「…私がこうして元気になれたのも、お母さんが支えてくれたから。
なにもいわないで、そっと見守っていてくれたからです。
心配かけちゃったね。ごめんね。ありがとう。すぐにとはいかないけど、
これからは私が母さんを支えていきたい、そう思っています……
母さんのこれからの夢、いっしょに叶えようね!!私も力になれるように、がんばるよ」
母さんには伝えたいことがいっぱい あります、カードに記された次女からのメッセージ。
誕生日プレゼント(私の大好きな手づくりジンジャークッキー)に添えられていました。
今はお金がないからこんなものしかあげられないけれど、と娘はいいますが…。
どんなに高価なものよりも、嬉しくて、胸が熱くなりました
次女はパン職人を目指し、製菓学校卒業後、一人住まいをしながら修業していました。
かなり仕事がハードで、自分の時間もとれない状態でしたが、よく頑張っていたのです。
時間外労働や仕事の厳しさには耐えられたのでしたが、
不条理な事に従わざるを得ず、暴力を受けることもあり…。
自分の心を押し殺さないとやっていけない環境が苦痛のようでした。
親にも殴られたことのない娘だっただけになおさらでした。
「自分の心を見失って しまった。どこにあるか分からないよ!」
自分が自分でなくなる恐怖に耐えられなかったのでしょう。
世間を知らない、真っ白な心だったからなおさらそう感じたのだと思うのです。
そんな次女でしたが、1年間はなんとか頑張り抜きました。
とはいうものの、精神的苦痛はさらに大きくなり、とうとう限界を超えてしまったのです。
引き止められても、決心は固かったようでした。
引継ぎのために、さらに数カ月頑張って、そして退社したのでした。
数日で逃げ出してしまうような新人も多い中、いい状態で辞めることができたことは幸せでした
でも、辛いことばかりではなかったのです。素晴らしい先輩や同僚にも出会うことができました
帰郷後、休養をとっていたのですが、そのうちに飲食関係でバイトを始めました。
ところが、半年ほど経った昨年の夏ごろ、鬱的症状が出てしまったのです。
心療内科のある医院に3カ月通いました。小学生に投与するものと同じ薬と先生はおっしゃっていました。
早い時期に診てもらったのが良かったようで、だんだん快方に向かったのでした。
頑張り過ぎて病気になり、辛い時期を乗り越えてきた次女からのメッセージだったのです。
娘の言葉がどれほど嬉しかったか、言葉にうまく言いあらわすことができません。
そうなのです、七夕は特別な日 私の誕生日でもあるのです。
今年は長女が料理、次女がバースデイケーキを作ってくれたのでした
今年の料理は地味だけれど、愛情たっぷりでヘルシー。
体調を崩した私のために作ってくれたものでした。
長女からのプレゼントは、手づくりのCD・本・赤毛のアンの切手シート。
そして、涙しながら書いたという長い手紙もありました
長女の手紙も涙なくして読むことができませんでした。
「…愛して育ててくれたことが一番大きいです。心からお父さんお母さんににありがとう。
2人からもらった才能、受けついでもらったものを生かして、磨いていきたい と思うよ。
良いものをいっぱいもらったから。たくさん教えてもらったからこそ今の私たちがいるんだと思う。
今日はお母さんが生まれた日でもあり、私と妹が生まれた日でもあるね。本当に嬉しい日です
これからもお母さんの健康と、心の平和と、お母さんが抱いている希望や夢のためにも祈っています。
私たちのお母さんでいてくれて、ありがとう!これからもよろしくね」
「今日はありがとう!今までで一番の誕生日になったよ!」
「うん、私たちも楽しかった!ふたりの誕生日にまた、集まろうね!」
突然、ブ~という音がして…「ん?今の何?」
音のする方を見ると、なんと愛犬の寝言でした。もしかして、ブーイング?
