ ―

      京都定期観光バス
    【 瑠璃光院と京都洛北 隠れ家レストランでのひととき 】
  京都定期観光バスは京阪バスの運行によるものですが このコースはMaiko Busで運行します 車体に舞妓さんが描かれております
きょうは“やすらぎ”と“いこい”の郷で青もみじを楽しみましょう
行程は 瑠璃光院と黄梅院の2か所をゆるりと廻ります

■瑠璃光院
  京都市左京区の八瀬に 明治の太政大臣三条実美の所縁のお寺があります
平成17年から新緑と紅葉の季節に季節限定で公開されており 正式な名称は「 無量寿山光明寺 京都本坊 」と言う寺院です
叡山電鉄の八瀬比叡山口駅の近く 高瀬川に沿って歩くと瀟洒な山門があります
山門から玄関に続く道沿いの庭は「 山露地の庭 」で石段と苔に覆われた庭です 
十三重の石塔が風情があります
白い壺形の花は 群生している花馬酔木です
八瀬という地域は 古くは「 矢背 」「 癒背 」とも記されたように 壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人皇子(後の天武天皇)がこの地の“かま風呂”で傷を癒したと言う伝説で知られた場所です 家人が写真を撮るからかま風呂に横になりなさい と言いますが他の観光客の手前なので躊躇しました 小心者なのですよぉ
更に八瀬と言えば「 八瀬童子 」も有名でしょう
伝教大師最澄が使役した鬼の子孫という伝承などの謎めいた話もあるのですが 南北朝時代に後醍醐天皇が足利軍の攻撃を受けて比叡山に逃れる際に八瀬の郷の住人がその警護にあたったことから その功績で地租課役の永代免除の綸旨を受け 以来 天皇の行幸や葬送の際には輿を担ぐことを仕事としていた人々です
明治天皇や大正天皇が崩御した際の大葬の儀でも八瀬童子が天皇の棺を載せた葱華輦(そうかれん)を担ぎ 昭和天皇の大葬の時には警備上の都合で皇宮護衛官が代行したものの八瀬童子の代表が葬送に参列したそうです こうした伝統や日本古来のしきたりは継承していって欲しいものです
 瑠璃光院には自然を借景として造営された名庭があります
早速 書院二階から「 瑠璃の庭 」を望みます 目の前には青もみじが覆いかぶさるように飛びこんでくるのでした
新緑の楓の光のシャワーを浴びているような気分になりました
瑠璃色に輝く瑠璃光浄土の世界を表した当時の主庭です
数十種の苔の絨毯をぬって一条のせせらぎが流れております
写経が出来ますが写真を撮るのが忙しいので割愛です
茶庵の前には「 臥龍の庭 」があります やはり異なる種類の楓の木々が色づく秋紅葉の季節もよいのだろう
京都通の盟友H氏はこの景観をご存じかしら 教えてあげましょう

  昼食は 京都隠れ家レストランで《スモールポーションランチ(中国料理)》をいただきましょう
瑠璃光院から徒歩のほど近い HOTEL「 エクシブXIV京都 八瀬離宮 」の中国料理のお店「翆 陽」です
メニューは 個々盛りに仕立て中国オードブル
      干し貝柱と湯葉のスープ
      白身魚の上海風チリソース
      香港飲茶三種
      牛肉の煮込み 蒸しパン添え
      紅ずわい蟹の餡かけ炒飯 又は九条ねぎと叉焼のあっさり汁そば
      杏仁豆腐と中国菓子
いずれも美味であり器もまた善し
Portionは料理の部分 分け前 ひと盛り と言った意味合いでしょうが小食になりつつある老人の私ですが質量とも充分に堪能しました デザートは家人に食べてもらいましたよぉ

