田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

官位:光る君へ第18回

2024年05月09日 | 趣味・本・テレビ他

まだ元気は出ないけれど、

気になった、

大河ドラマのことを書いてみますね。

 

古典苦手ですし、

歴史にも詳しくないのですけれど、

大昔を想いだして初歩的なことを、

私自身のおさらいにです。

(外国の方もいらしてくださってるのでフリガナをつけておきます)

 

°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°第18回「光る君へ」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

18回で一条天皇は、

道長に内覧(ないらん)宣旨(せんじ)を出したという、

話がありましたね。

 

内覧とは、

天皇に奉る文書や、

天皇が裁可する文書など、

一切を先に見る役目ですが、

令外官(りょうげのかん)ですので、

官位表には載ってません。

 

律令の「令」にない役職だから、

令外官

 

大宝律令は701年(大宝元年)

養老律令は718年(養老2年)

 

摂関政治もその後ですので、

摂政・関白も令外官です。

官位相当制 : 源氏物語を読む

(表はネットより)

 

一番上の、

太政大臣(だじょうだいじん)は最高職であるのですが、

実務を行わない名誉職で、

ふさわしい人がいない場合は、

空席とのこと。

 

また大臣・大臣とありましても、

同列ではなく、

左大臣が総理の役目なら、

右大臣は副総理のような役目だそうです。

 

道長は疫病流行の995年に右大臣になり、

左大臣は居なかったのですから、

一気に公卿(くぎょう)のトップ。

妻の倫子と義母がオホホと笑ってましたね。

 

なお関白のほうが、

左大臣より上位のようですが、

史実でいけば道長は翌年左大臣になり、

 

摂政や関白は、

左右大臣より地位は高くても、

貴族の重要な会議に、

出席することができませんから、

道長は地位より実際に政(まつりごと)ができるほうを、

選んだのですね。

 

ドラマでいえば、

まひろ(紫式部)との約束を実行しようとしている、

というところでしょうか。

 

関白になりたかった、

伊周は内大臣のままでした。

 

内大臣は左大臣・右大臣に次ぐ官職で、

これもまた令外官。

 

右端の蔵人所(くろうどどころ)とは、

注1に、

天皇の秘書課みたいなところのようだと、

書かれてますが、

ボヤキの藤原実資(秋山竜次さん)が、

蔵人頭(くろうどのとう)でしたよね。

「いよいよ伊周か、よろしくない流れであるな~」

と言われてましたが、

彼は時世をよく読んでますね。

このあたりのことも日記(小右記)に付けてあります。

 

実資は仕事をキチンとする人だったようで、

蹴鞠(けまり)も上手だったらしい。

 

道長は少し遅れて日記を書き始めますので、

(残存するものでは998年)、

この辺りのものはありません。

 

女院(にょいん)詮子の道長夫婦に対する叱責や、

一条天皇への、

「母を捨てて妃のいうことを聞くのですか」と、

鬼気迫る演技は凄かったですね。

 

本当に、

あんな言い方をしたのかはわかりませんが、

何より詮子は、

一条天皇の母なのですから、

こうした人選には、

相当大きな影響を与えたことでしょう。

 

そして、

妃である定子に言う兄の伊周(これちか)の言葉。

「皇子を産め」「悔しかったら皇子を産め」の殺気立った演技。

これまた恐ろしいほどでした。

そのような中で、

一条天皇(塩野瑛久さん)は美しく、

静かなたたずまいでいいですね。

塩野瑛久「光る君へ」一条天皇VS詮子の御簾を越えた対峙振り返る ...

静かだと言えば、

妻殺し・母殺しの道兼の死を知った、

まひろの父とまひろの語らい。

 

「さぞや無念であったろう。しかしこれで良かったのかのう」

「あのお方の罪も無念も全て天に昇って消えますように」

 

この父(為時)と娘(紫式部)の描かれ方には、

いつも心打たれるものがあります。

 

そして月夜に、

道長とまひろは互いに引きあうように、

想い出の廃屋に出向きますが、

まひろの心の声だけで静かに別れます。

 

私ども視聴者には、

かってのシーンが思い浮かぶので、

いろんな想いが交差しますよね。

 

何だか、

動と静の回でした。

(ドラマの写真はNHKよりお借りいたしました)

マイルーム脇の庭では白のリラに代わり、

紫のリラが咲いてます。

 

 

コメント (20)
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