Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

こころ和む からだ憩う いのち癒す 洛北八瀬の青もみじ

2017-05-03 14:36:59 | ゆるゆる旅日記

“やすらぎ”と“いこい”の郷へ ―

      京都定期観光バス
    【 瑠璃光院と京都洛北 隠れ家レストランでのひととき 】
  京都定期観光バスは京阪バスの運行によるものですが このコースはMaiko Busで運行します 車体に舞妓さんが描かれております
きょうは“やすらぎ”と“いこい”の郷で青もみじを楽しみましょう
行程は 瑠璃光院と黄梅院の2か所をゆるりと廻ります

■瑠璃光院
  京都市左京区の八瀬に 明治の太政大臣三条実美の所縁のお寺があります
平成17年から新緑と紅葉の季節に季節限定で公開されており 正式な名称は「 無量寿山光明寺 京都本坊 」と言う寺院です
叡山電鉄の八瀬比叡山口駅の近く 高瀬川に沿って歩くと瀟洒な山門があります
山門から玄関に続く道沿いの庭は「 山露地の庭 」で石段と苔に覆われた庭です 
十三重の石塔が風情があります
白い壺形の花は 群生している花馬酔木です
八瀬という地域は 古くは「 矢背 」「 癒背 」とも記されたように 壬申の乱で背中に矢傷を負った大海人皇子(後の天武天皇)がこの地の“かま風呂”で傷を癒したと言う伝説で知られた場所です 家人が写真を撮るからかま風呂に横になりなさい と言いますが他の観光客の手前なので躊躇しました 小心者なのですよぉ
更に八瀬と言えば「 八瀬童子 」も有名でしょう
伝教大師最澄が使役した鬼の子孫という伝承などの謎めいた話もあるのですが 南北朝時代に後醍醐天皇が足利軍の攻撃を受けて比叡山に逃れる際に八瀬の郷の住人がその警護にあたったことから その功績で地租課役の永代免除の綸旨を受け 以来 天皇の行幸や葬送の際には輿を担ぐことを仕事としていた人々です
明治天皇や大正天皇が崩御した際の大葬の儀でも八瀬童子が天皇の棺を載せた葱華輦(そうかれん)を担ぎ 昭和天皇の大葬の時には警備上の都合で皇宮護衛官が代行したものの八瀬童子の代表が葬送に参列したそうです こうした伝統や日本古来のしきたりは継承していって欲しいものです
 瑠璃光院には自然を借景として造営された名庭があります
早速 書院二階から「 瑠璃の庭 」を望みます 目の前には青もみじが覆いかぶさるように飛びこんでくるのでした
新緑の楓の光のシャワーを浴びているような気分になりました
瑠璃色に輝く瑠璃光浄土の世界を表した当時の主庭です
数十種の苔の絨毯をぬって一条のせせらぎが流れております
写経が出来ますが写真を撮るのが忙しいので割愛です
茶庵の前には「 臥龍の庭 」があります やはり異なる種類の楓の木々が色づく秋紅葉の季節もよいのだろう
京都通の盟友H氏はこの景観をご存じかしら 教えてあげましょう

  昼食は 京都隠れ家レストランで《スモールポーションランチ(中国料理)》をいただきましょう
瑠璃光院から徒歩のほど近い HOTEL「 エクシブXIV京都 八瀬離宮 」の中国料理のお店「翆 陽」です
メニューは 個々盛りに仕立て中国オードブル
      干し貝柱と湯葉のスープ
      白身魚の上海風チリソース
      香港飲茶三種
      牛肉の煮込み 蒸しパン添え
      紅ずわい蟹の餡かけ炒飯 又は九条ねぎと叉焼のあっさり汁そば
      杏仁豆腐と中国菓子
いずれも美味であり器もまた善し
Portionは料理の部分 分け前 ひと盛り と言った意味合いでしょうが小食になりつつある老人の私ですが質量とも充分に堪能しました デザートは家人に食べてもらいましたよぉ

■大徳寺 黄梅院
 大徳寺は何度か訪れているのですが ここ黄梅院は初めてですなぁ
平成29年度 春期 京都非公開文化財の特別公開中(4月28日~5月7日)でした
黄梅院(おうばいいん)は 京都府京都市北区柴野に在る臨済宗大徳寺派の寺院です
同派大本山大徳寺の搭頭です 
通常は非公開なのですが瑠璃光院のように春と秋に特別公開されるのです
永禄5年(1562年)に当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に父信秀の追善供養のために創設し黄梅院と名付けたことに始まります
天正18年(1582年)の本能寺の変により織田信長が急逝して その葬儀が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)により大徳寺で盛大におこなわれた 
豊臣秀吉は織田信長の搭所として黄梅院を改築したそうです
表門から前庭の苔と新緑の紅葉が穏やかな気持ちを呼んでくれます
早速 お抹茶と羊羹をいただきました
庭園では 千利休62歳の作庭「 直中庭(じきちゅうてい) 」を持ち 美しい苔と新緑が楽しませてくれます さぞかし紅葉の季節もまた素晴らしいでしょう
苔一面の枯山水庭園で 豊臣秀吉の希望による秀吉の軍旗千成瓢箪を象った空池を手前に配し大徳寺二世徹翁和尚が比叡山より持ち帰ったと伝えられる不動三尊石を正面に 左には加藤清正が持ち帰った朝鮮燈篭が据えられております
本堂と唐門は屋根修復工事中のためその全貌を見ることはできませんでした
庫裡も重要文化財であるという 僧侶の住居空間また台所の機能をもつものだと説明があります ただの釜戸ではありません
 織田信長 豊臣秀吉 千利休…と 戦国ゆかりのお寺なのでしょう

  京都 八瀬大原は こころ和む からだ憩う いのち癒す 正しく風雅有情の郷でした
  もう少し時を経たら君にも八瀬逍遥を薦めたいものです