Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

沙羅双樹の花は 京都に

2017-07-09 15:15:38 | ゆるゆる旅日記

― 沙羅双樹の花がみたかったのです
そこで出掛けました京都です

【 ほんまもんの京都 水無月 】
 平八茶屋の昼懐石・紫陽花祭りと沙羅の花を愛でる会

行程はJR広島駅(新幹線8:35)= JR京都駅(10:16) = 大原三千院(紫陽花まつり) = 平八茶屋(昼懐石) = 京菓子司 満月 = 東林院(沙羅の花を愛でる会)= JR京都駅(新幹線18:10)= JR広島駅(19:55)
ひろでん中国新聞旅行が企画の日帰りツアーです

JR京都駅八条口からBUSは大原三千院に向かいます
大原は若狭街道(国道367号)沿いに開けた山里です
紫蘇畑が広がり京名産しば漬けの里でもあります
本来は“柴葉漬け”であり“柴葉”とは赤紫蘇のことです
京郊外の大原はシソが名産だったが 平家滅亡後に大原に隠棲した建礼門院(平徳子)が里人の差し入れた漬物を気に入り柴葉の漬物つまり柴葉漬けと名付けた伝承があるそうです

  ♪「 女ひとり 」
      作詞 永 六輔 作曲 いずみたく
  京都大原三千院 恋に破れた女が一人
  結城に潮風のすがきの帯が 池の水面に揺れていた
  京都大原三千院 恋に破れた女が一人

  京都拇尾高山寺 恋に破れた女が一人
  大島紬につづれの帯が 影を落とした石畳
  京都拇尾高山寺 恋に破れた女が一人

  京都嵐山大覚寺 恋に破れた女が一人
  塩沢絣に名古屋帯 耳をすませば滝の音
  京都嵐山大覚寺 恋に破れた女が一人

オリジナルは1965年にリリースしたデューク・エイセスが唄ったヒット曲です
その後60年代の終わりに「京都の恋」「京都慕情」をヒットさせた渚ゆう子もリリースしておりました
今回も家人と二人の小旅行ですが口ずさんでみました

BUSで40~50分くらいで “八瀬”を通り三千院の駐車場で着きました
“八瀬”は先頃“瑠璃光院”で青もみじを観に来ましたのでなんだか懐かしいような気がしました

■ 三千院
天台宗の寺院で三千院門跡とも称される
門跡寺院とは室町時代に確立した寺格で代々の住職を貴族や天皇の血族で僧籍にあった者が務めた格式の高い寺院ということです
かっては貴人や仏教修行者の隠遁の地であった大原の里に在ります
青蓮院 妙法院とともに天台宗の三門跡寺院のひとつに数えられております
最澄が比叡山に根本中堂を造営した時に建てたお堂を現在地に移したものであるそうです
苔庭が眼に優しいのです “東洋の宝石箱”とも称されております
紅葉の頃にもさぞかし趣がありましょう
ここには小さな可愛らしい“わらべ地蔵”があります 
やすらぎを覚えさせてくれましたなぁ
宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」と書かれた伝教大師の言葉がありますが
「 修業僧は紅葉を見 青苔に接して 紅葉と和し 青苔に融け 一枚の散る紅葉を青苔とが一つになって同化し 自分の心にとけ込んでいく心境づくりをするものであります 」と言うことなのです
往生極楽院の阿弥陀三尊像は国宝です 中尊の阿弥陀如来は来迎印を結び 右の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で 左の勢至菩薩は合掌し 特筆すべきは両菩薩共に少し前屈みに跪く「大和坐り」であることです

≪ 呂律が回らない; 呂律ゆかりの川 ≫
三千院は呂川と北に同じく細流の小さな律川に挟まれた高台に境内にあります
崖に建て札がたっており呂川と律川について解説しております
呂律の寺・声明(しょうみょう)の寺です 声明発祥の地であるそうな
声明とは日本仏教の儀式や法要で僧の唱える声楽のことである
つまり経文に音曲をつけて歌唱するように唄えること
呂律は もともと中国から伝わった雅楽の言葉で「りょりつ」で言葉の調子を意味している「呂旋(りょせん)」は長音階に「律旋(りつせん)」は短音階に相当するのだとされます
呂(りょ)と律(りつ)と言う音階が合わないことを 《 呂律が回らない 》の語源なのだそうです
呂律がよどみなく流れ声明盛んな頃の時代がよみがえってくるような所ですなぁ
語源はここにあったのか と言うことは納得ですが ウ~ム わかったかな!