■大徳寺 黄梅院
 大徳寺は何度か訪れているのですが ここ黄梅院は初めてですなぁ
平成29年度 春期 京都非公開文化財の特別公開中(4月28日~5月7日)でした
黄梅院(おうばいいん)は 京都府京都市北区柴野に在る臨済宗大徳寺派の寺院です
同派大本山大徳寺の搭頭です 
通常は非公開なのですが瑠璃光院のように春と秋に特別公開されるのです
永禄5年(1562年)に当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に父信秀の追善供養のために創設し黄梅院と名付けたことに始まります
天正18年(1582年)の本能寺の変により織田信長が急逝して その葬儀が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)により大徳寺で盛大におこなわれた 
豊臣秀吉は織田信長の搭所として黄梅院を改築したそうです
表門から前庭の苔と新緑の紅葉が穏やかな気持ちを呼んでくれます
早速 お抹茶と羊羹をいただきました
庭園では 千利休62歳の作庭「 直中庭(じきちゅうてい) 」を持ち 美しい苔と新緑が楽しませてくれます さぞかし紅葉の季節もまた素晴らしいでしょう
苔一面の枯山水庭園で 豊臣秀吉の希望による秀吉の軍旗千成瓢箪を象った空池を手前に配し大徳寺二世徹翁和尚が比叡山より持ち帰ったと伝えられる不動三尊石を正面に 左には加藤清正が持ち帰った朝鮮燈篭が据えられております
本堂と唐門は屋根修復工事中のためその全貌を見ることはできませんでした
庫裡も重要文化財であるという 僧侶の住居空間また台所の機能をもつものだと説明があります ただの釜戸ではありません
 織田信長 豊臣秀吉 千利休…と 戦国ゆかりのお寺なのでしょう

  京都 八瀬大原は こころ和む からだ憩う いのち癒す 正しく風雅有情の郷でした
  もう少し時を経たら君にも八瀬逍遥を薦めたいものです

    

         


お城と桜の共演でしょうか 松江城

2017-04-08 07:59:41 | ゆるゆる旅日記

 弥生3月 近隣の桜が開花して春になりました
桜花にはお城がよく似合うということで山陰の松江城に行ってみましょう
さてコースは
   【 昼食は出雲そば付き御膳 国宝松江城の桜と足立美術館 】
日帰りのBusツアーです 今回はクラブツーリズム利用です
日程はJR広島駅前を8:00出発 = 松江城 = 松江堀川地ビール館(出雲そば付き御膳の昼食)= 足立美術館(音声ガイド付きで庭園や絵画を約2時間観賞)= JR広島駅前20:10着
 (運行バス会社:中国ジェイアールバス)

●松江城
 堀尾吉晴により築城開始から5年の歳月をかけて慶長16年(1611年)に完成
松江城は平山城で天守がある本丸の周辺に二ノ丸 二ノ丸下ノ段 後曲輪(うしろくるわ)がめぐり南には堀を挟んで三の丸があります
本丸にそびえる天守閣は桃山時代初期の城郭の特徴を残し華やかな造りを排除した実戦本位の造りとして知られている
国宝の松江城は現存12天守のひとつであり附櫓(つけやぐら)のある複合式望楼型です
1層目と2層目は大入母屋屋根であり下見板張り 木部はすべて黒く塗られている
南北にある千鳥破風(ちどりはふ)の美しさから「千鳥城」とも呼称されている
実戦を考えた造りであることから多数の鉄砲狭間や石落としを有するのも見どころでした
信長 秀吉 家康の3人の天下人に仕えた
堀尾氏2代 京極氏1代を経て幕末までは松平氏10代の居城となった
茶人として知られる松平治郷は7代目である
 松江城は平成27年に国宝に指定され注目が集まる城です
国宝としての秘密が天守の内部にあるのが面白い!
穴蔵の間と呼ばれる地階の真ん中に円筒形の井戸の遺構があるのです
籠城に備え食料と共に建造物内に水源をも確保したのであろう
現存の天守でその中に井戸があるのは松江城だけだそうです
 松江城は築城年が特定できないために重要文化財にとどまっておりました
ところが平成24年に松江神社から城の完成時に書かれたと思われる祈祷札が発見され その札の2つの穴と城の柱に残っていた2つの釘穴がピタリと一致したそうです
祈祷札の年号は江戸時代初期の慶長16年(1611年)と書かれており これによって松江城の築城年が特定され国宝指定に結びついたと言うのです
いやぁ~夢があっていいですなぁ
国宝附指定3件の祈祷札2枚 鎮宅祈祷札4枚 鎮物3点の実物は松江資料館に収蔵されております 松江資料館は近くに在るのですが時間の都合で立ち寄れず少し残念でした

松江城天守の最上階からは松江の街が一望できます 宍道湖が見えます
構造は複合式望楼型 四重五階天守 地下一階 高さは約30mだそうです
いやぁ 天守までの木造の階段(階段と言うよりも梯子段です)のキツイことキツイこと 眺望に期待して天守閣まで昇りましたが降りる時には膝がガクガクでした
 山陰は未だ風が冷たいのでしょうか きょうから4月だと言うのに桜は固い蕾のままでした

