夏代々の城下町は
1月20日(金)
【 ~どこへ行くかは当日のお楽しみ!~
豪華福袋ミステリーツアー 】
天候が危ぶまれるなか家人と日帰りのBUSツアーです
コースは“ミステリー”ですから申し込み時のパンフでは伏せてありましたが
JR広島駅北口==<広島IC/美祢東JCT>==海鮮村北長門(昼食)==元乃隅稲成神社==村田蒲鉾==萩城下町==<十文字IC/広島IC>==JR広島駅北口
まぁ 行き先は予想通りでした
山口県に入り美祢東JCTあたりから雪が降り出し風も強くなってきました
そうです!“ミステリー”というのは「JTB旅物語」のうたい文句であり 山口県北部の日本海に面した山陰地方のほぼ西端に位置している長門市への観光なのです
山口と言えば“金子みすゞ”です
ここには「 金子みすゞ記念館」がありますが今回は訪れることは叶いませんでした
そして最近のNewsでは 2016年12月に日露首脳会談が行われたのが山口県長門湯元温泉“大谷山荘”でした
『 おいでませ!プーチン大統領 !』と安倍首相の故郷へ招いて歓迎したのでしょうが
プーチンさんは大幅に遅れてきてお土産はなし で帰りましたがねぇ
もっとも安倍首相は東京生まれですが 本籍地がこの長門市なのです
中国道を出たBUSは一車線の狭い道を目的地へと向かいます
●龍宮の潮吹き
龍宮とは宇津賀半島北端の海蝕地形の総称のことです
この地帯は第4紀洪積世(約200万年~1万年前)の玄武岩からできております
そして玄武岩の横臥の奥に龍宮があると伝えられているそうな
そしてまた潮吹きとは 打ち寄せる波が絶壁の海面近くの隙間に突入し圧縮された空気が一気に外にでていこうとして海水を吹き上げる現象です
波しぶきが高く舞い上がることなのですが北風の影響で海が荒れることが条件になります
あたかも龍が天に昇っているかのごとく見えるそうです
きょうのこの地方の天気予報では処に依り瞬間風速30~35mとのことでしたので潮吹きの様子を強風に期待したのですがよくわかりませんでしたが
●元乃隅稲成神社
今日の目的地でしたが雪は止んだものの強風で震えてしまいました
元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)は山口県長門市油谷津黄に位置している
1955年(昭和30年)に地元の網本の枕元に白狐が現れ「 これまで漁をしてこれたのは誰のお陰であろうか 」と問い「 吾をこの地に鎮祭せよ 」と言うお告げがあったそうな
このことから 太鼓谷稲成神社(島根県津和野町)から分霊されて建立されたそうです
全国の稲荷神を祀る神社が“稲荷神社”と記すのに対して“稲成神社”の文字を充てているのはこのことに起因しているのです
商売繁盛 大漁 海上安全はもとより良縁 子宝 開運厄除 福徳円満 交通安全 学業成就 願望成就の大神として地域の人々の信仰を集めていると言う
そして太鼓谷稲成神社は京都の伏見稲荷から分霊されているのです
“ 稲荷 ”神社は全国で約4万社もありますが“ 稲成 ”は2社のみだそうです
参道にある連なる鳥居は昭和62年から建てられたもので参拝者が奉納したもので縁起のよい数字で123本(ひぃ~ふぅ~みぃ~)あるそうです 約100m以上に渡り並んでいるのです
まぁ この朱色の鳥居をくぐることが人気となり観光客が訪れるのでしょうか
強風のなか階段を昇るのは辛いものがありました
鳥居をくぐり抜けて昇ったところに小さな祠があります ご利益がいっぱいのようですのでお賽銭を奮発してお参りをしました
裏参道の出口付近にある大鳥居の中央上部(高さ約5m)には賽銭箱が設置されており見事に賽銭を投げいれることが出来れば願いが叶うそうです
TVで放映されて以来 観光客が増えたのだそうです
BUSは萩市に移動 萩の城下町を自由散策です
いやぁ~寒いのなんの!
江戸屋横町―江戸屋横町は黒板塀が続く風情のある通りですな
西郷隆盛 大久保利光と並び維新の三傑のひとりである木戸孝允(桂小五郎)の旧宅などがあります
円政寺―高杉晋作や伊藤博文が幼少の頃に勉学に励んだところ
菊屋住宅―藩の御用商人を努めていた豪商
菊屋横町―白壁となまこ壁が続く通りで高杉晋作の誕生地があります
と ゆっくり散策したいのはやまやまですがあまりの寒風には勝てず暖を求めて萩博物館へ行ってみましょう
●萩博物館
長州藩の城下町であった山口県萩市は現在も街中に多くの歴史資料や建造物が残っており“ 江戸時代の地図がそのまま使える町 ”をキャッチコピーとして掲げているのです
萩博物館もまた萩市特有の武家屋敷風の広大な造りになっております
歴史展示室 高杉晋作資料室 萩の人物コーナーなど萩城 長州藩 長州戦争 明治維新などの萩の歴史を知る上で興味深い展示が多いのです
夏代々の城下町に 《 ナツミカン 》のこと
ナツミカン夏蜜柑はミカン科ミカン属の柑橘類です
ナツカン夏柑またはナツダイダイ夏橙とも言います
江戸時代の中期に黒潮にのって南方から山口県長門市に漂着した文旦系の柑橘の種を撒き育てたのが起源であるとされております
山口県の国道以外の道路のガードレールの多くが黄色なのは夏ミカンの色に由来しているのですな
1926年の初夏に来訪した後の昭和天皇は漂う夏ミカンのあまりの香りの良さに『 この町には香水がまいてあるのか 』とお尋ねになったとの記録があるそうです
夏蜜柑は山口県とくに萩市で多く栽培されている
本来の名称は夏代々( なつだいだい )なのだそうです
明治期に維新後の四民平等のあおりを受けて職を失い生活に困窮した武士への救済処置として夏蜜柑の栽培が奨励されて当時植えられた夏蜜柑の木が現在も萩市内にたくさん残っていることがわかります
萩の士族たちが代々続くようにとの願いをこめて夏蜜柑を“ 夏代々( なつだいだい ) ”といわれたのだとか
夏蜜柑の歴史物語が萩博物館のコーナーに資料展示してあり学芸員の方が萩と夏蜜柑の関わりを丁寧にガイドしてくれました
帰路のBUSから「 菓子乃季 」のSHOPが見えました
山口の銘菓のスイーツです “ 月でひろった卵 ”と なんとも夢のある( 夢ではなくなりつつありますが )可愛い名前ですな
航空会社の国内線機内食のひとつに採用された折に 全日空の客室乗務員CAのネーミングなのだそうです
いちど食してみましょう
車窓からの路々に水仙の花が春の近いことを知らせてくれております
萩博物館に入った直ぐの所に 萩出身の川柳作家の井上剣花坊の句碑がありました
巣立ちした
あとははじめの
二羽になり
君はどう思うかね
いや なに 燕(つばめ)の巣の話だよ