風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

阿寒湖からヒッチハイク

2008年09月02日 | 北海道ひとり旅
1970年代。
近畿日本ツーリストの均一周遊券で2週間のひとり旅。

北海道・阿寒湖でのこと。夕暮れ近かった。
湖畔の土産物の店で、アクセサリーを選んでいた。
最終バスまでまだ時間があるからと、つい油断したのがいけなかった。

木彫の人形を選んだあと、アクセサリーがなかなか決まらず…。
あれこれ決めかねて、やっと選んで包んでもらった。
ほっとして、時計を見ると、バスの時間はとうに過ぎて…。

「どうしよう…最終行っちゃった?!うっそ~」

「さ~どうする?何とかしなくちゃ!!!」

「こうなりゃ~ヒッチハイクしかない?」
なんと無謀にもそんなことを考えた。

30年以上前のことで、車もそんなに多くない。
社名の書かれた車(看板を背負ってる…)に絞り、
社用車が通った時だけ手を上げることにした。

乗用車ばかりが過ぎてゆく…
「なんとしても駅まで乗せてもらわなくちゃ~」

そしてついに、社名入りの大型トラックが来た!
祈るような気持ちで、思いっきり大きく手を上げた。

トラックがス~と目の前で止まった。
人の良さそうな小父さんが言った。

「どうしたの?どこまで行くの?」
「駅まで行きたいんです」見上げながら答えた。
「じゃ~乗って。送ってあげるよ!」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」

生まれて初めて大型トラックに乗った。
その気分はなんとも言えず、気持がいい。
車のなかでいろいろおしゃべりをした。
どこから来たのか、どこを見てきたのか、どこが良かったか…。

しばらくして車が止まった。
「ちょっと待って」そう言って小父さんは車を降りた。
手におにぎりとお茶を持って戻ってきた。
「はいよ!」
「ありがとうございます!!!」

車に乗せてくれただけでなく、お腹の心配までしてくれる。
小父さんの優しさが心に響いた。嬉しかった。

だいぶ遠回りになるのに、駅まで送ってくれたのだった。
さわやかで頼もしい小父さんの笑顔を一生忘れない。

古き懐かしき昭和には…人情があった。
20代初めのころの思い出は、今も鮮明に心に刻まれている。

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北海道一人旅(1)

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅
近畿ツーリストの均一周遊券を使って北海道を一人で旅した。
14日間だったが、特に利尻島、礼文島が印象に残っている。
今から30年以上も前のことだった。

当時、カニ族(今でいうバックパッカー)が話題に上っていた頃のこと。
カニ族とは、ズックのリュックを背負って旅をする若者たちの姿が
カニに似ているところからの呼び名だったと思う。

寝袋やテント、食料を背負い込んだ彼らとよくあった。
私は、一応女(?)だったのでユースホステルを利用した。

ルートが似ていると同じ人に結構会うことがあった。
ある時、2人の大学生と3人でテントを張ることになった。
 (つづく) 2005-09-22
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北海道一人旅(2)

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅
キャンプ場には、テントがいくつか張ってあった。
その中で、早い夕食の準備をしている学生らしい二人の姿が目に飛び込んできた。

私が挨拶をすると、
「一人旅ですか?」
「良かったら一緒にどうですか?」
返事が返ってきた。

彼らは、焚き火を前に座り、味噌汁を作っているところだった。
ナイフでナスを切って鍋に放り込む、その手つきは慣れたものだった。

「味噌汁?」
「そう、ナスの味噌汁」
「もうすぐ出来るから、一緒に食べませんか」
「でも、悪いから…」
「いいじゃないか、急がなければどうぞ!」
「じゃ~、遠慮なく。おじゃましま~す」

一人旅の気ままさから、お相伴にあずかることになった。
飯盒で炊いたご飯に味噌汁だけのさっぱりした食事だった。
なにかおかず(缶詰の)もあったような気もするが…。

風が強かったものだから、味噌汁の中にはナスだけでなく灰も混じっていた。
最初は気になったが、すぐ平気になった。
その美味しさは言葉ではうまく言い表せない!!