そう言えばもう何年も前になるでしょうか
千葉在住のときにIGAグループの仲間たちとこの地方を観光したことを思いだします
城下の武家屋敷を見て廻り小泉八雲記念館に立ち寄り 宍道湖の湖畔の料理屋で“鯛めし”など名物(宍道湖七珍)をいただいたものでした

 昼食は 松江堀川地ビール館で出雲そば付き御膳をいただきましょう
この地方には何度か訪れているのですが 出雲そばは何故丸い器に小分けされているのであろうか
●出雲そば
 出雲そばは島根県の出雲地方で広く食されている郷土料理の蕎麦です
割子そば 釜揚げそばなどがあります
日本三大そばのひとつ(他の2つは 椀子そば 戸隠そば)だそうです
蕎麦粉を造る時にソバの実を皮ごと石臼で挽くためにそばの色は濃く黒く見えて香りも強いのが特徴です
最近は日本各地の蕎麦粉が使われているのですが本来は奥出雲町などの地元産の蕎麦粉を使うものなのです
 出雲地方では奥の院詣り(出雲大社 日御碕神社 三保神社など)の際に 門前の蕎麦屋で蕎麦を食べるのが楽しみであった
また神在月(かみありつき)に行われる神在祭(お忌みさん)の際には神社の周りに屋台の蕎麦屋が立ち並び身体の温まる釜揚げで新蕎麦を食べたのだと言う
釜揚げ蕎麦は出雲を去る神々を見送る儀式神去出祭(からさでさい)に因んで神去出そばまたはお忌みそばと呼称されるそうです
ところで出雲そばは何故丸く重なった器で供されるのか
江戸時代の松江地方の出雲では野外でそばを食べるために弁当のように重箱にそばを入れていたと言う この地方では当時重箱のことを割子と呼んでおり形状は四角形のものが多かったようです そして食べる直前に器のなかにそばつゆをかけて食していたのです
フゥ~ム 弁当箱だったんですなぁ 納得でした!

●足立美術館
この美術館には家人と別のツァーで訪れたことがあるのです
 足立美術館は島根県安来市に在ります
地元出身の実業家である足立全康が1970年(昭和45年)に71歳のときに開館したものである
質量ともに日本一として知られる横山大観の作品は総数130点にのぼり足立コレクションの柱となっております 
横山大観の他にも竹内栖鳳 橋本関雪 河合玉堂 上村松園らの近代画壇の巨匠たちの作品のほかに北大路魯山人 河井寛次郎の陶芸 平櫛田中の木彫なども収蔵している
足立全康は裸一貫から事業を起こし一代で大コレクションをつくりあげたそうです
今回は童画の展示室が楽しめました 林義雄(1210年 104歳没)の「またきてね」は優しい気持ちになりました 「キンダーブック」などの挿画が思いだされ懐かしいですなぁ
 足立美術館の更なる特色は その広大なる日本庭園である
庭園は枯山水庭 白砂青松庭 苔庭 池庭など6つに分かれ面積は5万坪に及ぶ
足立全康が自ら全国を歩いて庭石や松の木などを探し求めた
庭園もまた一幅の絵画である という足立全康の言葉通り造園技法のひとつである借景の手法がとられております 
ウゥ~ム!

足立美術館の近くには安来節演芸館がありました
そう言えば近隣の大根島の由志園の牡丹の花を見に行ったことがありました

松江城は初めて訪れたのであるが 城下町は古い仲間たちと歩いたことがあるのです
そして足立美術館にも立ち寄ったものでした
 しかしまぁ時の経過と頭の老化の相乗作用なのか具体的な記憶の忘却は恐ろしいものです
日々は流れて老いだけが残るのか
それでも歩き続けて見たいと思うのだ
人生はとても速く過ぎていく だから時々は立ち止まって辺りを見渡さないと 大事な時間を見逃してしまうのだ
君にも判る時が来るだろうが
  “ Life moves pretty fast.
   If you don’t stop and look around once in a while, you could miss it. ”
         (1986年「フェリスはある朝突然に」のセリフ)

    

    

 


桃太郎に逢いに 吉備津

2017-03-30 13:30:12 | ゆるゆる旅日記

桃太郎に逢いに行きましょう
と NHK-TVで視た番組で荘厳な社(やしろ)に感嘆したことから 近々行ってみたいと思っていた吉備津神社へ出掛けました
新幹線で岡山までは近距離なのです
JR岡山駅で吉備津線を待つと入線を知らせるメロディー“桃太郎さん 桃太郎さん~” が聴こえてきました
吉備津駅までは20~30分くらいでしょうか 松並木の参道を歩くこと約15分くらいか 
田舎の風景が心地よいですなぁ

