金澤 ゆるゆる旅日記
今年の5月G.W.連休は大型連休です 東京在住の子どもたち家族と旅行に出掛けましょう と計画していたのですが 彼らは既に家族で海外旅行を計画しており日程の折り合いがつきません
まぁそれでは家人とのんびり北陸路を … それがまぁなんと 義父が急遽やや体調不良のため止む無くジイさん(私のことです!)の“ひとり旅”になってしまいました
JR山陽新幹線は新大阪駅で乗り換え特急サンダーダードでお昼には金澤へ着きました
金沢駅前のHOTELに2連泊で 金沢~福井を廻りましょう
【5月某日 1日目】
初日は金沢市内観光です
観光タクシーのガイド兼ドライバーはOさんです コースはあらかじめ決めてあったのですがお任せにしました これが良かったのですなぁ
■成巽閣(せいそんかく)
成巽閣は江戸時代末期の文久3年に前田家13代齋泰が母堂にあたる12代奥方眞龍院(鷹
司隆子)のために造営した奥方御殿です 兼六園に隣接しております
歴史博物館として一般公開されており 加賀人形の展示が美しい
障子の腰板や欄間にはオランダ渡りのギヤマンが細工されており これもまた美しい
時代を考えるとかなり斬新的なものであったことが伺えます
柱の無い長さ20mの縁側 つくしの縁 は聞いてみて驚きでした
縁側の軒先は“桔木(はねぎ)”によって支えられ庭を開放的に眺めることができるようになっております 梃子の原理で屋根を支えているのだそうです
■尾山神社(おやまじんじゃ)
兼六園の近隣です
加賀藩祖・前田利家公とその正室・まつの方を祀っているのです
1873(明治6)年に建立したものですが 和洋漢を折衷した三層アーチ型の新門は珍しいのでしょう 五彩のステンドグラスを配しております 夜のライトアップが綺麗でしょう
前田家は外様大名の立場であったのでしょうが利家公の神威の然らしめるところなのか或いは前田家300年の仁政によるものなのでしょうか雄大な社殿が残されております
■玉泉院丸庭園(ぎょくせんまるていえん)
石垣に囲まれ高低差22mの立体的な構成になっております
藩主の私的な庭であったそうな
■ひがし茶屋街
加賀藩が1829(文政3)年に城下にあるお茶屋を集めたことが始まり
重要伝統的建造物群保存地区で南北約130m 東西約180mの広さです
金沢は「空から謡(うたい)が降ってくる」といわれているのですが そんな風情が色濃く残っているような気がします
往時の街並みが残されており 神社仏閣とはまた異なったレトロな感覚が楽しいのです
茶屋によく使われている隙間の狭い格子で木虫籠(きむすこ)と呼ばれる格子戸は外からは見えにくく内側からは見えやすい造りが面白い
金沢には3つの茶屋街 ひがし茶屋街 にし茶屋街 主計町茶屋街がありますがひがし茶屋街がもっとも格式が高いとか 三味線や太鼓の音が聞えてくるようですが連休中は休業だそうです
レトロなデザインが茶屋街の雰囲気になじむガス灯があちらこちらに 夜の光景がすてきでしょうに
それにしても観光客の多いこと 案内してくれているドライバーのOさんによると北陸新幹線が開通してからの休日は混雑します とのこと
北陸新幹線が金沢まで伸びたことで北陸観光が活況を呈しているのでしょう
■長町武家屋敷跡
江戸時代にタイムスリップしたような街並みが保存されている
下駄の歯に挟まった雪を落としたり馬をつなぐために使われた“がっぽ石”や土塀の脇を流れる大野庄用水などは注目すべきでしょう
加賀藩の重職の屋敷跡は目を見張るものがありますが 足軽の長屋が面白いものがありました 足軽長屋と言っても一戸建てなのですが足軽の日常生活と職務が手に取るように保存されております 現在の3LDKでしょうか 人の営みは現代と変わっていないことが判ります
夜ご飯は 石川県金沢市の代表的な郷土料理である治部煮(じぶに)をいただきました
治部煮は 鴨肉(もしくわ鶏肉)をそぎ切りにして小麦粉をまぶしだし汁に醤油 砂糖 味醂 酒をあわせたもので鴨肉 麩 椎茸 青菜などをにたものです 汁にはとろみをつけて薬味は山葵を使っておりますな
“じぶ”の名前の由来は
・豊臣秀吉の兵糧奉行だった岡部治部右衛門が朝鮮から持ち込んだことに因んだ
・材料を『じぶじぶ』と煎りつけるようにして作ることから
・野生の鴨肉を使うことからフランス料理のジビエから変化した
などの諸説があるのですが由来は定かではないようです