大自然の中で焚き火を囲みながら食べる夕飯は最高だった!!!

食事の後、年代も同じくらいなので、話題にことかかなかった。
旅の話でおおいに盛り上がった。

「ところで、今夜はどこに止まるの?」
「ユースホステルに泊ろうと思ってる」
「じゃ、予約してないんだね」
「僕ら二つテントあるから、一つ君に提供するよ」

即答できずにいる私に「大丈夫だよ。寝袋も貸してあげる」

いろいろ話をしていて、真面目で礼儀正しい感じがよく伝わってきた。
すぐ人を信じてしまう私は、
「本当に借りていいんですか?」
と答えた。

「ああ、決まりだ」
「ありがとう!」

しばらく、おしゃべりをしたあと、寝ることになった。
二人がひとつのテントを使い、もうひとつを貸してくれた。

テントに入ると、すぐにOさんが声を掛けてきた。
「このナイフ、持っているといいよ」と差し出した。
護身用にしてくれということらしい。

「ありがとう」
なんとも妙な感じがしたが、ありがたい気持ちで受け取った。
「何かあったら、声掛けて。じゃ~おやすみ!」とMさん。

そんな訳で、私はぐっすり眠ることができた。
あとで分かったことだが、Mさんは、夜中に見回ってくれたらしい。
なんとやさしく、頼もしい人たちだろう。

二人とも関西の大学生だったが、ここでたまたま一緒にテントを張ることになったということだった。
そのあと、私は同じ方向だというOさんとその日一緒に旅を続けることになり、
Mさんは反対方向なので、そこで別れたのだった。


「Oさん、Mさん、美しい思い出を本当にありがとう!!」
お二人のピュアな気持ちが今でも思い出される。
私の宝物のひとつになった。
あの素晴らしい情景は決して忘れない。

感謝!!
夫や娘たちにも話してあげた。
昭和…いい時代だった。 <2005-09-24>
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桃岩のエーデルワイス

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅
北海道・礼文島で出会ったエーデルワイス
雨にけむる桃岩を登った時、
清楚に咲くエーデルワイスの花を見つけたのです。


北海道を旅したのは1970年代の頃でした。
のどかな時代でした。均一周遊券での1人旅。
ユースホステル民宿を利用すると、
同じように旅を楽しむ若者たちに出会います。
お互いに情報交換をするのもまた、楽しいことでした。
同方向で意気投合すれば数日一緒に旅をすることもありました。

旅の途中でであった人たちから情報を得ることもしばしば…。
桃岩に咲くエーデルワイス」の話を聞き、
さっそく桃岩を登りたくなりました。
雨の日でしたが、予定変更して登ったのです。
山登りは、まったく予定に入れていなかったのですが…。
ですから、私ときたらなんとビーチサンダルだったのです!

でも、登りたい気持ちが強かったのですね。
5、6人で登ったのでしょうか。
小降りだった雨も、次第に強くなり、風も出てきました。
桃岩は低い山なのですが、悪天候は状況を困難にします。
ブチッ!
ビーチサンダルが悲鳴をあげました。
履物の役目を果たすことができなくなりました。
手に持って裸足で歩き出すほかありませんでした。 (つづく) 2006-05-28 13:34:51
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桃岩のエーデルワイス(続)

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅
ズルズル…
ぬかるみに足をとられ、転びそうになることもありました。
滑らないように、大地に足を踏ん張りながら、
雨降る中、黙々と桃岩を登るのです。
何度か転びそうになりながら、ただ歩き続けました。
遅れないように必死でついていくだけでした。

可憐な花が咲いていたのですが、
そんな状況ですからなかなか目に入りません。

ちょっと油断した時でした。

ドテッ
とうとう転んでしまいました。
でも、悪いことばかりではなかったのです。
目の中に白い小さな花が飛び込んできたのです。
そうなんです!
エーデルワイスだったのです!
にぬれて咲く可憐な花に惹きつけられました。
白い小さな花はビロードのよう…
ほんとに小さな小さな花なのです。
生まれて初めてのエーデルワイスとの出合い!
北海道礼文島の桃岩は、高山植物の宝庫なのでした。