●吉備津神社
吉備津神社(きびつじんじゃ)は岡山県岡山市北区吉備津に位置し備中国一宮です
吉備津彦神社とも称したが現在は吉備津神社が正式名称である
その概要は 岡山市西部の備前国と備中国の境の吉備の中山の北西麓に北面して鎮座している 
吉備の中山は古来より神体山とされ 北東麓には備前国一宮の吉備津彦神社が鎮座している 吉備津彦神社とも主祭神には当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀る
足利義満の造営とされる比翼入母屋造りの本殿は独特の吉備津造りで拝殿とともに国宝指定である
本殿の大きさは出雲大社の本殿 八坂神社の本殿に匹敵するもので随所に仏教建築の影響がみられます
また社殿3棟が国重要文化財指定であり御釜殿では釜の鳴る音で吉凶を占う特殊神事の鳴釜神事が有名なのです
退治された鬼の首が釜の下に埋められていて釜の鳴る音はその鬼の声だと言われている
かの軍師の黒田官兵衛も祈願に参じたそうです
そしてまた桃太郎伝説のモデルとしても知られております

  桃太郎の物語(お伽話或いは昔話)は いくつかの場面で出典に違いがあるのですが
『 むかし むかし あるところにおじいさんと おばあさんがすんでおりました ~ 』ではじまる「かぐや姫」と並んで幼い頃読んだことがあります
* 桃太郎の出生に関しては“ドンブラコ ドンブラコ”と川に流れてきた桃から誕生したと言う説や 桃を食べた老夫婦が若返って子供を産んだと言う所謂回春説
* 桃太郎の成長についてはお爺さんとお婆さんの期待にこたえて働き者に育ったと言う説や 三年寝太郎のように力持ちで大きな体に育つが怠け者で寝てばかりいたとの説
* やがて成長した桃太郎は 鬼が島の鬼が人々を苦しめていることを理由に鬼退治に旅立つが その決意が“義を見てせざるは勇無きなり”と自発的に行ったと言う説 村人や領主に言われて受動的に行ったとする説
* 出征時に両親からは黍団子を餞別にもらったそうですが 道中で遭遇した犬 猿 雉にその黍団子を分け与えて家来にしたのだと言う説
* 鬼が島での鬼との戦いで勝利を収めて鬼の所持していた金銀財宝の宝の山を持ち帰り お爺さんとお婆さんのもとに帰って幸せに暮らしたと言うエンディングです

 それでは懐かしく文部省唱歌「桃太郎」(作詞 不詳 作曲 岡野貞一)の歌詞を
  桃太郎さん桃太郎さん お腰につけた黍団子 ひとつわたしに下さいな
  やりましょうやりましょう これから鬼の征伐に ついて行くならやりましょう
  行きましょう行きましょう あなたについて何処までの 家来になって行きましょう
  そりゃ進めそりゃ進め 一度に攻めて攻めやぶり つぶしてしまえ鬼が島
  おもしろいおもしろい のこらず鬼を攻めふせて 分捕り物をえんやらや
  万々歳万々歳 お伴の犬や猿雉は 勇んで車をえんやらや
戦時歌謡が華やかなりし頃には替え歌があったそうです
戦意を鼓舞したのでしょうか
その頃からでしょうか 桃太郎が日の丸を頭にしたのは

 それでは吉備津神社の鬼退治神話では
“ 昔々異国よりこの吉備津に空を飛んでやって来た者がおりました
その者は一説には百済の皇子で名を温羅(うら)と言い眼は狼のように爛々と輝き髪は赤々と燃えるようで身の丈は一丈四尺もあり強力な腕力を持ち性格は荒々しく凶暴であった
温羅は鬼が城に居を構え城を築き都に向かう船や婦女子を襲い恐れられていたそうです
武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が戦いを挑むことになりましたが苦戦を強いられます
不思議なことに五十狭芹彦命が射た矢と温羅が投げた石が空中で衝突してしまう
そこで強弓を用い一度に二矢を射ることで一矢は温羅に突き刺さり雉に姿を変え山中に逃げ込むと五十狭芹彦命は鷹となって攻撃する 温羅は鯉に姿を変え血吸川に逃げ込むのでした 命は鵜に変化しついに捕まえることができたのだと言う
これから吉備津彦命と呼ばれるようになったそうです ”
吉備津神社の北西に 鬼の城と呼ばれる朝鮮式の山城の石積があり調査発掘が行われております
神話ですから覆したり異を唱えることはできません