「ちょっと、わたしもいるでしょ!忘れないで!」しっかりとアピールする愛犬に大爆笑でした。
「うん、分かった!あなたの誕生日も集まろうね!末娘だもんね!」
2008年七夕の日は、我が家にとって特別な日になりました
“嘘のようないい娘”に育ってくれたことに…この日ほど心から感謝した日はありませんでした。
家族で一緒に過ごす時間が多かったので、たくさんの思い出を共有しています。
子どもも1個人という意識を持って子育てをしてきたのも良かったのかも知れません。
今の望みは、娘たちが毎日を元気で幸せに過ごすことだけなのです
なにもいわないで、そっと見守っていてくれたからです。
心配かけちゃったね。ごめんね。ありがとう。すぐにとはいかないけど、
これからは私が母さんを支えていきたい、そう思っています……
母さんのこれからの夢、いっしょに叶えようね!!私も力になれるように、がんばるよ」
母さんには伝えたいことがいっぱい あります、カードに記された次女からのメッセージ。
誕生日プレゼント(私の大好きな手づくりジンジャークッキー)に添えられていました。
今はお金がないからこんなものしかあげられないけれど、と娘はいいますが…。
どんなに高価なものよりも、嬉しくて、胸が熱くなりました
次女はパン職人を目指し、製菓学校卒業後、一人住まいをしながら修業していました。
かなり仕事がハードで、自分の時間もとれない状態でしたが、よく頑張っていたのです。
時間外労働や仕事の厳しさには耐えられたのでしたが、
不条理な事に従わざるを得ず、暴力を受けることもあり…。
自分の心を押し殺さないとやっていけない環境が苦痛のようでした。
親にも殴られたことのない娘だっただけになおさらでした。
「自分の心を見失って しまった。どこにあるか分からないよ!」
自分が自分でなくなる恐怖に耐えられなかったのでしょう。
世間を知らない、真っ白な心だったからなおさらそう感じたのだと思うのです。
そんな次女でしたが、1年間はなんとか頑張り抜きました。
とはいうものの、精神的苦痛はさらに大きくなり、とうとう限界を超えてしまったのです。
引き止められても、決心は固かったようでした。
引継ぎのために、さらに数カ月頑張って、そして退社したのでした。
数日で逃げ出してしまうような新人も多い中、いい状態で辞めることができたことは幸せでした
でも、辛いことばかりではなかったのです。素晴らしい先輩や同僚にも出会うことができました
帰郷後、休養をとっていたのですが、そのうちに飲食関係でバイトを始めました。
ところが、半年ほど経った昨年の夏ごろ、鬱的症状が出てしまったのです。
心療内科のある医院に3カ月通いました。小学生に投与するものと同じ薬と先生はおっしゃっていました。
早い時期に診てもらったのが良かったようで、だんだん快方に向かったのでした。
頑張り過ぎて病気になり、辛い時期を乗り越えてきた次女からのメッセージだったのです。
娘の言葉がどれほど嬉しかったか、言葉にうまく言いあらわすことができません。
そうなのです、七夕は特別な日 私の誕生日でもあるのです。
今年は長女が料理、次女がバースデイケーキを作ってくれたのでした
今年の料理は地味だけれど、愛情たっぷりでヘルシー。
体調を崩した私のために作ってくれたものでした。
長女からのプレゼントは、手づくりのCD・本・赤毛のアンの切手シート。
そして、涙しながら書いたという長い手紙もありました
長女の手紙も涙なくして読むことができませんでした。
「…愛して育ててくれたことが一番大きいです。心からお父さんお母さんににありがとう。
2人からもらった才能、受けついでもらったものを生かして、磨いていきたい と思うよ。
良いものをいっぱいもらったから。たくさん教えてもらったからこそ今の私たちがいるんだと思う。
今日はお母さんが生まれた日でもあり、私と妹が生まれた日でもあるね。本当に嬉しい日です
これからもお母さんの健康と、心の平和と、お母さんが抱いている希望や夢のためにも祈っています。
私たちのお母さんでいてくれて、ありがとう!これからもよろしくね」
「今日はありがとう!今までで一番の誕生日になったよ!」
「うん、私たちも楽しかった!ふたりの誕生日にまた、集まろうね!」
突然、ブ~という音がして…「ん?今の何?」
音のする方を見ると、なんと愛犬の寝言でした。もしかして、ブーイング?
「ちょっと、わたしもいるでしょ!忘れないで!」しっかりとアピールする愛犬に大爆笑でした。
「うん、分かった!あなたの誕生日も集まろうね!末娘だもんね!」
2008年七夕の日は、我が家にとって特別な日になりました
“嘘のようないい娘”に育ってくれたことに…この日ほど心から感謝した日はありませんでした。
家族で一緒に過ごす時間が多かったので、たくさんの思い出を共有しています。
子どもも1個人という意識を持って子育てをしてきたのも良かったのかも知れません。
今の望みは、娘たちが毎日を元気で幸せに過ごすことだけなのです
七夕の日は私の誕生日。久し振りに娘たちが揃いました。今年の七夕は、洞爺湖サミットが開かれ、二酸化炭素(CO2)削減を兼ねた環境省のメッセージ「七夕ライトダウン」(pm8時~10時)も行われました。わが家では現在、クーラーは一切使いません。家族それぞれが扇風機を1台ずつ用いているだけです。庭木が茂り、結構涼しい風が入るので、夏の家(別荘?)のようです(思い込みが激しいのも時には、いいかも)。キッチンで長女が、料理を作り始めました。次女がサポートしているようです。