(正式には、エーデルワイスの近似種のミヤマウスユキソウなのでしょうか)

2006-05-29 00:05:57




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カムイワッカの滝

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅
1970年代初め、北海道ひとり旅をした。
近畿ツーリストの均一周遊券を使っての旅だった。

利尻島・知床半島など…結果的に最果ての地に滞在することになり、
大勢の旅人や地元の人と知り合いになった。

利尻では、ひょんなことから民宿の手伝いをすることになった。
民宿のおじさんが猟師だったので、いつも新鮮な魚や海藻類が食卓に並んだ。
利尻昆布は全国的に出回るほど有名だとこの時に知った。

知床半島では、これまたYHのヘルパーをすることになってしまった。
私が訪ねた時、岩尾別YHのおばあさんが入院し、おじいさんが困っているということを聞いた。
手伝える学生たちが、残って可能な限りヘルプしていた。
私は1、2泊の宿泊予定だったが…。
夕食の時に「手伝ってもらえるかな?」と言われてしまった。
大変そうな様子に、見て見ぬふりはできなくなった。
結局、周遊券を無駄にはできないので、ぎりぎり1週間手伝うことにした。

電気がなく、ランプの生活なのだが、特別不自由は感じなかった。

夕方になると、各部屋に灯油を入れたランプを届けるのだ。
そしてまた、水道もないので、沢(?)で食器を洗ったり、洗濯をした。

ランプが灯る夕暮れ時はなんともいえない風情があった。
私の大好きな時間帯だった。

YHは、昼の間は結構自由時間があった。
ある天気のいい日、私は1人でカムイワッカの滝に出かけてみた。

北海道・斜里町にあるカムイワッカの滝。
急な岩場を登っていくと、だんだん足元が温かくなる?
どうして?そう思いながらもどんどん登っていく。

すると、上方の滝つぼに浸かっている人たちの姿が見えた。
えー!!!
男の人は裸?うっそー。
女性もいるの?
バスタオル巻いてる?
えー?水着?

そっか、天然の露天風呂なんだ!!?
上流の滝壺になるほど湯温は熱くなる?

滝が温泉という、なんとも野趣に富むカムイワッカの滝…。
滝が段々になっていて、滝つぼは天然の湯船

「カムイワッカの滝の全長は、陸からでは見ることができない。
船に乗って海上からでないと駄目なんだよ」
誰かが言っていたが…。


知床が世界遺産に登録されてからは、観光客が激増している。
そのために、落石などの危険が増しているという。
昨年から適温の滝のうち一番下「四ノ滝」の滝壺以外は立ち入り・入浴ともに禁止されてしまった。

環境保全への意識が、より必要とされるだろう。
大勢の観光客が訪れるのはいいけれど…。

美しい自然を次世代へ変わりなくいい状態でわたせるよう、大事に守り続けていかなければと痛感します。


※カムイワッカは、アイヌ語で「神の泉」というそうです。
 <2006-10-19>
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続・カムイワッカの滝

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅
  2006年から「一ノ滝」より上流への立入禁止

世界遺産に登録されたことで知床もまた、観光客が激増した。
以前、カムイワッカの滝は「知る人ぞ知る、秘境の天然露天風呂」だった。
ところがどうだろう。
世界遺産に登録されると、当然のように観光客が激増する。
メリットは大きいとはいうものの、デメリットも必ずついてまわる。
そのための対策も重要になり、不可欠だろうと思う。

カムイワッカの滝もまた、たくさんの人に知られることになった。
訪れる人が多くなった分、転落や落石の危険もまた、増した。
去年、適温の滝のうち一番下の通称「四ノ滝」の滝壺以外は、立ち入り・入浴禁止となった。

シーズン中は、監視員が常に見張るようになった。
さらに、2006年には、車道から100mほどで最初に現われる小滝、
その通称「一ノ滝」から上流への立入が禁止された。
「一の滝」の滝壷の湯温は30度ほどでかなりぬるいので、快適な入浴はできない状態。