三千院あじさい祭り
三千院のあじさいは境内にある金色不動堂に向かう参道脇の紫陽花苑に
幻のあじさい“小紫陽花”や珍種の“星紫陽”などがあるそうですが判りませんでした
3,000株以上の色とりどりであざやかなあじさいが初夏の訪れを喜んでいるかのように咲き誇っているとのうたい文句でしたがやや淋しい感じでしたが すこしガッカリです

◎ 昼食は 「山ばな 平八茶屋」で昼懐石
平八茶屋の創業は天正年間で400年以上続く老舗です
壬生狂言の“山端とろろ”と言う演目はこの店が舞台なのだそうです
夏目漱石の“虞美人草”や徳富蘆花の“思い出の記”や頼山陽の漢詩“山陽詩抄”のなかにも店名が登場しているとか
幕末には新撰組が嫌がらせでつけた刀傷が今も母屋の入り口に残っているとか
“麦とろろご飯”で満腹

■ 妙心寺
京都右京区花園に在る臨済宗妙心寺派大本山の寺院です
本尊は釈迦如来 開基は花園天皇
近世に再建された三門 仏殿 法堂などの中心伽藍の周囲には多くの搭頭が立ち並び一大寺院群を形成している
平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いことから京都市民からは西の御所と呼ばれているそうです

東林院 - 沙羅双樹の寺
東林院(とうりんいん)は妙心寺の山内搭頭のひとつです 宿坊ですね
枯山水庭園 水琴窟があり 通称は沙羅双樹の寺 沙羅双樹の花が咲く時期の特別公開で知られております 
1月の“小豆粥で新春を祝う会” 10月の“梵燈のあかりに親しむ会” そして6月は今回の“沙羅の花を愛でる会”が特別拝観なのです
供された抹茶の和菓子は沙羅双樹の花をあしらっておりました

≪ 沙羅双樹とナツツバキの花は ≫
サラソウジュ(沙羅双樹 娑羅双樹)はフタバガキ科の常緑高木である
シャラソウジュ サラノキ シャラノキとも呼称する
特徴として 幹高は約30mにも達するそうです この時期には白い花が咲きジャスミンにも似た香りを放つそうですが判りませんでした
思っていたよりも花弁は小さいものでした
耐寒性が弱く 日本では温暖な地域の仏教寺院や植物園で見ることができる程度でしょう 家庭では育てることは難しいのでしょうか

そしてサラソウジュと仏教との関わりもあります
仏教三大聖樹は
・無憂樹(マメ科):釈迦が生まれた所にあった木
・印度菩提樹(クワ科):釈迦が悟りを開いた所にあった木
・沙羅樹(フタバガキ科):釈迦が亡くなった所にあった木
二本並んだ沙羅の樹の下で釈尊が入滅したことから沙羅樹は沙羅双樹とも呼ばれます

かって代用として 各地の寺院でツバキ科のナツツバキが植えられたことから沙羅(シャラ)と呼ばれていることがあるのですがこれは別種なのです
沙羅双樹と言えば 平家物語です
『 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
     沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
   奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
     猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ 』
を思いだします
平家物語を習った高校生の頃に 沙羅双樹の花とはどのようなものなのだろうと思ったものでした
日本に於ける沙羅双樹はツバキ科落葉樹のナツツバキのことを指しており 名前の通り初夏に可憐な白い花をつけます 
この花の寿命は僅か一日で朝に咲いて夜には落ちてしまいます 
この儚さが平家一門の盛者必衰を表していると平家物語の作者が語ったのでしょうか

それにしても 時が過ぎるのはあっと言う間なのだ
前回に三千院を訪れたのは2011年だったかな
未だ見ぬところ そしてもっと知りたくてまた行きたいところ これからどれほど訪れることが出来るのであろうか
これからはあてどもない彷徨は無理だとしても たとえ観光名所とされているところだけでもいいのだ 
生きているかぎりの僅かな時間なのですが 愉しいことに夢が膨らむのだ
君はどう思うのだろうか