風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

沖縄 の旅~サトウキビ畑

2006年08月22日 | 与論島 ひとり旅
その年の冬の与論島は、曇天の日が多かったように記憶しています
晴天の日のある日のことでした
民宿のおじさんが、知り合いの少し若いおじさんを連れてきて言ったのです。
「兄さんに島を案内してもらいな」

当時の私から見ると、おじさんという感じでしたが、兄さん?だったのでしょう、多分!
真っ黒に日に焼けてたくましそうだったので、私はてっきりおじさんだと思い込んでしまったのでした。
その兄さんの軽トラックで、島をドライブすることになりました。
「さあ~、行こうか」
「はい。お願いします!」
と私はペコリと頭を下げたのでした。
兄さんの、これまたうっすらと日に焼けた白い?軽トラに乗り込みました。

軽トラだとあっという間に島を一巡してしまいます。
農道の細い道に軽トラを止めると、兄さんが言ったのです。
「これがサトウキビ畑だよ」
「サトウキビ?」
「これから、砂糖を作るんだ」
「え?そうなの?」
無知な私はびっくりしてしまいました
こんな固いササダケのようなもので、あの雪のような真っ白いさらさらの砂糖ができるなんて…。
「食べてみるかい?」
え?これを食べる?私は目をまんまるにして兄さんを見つめました。
「ほら、こうやってかじるんだ」
そういうと、ナイフを器用に使って私の分も作ってくれたのでした。
ササダケのようなサトウキビをかじってみました。
「ん?甘い!甘いよ!」
「うまいだろ」
兄さんが満足そうな笑顔で言ったのでした


それから何年も経って、私は結婚しました。
出産、子育て…いつの間にか民宿のおじさんたちの年齢を超えてしまいました。

そして今、サトウキビ畑からイメージするのは、戦争の悲惨さです。
何年か前に、沖縄のサトウキビ畑で撮影したドラマを見ました。
サンマさんが父親役で好演していましたよね。
主題歌を森山良子さんが切々と歌っていました。

ここのところ不穏な動きが見られますが、
争いからは負以外のなにものも生まれはしません。
二度と愚かな戦争だけはしないよう…
平和を祈らずにはいられません

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与論でパチンコ遊び?

2006年08月21日 | 与論島 ひとり旅
1970年代のことです
アルバイト先で知り合ったK子さんから与論島へ旅した話を聞き、私はひどく興味を持ちました。
彼女が泊まった民宿を紹介してもらい、1人与論島に出かけることにしました。
当時はまだ、沖縄が日本に返還されていませんでした。
冬の寒い時季に、東京・竹芝桟橋から船で行ったのです。
なぜ、冬に行ったのか忘れてしまいましたが…。
船酔いに苦しみながらの長旅でした

与論島はオフシーズンだったので泊り客はほとんどなく、私1人という状態でした
民宿のおじさんもおばさんもいつも暇そうで、時間もゆっく流れていました。
私の部屋は、結構広かったのですが、ヤモリが出没して驚いたのなんの…。
でも数日後には、ヤモリにも慣れてしまったのでした。
生きてるものは、ヤモリでさえも懐かしくなってきたという感じでしょうか。

冬の海では泳ぐこともできません。
何をするわけでもなくのんびり過ごしている私を見て、
つまらなさそうに思えたのでしょう。
(ゆったりとした時間を楽しんでいたのですが…)
私に、おじさんとおばさんが言ったのです。
「パチンコやるかい?」
「ええ?パチンコ?どこで?」
二人がパチンコ店に連れて行ってくれたのです。
でも、お客さんが1人もいない?どうして?
そうか、オフシーズンだもんね…。
パチンコの玉をたくさん入った箱を渡され…
「さあ~。やっていいよ!」
「この台がいいからさ」
ジャラジャラ、ジャラジャラ出てくるわ、出てくるわ…。
嘘のように玉が出てきます

おじさんはいつの間にか、釘を調整しているのです。
そうなのです、おじさんとおばさんのお店だったのです。
玉が出るはずです。
笑っちゃうほど、ジャラジャラ玉が出るのです。
最初は面白かったのですが、だんだんつまらなくなってきました。
だって、パチンコは出るか出ないかの緊張感があるから、楽しいのでしょう?
パチンコもギャンブルなんですね。
賭けるところが面白いのでしょう?
でも、お二人のせっかくの好意ですから、つまらなさそうな顔はできません

嘘をつくのが下手で、すぐ気持ちが顔に出てしまう私でしたから、察したのでしょう。
「さあ、もう帰ろうか」そう言ってくれたのでした。

「楽しかったかい?」
「うん、パチンコって面白い!」

与論島はやっぱり、夏なのかな~。
夏だと、風景が一変するのだろうな~。
でも、オフシーズンだったからいいこともいろいろありました。
おじさんおばさんとパチンコしたり、おしゃべりを沢山できたのでした


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与論島でかじるリンゴの味

2005年09月02日 | 与論島 ひとり旅
遠い昔、与論島を一人で旅した。
民宿で知り合った島のおじさんが、島内を案内してくれた。
サトウキビ畑に行き、サトウキビをかじった。
竹のようで固かったけれど、とても甘かった。

そのあと、与論の景色のいい海へ連れて行ってくれた。
サンゴ礁のかけらでできた真っ白い浜辺に着き、
波打ち際を歩いていた時のことだった。

私は、持っていたリンゴを海水で洗って食べていた。
おじさんにあげたかどうかまでは、覚えていない。
持っていたリンゴが一個だったか、二個だったのかさえ…。
ほんの少し塩味がついて、とても美味しかった。

おじさんがボソリと言った。

「島では、人が死ぬとまずは土葬にするんだ。
何年かしたら、掘り起こして、その骨をこの海の水で洗うんだよ。
それから再びお墓に納めるんだ」
「え~?ほんとう?」
 
びっくりしたのなんの…
私はすぐに言葉がでなかった。

その海水で洗って食べたんだよ~

その時、私は若かったとはいえ、心の中で叫んでしまった!!
食べちゃったよ!口に入れる前に言ってよ~!
言葉には出さなかったけれど、すごい顔をしていたと思う。

沖縄でも同じような風習があると聞いた…。
現在ではどうなのだろうか?
当時は沖縄が返還されず、与論島からあこがれの目で見ていたものだった。
今では、懐かしい思い出になってしまった。

年月を経て、今はなんともないと思えるのに…。
潔癖だったのだろうか。心の中で叫んだとはいえ―おじさん、ごめんなさい!
素敵な思い出を共有したおじさんに感謝!!



コメント (2)
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