また、強酸泉の湯のため、体調の悪い者やケガ人は入浴しない方が良い。
ほぼ確実に症状が悪化するだろう。

ウェブ上で、カムイワッカの滝を訪れる人への呼びかけがあったので次に記します。
参考にしていただけたら…。

訪ねる時期などにより、工事中だったり、地震や暴風雨などの影響があったりします。
ですから、よく確認してから出かけられるといいと思います。
問い合わせ先は最後に書いておきます。

                ◇

  斜里町経済部商工観光課からの呼びかけ
あなたは沢をさかのぼっていけますか?ましてや滝をよじ登れますか?

カムイワッカ湯の滝では毎年滑落事故が発生しています!
全国的に有名になった“カムイワッカ湯の滝”は、シーズン中は多くの人でにぎわいます。
流れ落ちるお湯の川を登っていくのは気持ちのよいものです。
しかし、ここは自然のままの川であり安全や快適さを求める設備や整備は一切おこなっていません。
登山に「沢登り」というジャンルがありますが、
“カムイワッカ湯の滝”を登っていくには、沢登りの初歩の知識と技術と同じものが必要です。
滑りづらい川の中を登る場所です

転んだときのためにも、両手には何も持たないで下さい
一の滝より上流へは登らないで下さい
ロープがかけられていても絶対に使わないで下さい※
携帯電話は沢の中からは通じない場所です
救急車は要請してから30分以上かかる場所となります

※前述のとおりカムイワッカ川には登りやすくするような設備や整備は一切おこなっていませんが、
滝に工事用ロープなどをかけていく人がいます。
これらのロープはお湯の成分などで腐食し、またいいかげんに結び付けられているものもあり危険です。
自然保護監視員などが発見次第撤去していますので、このようなロープは使わないでください

斜里町経済部商工観光課
(電話0152・23・3131、FAX 0152・236226)
(メールは、sh.kankou@town.shari.hokkaido.jp )

 <2006-10-21>

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知床でボランティア

2008年04月23日 | 北海道ひとり旅


ユースホステルで時々顔を会わせる学生もいた
「また、会ったね。明日はどこ周るの?」
「阿寒湖に行く予定」
「そう、じゃ一緒に行こうか」
気が合って、コースも合えば途中まで行動をともにする日もあった


利尻、礼文、宗谷岬、阿寒湖、摩周湖、層雲峡、知床…
礼文島で見つけたエーデルワイス
阿寒湖では木彫りの置物とネックレスを選んだ
メノウ海岸ではメノウ原石を見つけた
摩周湖は霧が深く、かすかに水際だけが見えただけでうれしかった
霧の中で寒さに震えながら食べたジャガバターは格別な味がした

知床のユースで1週間ほどボランティアをした
電気も水道もない最果ての地
オーナーの奥さん(おばあさん)が斜里(多分)の病院に入院
おじいさん1人で困っていたところを
泊まりに来た学生たちが、見かねて手伝うようになった

「今度は流氷見にいらっしゃい!」
「君のためにランプをひとつ、とっておくから…」

そのあと一度、仲間たちと東京で会ったこともあった
流氷を見たいと思いながら、知床はいまだに訪ねていない


そのユースホステルは今、お孫さんが継いでらっしゃるようだ
(forever-greenさんのブログで知った)
当時の面影はほとんど残っていないような気がするが…
日が暮れるとそれぞれの部屋にランプが灯り
おじいさんと仲間達が忙しそうに働く姿が
私の心の中にしっかりと収まっている

利尻では民宿の手伝いをすることになった
民宿のおじさんは威勢がよく、おばさんは優しかった
私が1週間ほど手伝うと
「お婿さん探してあげるから、利尻に残ってよ」
おじさんとおばさんにそんなことを言われた
もっといたかったが、周遊券を無駄にはできず…
後ろ髪引かれる思いで別れを告げた

もう一度、おじさんとおばさんに会いたい
できることなら…

2006-10-11 05:24:41







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