 お伽話あるいは昔物語の桃太郎伝説の更に解釈として
椎名誠は「かぐや姫はいやな女」の著書なかで興味深い解釈と提言をしている
『「桃太郎」も「かぐや姫」も典型的なエイリアンものとして解釈すべきだろう』 と言うのだ
著書のなかで「桃太郎」の昔話或いはお伽話から問題点を提示しております
 * 桃太郎の実力はどれ程のものなのか
 * 桃太郎の敵成敗出兵の動機は及び勝算はいか程のものか
 * 悪いと言われる鬼たちの罪状はいか程のものか
 * 犬と猿と雉が加勢してどれ程の戦力強化となるのか
 * 成敗してなにがどうなるのであろうか
まぁ これらの問題点は桃太郎がエイリアン説で解釈すれば全て解決してしまう(ような気がする)のですが
かってから考えていた自説として 椎名誠のエイリアン説をとりたいと思うのです

《 ECO-POWER桃太郎 》は 日本貨物鉄道(JR貨物)岡山機関区所属の電気機関車・EF210形の愛称です 
そう言えば山陽本線で通勤の途中 このマークの貨物列車が走っておりますなぁ

2016年より西日本旅客鉄道の吉備線の愛称が《 桃太郎線 》ですなぁ

 桃太郎には逢えませんでしたが 久々に長閑な田舎道を歩いて気分一新の休日でした
小旅行と言うよりも少し足を伸ばした散歩だったかも知れませんが 遠出をしたことで
『 旅に出たい! 鮮烈な光景を探したい! 』と思わずにはいられないのでした 
ヨーロッパへの旅も良いが近隣にも未だ見ぬ良い処が沢山あるのです
君にも教えてあげよう

    

 


夏代々の城下町は

2017-02-02 13:50:48 | ゆるゆる旅日記

夏代々の城下町は

1月20日(金)
【 ~どこへ行くかは当日のお楽しみ!~
       豪華福袋ミステリーツアー 】

天候が危ぶまれるなか家人と日帰りのBUSツアーです
コースは“ミステリー”ですから申し込み時のパンフでは伏せてありましたが
JR広島駅北口==<広島IC/美祢東JCT>==海鮮村北長門(昼食)==元乃隅稲成神社==村田蒲鉾==萩城下町==<十文字IC/広島IC>==JR広島駅北口
まぁ 行き先は予想通りでした
山口県に入り美祢東JCTあたりから雪が降り出し風も強くなってきました
そうです!“ミステリー”というのは「JTB旅物語」のうたい文句であり 山口県北部の日本海に面した山陰地方のほぼ西端に位置している長門市への観光なのです
山口と言えば“金子みすゞ”です
ここには「 金子みすゞ記念館」がありますが今回は訪れることは叶いませんでした
そして最近のNewsでは 2016年12月に日露首脳会談が行われたのが山口県長門湯元温泉“大谷山荘”でした
『 おいでませ!プーチン大統領 !』と安倍首相の故郷へ招いて歓迎したのでしょうが 
プーチンさんは大幅に遅れてきてお土産はなし で帰りましたがねぇ
もっとも安倍首相は東京生まれですが  本籍地がこの長門市なのです

中国道を出たBUSは一車線の狭い道を目的地へと向かいます
●龍宮の潮吹き
龍宮とは宇津賀半島北端の海蝕地形の総称のことです
この地帯は第4紀洪積世(約200万年~1万年前)の玄武岩からできております
そして玄武岩の横臥の奥に龍宮があると伝えられているそうな
そしてまた潮吹きとは 打ち寄せる波が絶壁の海面近くの隙間に突入し圧縮された空気が一気に外にでていこうとして海水を吹き上げる現象です
波しぶきが高く舞い上がることなのですが北風の影響で海が荒れることが条件になります
あたかも龍が天に昇っているかのごとく見えるそうです
きょうのこの地方の天気予報では処に依り瞬間風速30~35mとのことでしたので潮吹きの様子を強風に期待したのですがよくわかりませんでしたが