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疲労と冷えからダウン気味の私のために、体が温まる料理を長女が作ってくれました
カボチャ、ショウガ、ニンジンなど根菜をふんだんに使った特製スープ。友達から作り方を電話で教わりながら…
タコは疲労回復にいいからと、サニーレタスにシソとゴマ入りタコサラダ
バテ気味の体にはニガウリをと、調理した一品ゴーヤチャンプル
ビタミンL(愛=Love)をたっぷり込めたハート型ハンバーグ
「ハッピーバースデイ ツーユー ハッピーバースデイ ツーユー」突然、電気が消え驚いていると、バースデイケーキを両手に次女が目の前に…。長女とバースデイソングを歌いながら、ケーキをテーブルの上に置くのです。「ハッピーバースデイ~ディア お母さ~ん♪さぁ~ロウソク消して!」
久し振りに家族が揃う食卓は、いつになく賑やかです。熱があったのですが、娘たちが買ってきてくれた速効の解熱剤が効をを奏して、熱も下がり気分もよくなりました。心のこもったヘルシーな料理もケーキも格段の美味しさで、残さず全部食べることができました。七夕の夜は、まだまだ続き…このあと、さらに盛り上がるのでした。今までになく思い出深い誕生日になりました。
(つづく)
疲労と冷えからダウン気味の私のために、体が温まる料理を長女が作ってくれました
カボチャ、ショウガ、ニンジンなど根菜をふんだんに使った特製スープ。友達から作り方を電話で教わりながら…
タコは疲労回復にいいからと、サニーレタスにシソとゴマ入りタコサラダ
バテ気味の体にはニガウリをと、調理した一品ゴーヤチャンプル
ビタミンL(愛=Love)をたっぷり込めたハート型ハンバーグ
「ハッピーバースデイ ツーユー ハッピーバースデイ ツーユー」突然、電気が消え驚いていると、バースデイケーキを両手に次女が目の前に…。長女とバースデイソングを歌いながら、ケーキをテーブルの上に置くのです。「ハッピーバースデイ~ディア お母さ~ん♪さぁ~ロウソク消して!」
久し振りに家族が揃う食卓は、いつになく賑やかです。熱があったのですが、娘たちが買ってきてくれた速効の解熱剤が効をを奏して、熱も下がり気分もよくなりました。心のこもったヘルシーな料理もケーキも格段の美味しさで、残さず全部食べることができました。七夕の夜は、まだまだ続き…このあと、さらに盛り上がるのでした。今までになく思い出深い誕生日になりました。
(つづく)
イギリスの美しい田舎の中で、スノーズヒルも心惹かれたところでした。2月のスノーズヒルは、雪に覆われてひっそりしていました。
スノーズヒルのB&Bに泊まった翌日、ランチを食べに出かけたパブです。年配の方たちが、楽しそうにおしゃべりしながら昼食を食べていました。昼少し過ぎまでの間に、赤ちゃん連れの若い母親、年配者たち、郵便屋さん、修理屋さんなどさままざまな人たちも訪れて、とても賑やかでした。
英国名物フイッシュ&チップス。娘をも虜にしたようだ。元気も食欲もなかった彼女の目が光った―鮮度のいい白身魚(何の魚か聞き忘れました)を揚げたものだが、とても美味だった。
キャンパスを歩いていた時でした。遠くから白い大きな花に、引き寄せられるようにして夢中でシャッターを切っていました。
白い花は大好きなのですが、どちらかというと、小さな一重の花に惹かれます。けれども、タイサンボクは別格です。
タイサンボク(泰山木)はモクレン科の常緑高木。北アメリカ原産のモクレンで、日本へは130年ほど前に導入。
公園や学校、図書館など広い敷地に似合う花のようです。
裏側へ反り返った葉は硬くて大きく、表面は艶のある黒緑色で、裏面は鉄錆色のフェルト状の毛で被われています。
真っ白な花が咲き終わる頃には、薄茶色(左端)になるのがまたいいですね。
タイサンボクの花は、和歌や俳句に詠われたり、小説にも出てくるほど親しまれています。
随分前になりますが、私も小説を読んでいてタイサンボクを知りました。実物を見たのは、その何年も後のことでした。
ゆふぐれの泰山木の白花はわれのなげきをおほふがごとし 斎藤茂吉も詠んでいます。
白い花は大好きなのですが、どちらかというと、小さな一重の花に惹かれます。けれども、タイサンボクは別格です。
タイサンボク(泰山木)はモクレン科の常緑高木。北アメリカ原産のモクレンで、日本へは130年ほど前に導入。
公園や学校、図書館など広い敷地に似合う花のようです。
裏側へ反り返った葉は硬くて大きく、表面は艶のある黒緑色で、裏面は鉄錆色のフェルト状の毛で被われています。
真っ白な花が咲き終わる頃には、薄茶色(左端)になるのがまたいいですね。
タイサンボクの花は、和歌や俳句に詠われたり、小説にも出てくるほど親しまれています。
随分前になりますが、私も小説を読んでいてタイサンボクを知りました。実物を見たのは、その何年も後のことでした。
ゆふぐれの泰山木の白花はわれのなげきをおほふがごとし 斎藤茂吉も詠んでいます。
英国コッツウォルズ。2月のスタントンです。バイブリー川の小さな橋を渡るとフットパスの入口がありました。
この道の先には農場があるのでしょうか。途中、足を取られてころんだために、引き返すことになってしまいました。
橋を渡らないで、右の方へ歩いていくと馬場がありました。乗馬を楽しむ人が多いのもこれで納得です。
まるで映画の中の一シーン。中世の建物が目に飛び込んできました。引き込まれそうになりましたが、無断で入るわけにはいかず…。どんな人が住んでいるのかな~、中庭は素敵だろうな~と思いながら眺めるしかありませんでした。バラ香る季節には素晴らしい景観になるのでしょうね。人の姿があれば、お願いして見せていただくこともできたのですが…。