●元乃隅稲成神社
今日の目的地でしたが雪は止んだものの強風で震えてしまいました
元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)は山口県長門市油谷津黄に位置している
1955年(昭和30年)に地元の網本の枕元に白狐が現れ「 これまで漁をしてこれたのは誰のお陰であろうか 」と問い「 吾をこの地に鎮祭せよ 」と言うお告げがあったそうな
このことから 太鼓谷稲成神社(島根県津和野町)から分霊されて建立されたそうです
全国の稲荷神を祀る神社が“稲荷神社”と記すのに対して“稲成神社”の文字を充てているのはこのことに起因しているのです
商売繁盛 大漁 海上安全はもとより良縁 子宝 開運厄除 福徳円満 交通安全 学業成就 願望成就の大神として地域の人々の信仰を集めていると言う
そして太鼓谷稲成神社は京都の伏見稲荷から分霊されているのです
“ 稲荷 ”神社は全国で約4万社もありますが“ 稲成 ”は2社のみだそうです

参道にある連なる鳥居は昭和62年から建てられたもので参拝者が奉納したもので縁起のよい数字で123本(ひぃ~ふぅ~みぃ~)あるそうです 約100m以上に渡り並んでいるのです
まぁ この朱色の鳥居をくぐることが人気となり観光客が訪れるのでしょうか
強風のなか階段を昇るのは辛いものがありました
鳥居をくぐり抜けて昇ったところに小さな祠があります ご利益がいっぱいのようですのでお賽銭を奮発してお参りをしました
裏参道の出口付近にある大鳥居の中央上部(高さ約5m)には賽銭箱が設置されており見事に賽銭を投げいれることが出来れば願いが叶うそうです
TVで放映されて以来 観光客が増えたのだそうです

 BUSは萩市に移動 萩の城下町を自由散策です
いやぁ~寒いのなんの!
  江戸屋横町―江戸屋横町は黒板塀が続く風情のある通りですな 
 西郷隆盛 大久保利光と並び維新の三傑のひとりである木戸孝允(桂小五郎)の旧宅などがあります
 円政寺―高杉晋作や伊藤博文が幼少の頃に勉学に励んだところ
 菊屋住宅―藩の御用商人を努めていた豪商
 菊屋横町―白壁となまこ壁が続く通りで高杉晋作の誕生地があります
と ゆっくり散策したいのはやまやまですがあまりの寒風には勝てず暖を求めて萩博物館へ行ってみましょう 

●萩博物館
長州藩の城下町であった山口県萩市は現在も街中に多くの歴史資料や建造物が残っており“ 江戸時代の地図がそのまま使える町 ”をキャッチコピーとして掲げているのです
萩博物館もまた萩市特有の武家屋敷風の広大な造りになっております
歴史展示室 高杉晋作資料室 萩の人物コーナーなど萩城 長州藩 長州戦争 明治維新などの萩の歴史を知る上で興味深い展示が多いのです

夏代々の城下町に 《 ナツミカン 》のこと
ナツミカン夏蜜柑はミカン科ミカン属の柑橘類です
ナツカン夏柑またはナツダイダイ夏橙とも言います
江戸時代の中期に黒潮にのって南方から山口県長門市に漂着した文旦系の柑橘の種を撒き育てたのが起源であるとされております
山口県の国道以外の道路のガードレールの多くが黄色なのは夏ミカンの色に由来しているのですな
1926年の初夏に来訪した後の昭和天皇は漂う夏ミカンのあまりの香りの良さに『 この町には香水がまいてあるのか 』とお尋ねになったとの記録があるそうです
夏蜜柑は山口県とくに萩市で多く栽培されている
本来の名称は夏代々( なつだいだい )なのだそうです
明治期に維新後の四民平等のあおりを受けて職を失い生活に困窮した武士への救済処置として夏蜜柑の栽培が奨励されて当時植えられた夏蜜柑の木が現在も萩市内にたくさん残っていることがわかります
萩の士族たちが代々続くようにとの願いをこめて夏蜜柑を“ 夏代々( なつだいだい ) ”といわれたのだとか
夏蜜柑の歴史物語が萩博物館のコーナーに資料展示してあり学芸員の方が萩と夏蜜柑の関わりを丁寧にガイドしてくれました 

帰路のBUSから「  菓子乃季  」のSHOPが見えました
山口の銘菓のスイーツです “ 月でひろった卵 ”と なんとも夢のある( 夢ではなくなりつつありますが )可愛い名前ですな 
航空会社の国内線機内食のひとつに採用された折に 全日空の客室乗務員CAのネーミングなのだそうです
いちど食してみましょう
車窓からの路々に水仙の花が春の近いことを知らせてくれております

萩博物館に入った直ぐの所に 萩出身の川柳作家の井上剣花坊の句碑がありました
   巣立ちした
     あとははじめの
        二羽になり
君はどう思うかね
いや なに 燕(つばめ)の巣の話だよ