風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

クーとの出会い

2007年03月19日 | 暮らし
娘たちがまだ小学生の時でした。
遠い昔のことです。
低学年の二女と仔犬―そして私たち家族の話です。

三月のある土曜日のことでした。
小二の娘が学校から帰ってきました。
赤い手提げ袋を大事そうに抱えているのです。
何か訴えるような目をしています。
「どうしたの?」
「あのね…」
「え?どうしたの?」
「あ・の・ね…」
「う?うん」

そんなやりとりのあと、ポツリポツリ話し始めました。
「学校の帰り道にね、竹やぶのなかで仔犬の鳴き声がするの」
「うん」
「そっちの方へ行ったらね、ダンボールの箱があったの」
「それでね、見たらワンちゃんがいたの」
「そう」
「クー、クー鳴いてた。そしてね、ブルブルふるえてるの」
「うん、うん」
「ともだちのお家につれて行くんだけど…。それまで家にいてもいいでしょ?」
「う~ん。ちょっと待って…。ママも、パパも仕事してるよね」
「うん」
「おねえちゃんも学校でしょ。誰がワンちゃんをみるの?」
「う…うん?」

私がそう話したものだから、彼女は必死に何か考えているようです。
本人は嘘のつもりはなく、何とかして家で飼えるように訴えます。
よく、聞いていくと、友達の家の人にも聞いてないようなのです。
本当に困ってしまいました。
そうかといって、元に戻すわけにはいきません。
ダンボールの中とはいえ、外に放り出せません。
すぐ命が消えてしまうのは、目にみえて明らかだったからです。
そうでなくても、弱々しい仔犬です。
目も開いてなくて、よたよたしてまだ立てないのです。
ほんとに、生まれて間もない痛々しいほどの小さないのちでした。
娘が必死に訴えます。

「じゃあ、パパが帰ってきたら相談してみようね」
娘の安心したような顔。
ダンボールの中に古いトレーナーを敷いて、仔犬の仮の部屋ができました。
テーブルの上に箱を置き、娘が父親あてに書いた手紙を箱の前に…。

夫が帰宅すると、仔犬の話になりました。
「僕が散歩させるよ。大丈夫だよ、ママ」
「私も遊んであげるよ」
夫と長女は、もう飼うつもりのようです。
「結局、私が面倒見ることになるのよね」
「そんなことないよ。協力するよ。大丈夫!」
「そう?じゃあ、元気になるまでね。少し大きくなるまでよ」
ということで、我が家で預かることにしたのです。
「うわ~い!うわ~い!」
娘の笑顔がはじけました。
今でも、その時のほっとした顔が忘れられません。

その夜は大変でした。
近所の獣医さんのところに行き、見てもらったのです。

「この仔にはどうしてやることもできない。このミルクあげるから少しずつ飲ませなさい」
そうおっしゃり、動物用のミルクをくださったのです。
「あとは、この仔の生命力が勝負だね」
小さな小さないのちです…。
いのちの灯が今にも消えそうなのです。

家に戻ってから、毛布やアンカを出してきて暖めました。
人肌に温めたミルクを哺乳びんに入れて飲ませようとしたのですが…。
娘が赤ちゃんの時に使った哺乳びんが、捨てないであったのです。
それを使ってみたのですが、どうもうまくいきません。

ガーゼに含ませても駄目です。
夫が指に牛乳を浸して仔犬の口に持っていきました。
するとどうでしょう。吸い付いたのです!!
娘たちも少し安心したようでした。

「パパとママが見ているから心配しないで。もう遅いから寝なさい」
娘たちを寝かせて、夫と二人で交替で世話をすることにしました。
週明けまでどちらかが起きているようにして必死で看病しました。

夫と交替で寝ずの看病をしたからでしょうか。
娘たちも学校から急いで帰ると、面倒を見たのです。
私達家族の熱意が通じたかのように、少しずつ元気になったのです。
秋田犬とシェパードが混じったような雑種でした。
クー、クー鳴くので、名前は「クー」に決めました。

白々と夜が明ける頃。私がみている時でした。
仔犬がうっすらと目を開けたのです。
どうも私を母親と思っているようです。
動物は一番最初に見たのを(人間でも)母親だと思うのでしょうか。
そんなことを聞いたことがあります。
「クーってさ、絶対人間だと思っているよね」
長女が言いました。
すると「わたしのおとうとだよ」と二女。
「我が家の末っ子だね」と夫がにっこり。

いつの間にか、彼は家族の愛情を一身に背負っていました。
もう、なくてはならない家族の一員です。
暗黙のうちに我が家で飼うことになっていました。
おとなしくて賢い、性格のいいクーでした。
キャンプの時も、実家に行く時も、桜のお花見も…いつも一緒でした。
ほんとに愛らしいクーだったのです。



つらい花粉症②

2007年03月09日 | 暮らし
花粉症とのつきあいは、四半世紀にもなります。
まだ、花粉症という言葉が話題に上ぼることのない時代でした。
知らない人がほとんどといっても過言ではなかったのです。

向ケ丘遊園から杉並に移った頃でした。
鼻がムズムズして、クシャミが止まらなくなったのです。
そこで、新宿にある病院で診察を受けることにしました。
いろいろな花粉やハウスダストなど何種類かのパッチテストをすると…。
一つだけ陽性でした。スギ花粉が反応したのです。
そして、「スギ花粉症」と診断されてしまいました。

私が中学生の時でした。
鼻づまりがひどくなり、町の耳鼻咽喉科で診てもらったのです。
肥厚性鼻炎と診断され、手術をすることになりました。
一週間ほどの入院でした。
両親が仕事で忙しかったため、父方の祖母が付き添ってくれました。
肥大化した鼻の骨を削る手術で、簡単なものでした。
その数日後、仲良しの友達グループが果物や本を持って見舞いに…。
シャーロック・ホームズなどの探偵物だったように記憶しています。

そのような訳で、私の鼻は少し弱いのかもしれません。
風邪をひくとすぐ鼻にきてしまうのです。
肌も敏感肌のため、金属アレルギーもあります。
花粉症になってからというもの、鼻と目と咽喉が大変です。
鼻は詰まると苦しいし、水のように流れてきて辛い時もあります。
詰まった時は、手の指でこすると少しは楽になるのですが…。
ひどい時には、朝、目覚めた時に目が開かなかったこともあるほどです。
目頭が赤くなり、充血、目脂など、目の周りが敏感になってしまうのです。
いっそ鼻なんか無い方が、むしりとってしまいたいと思ったこともあります。
思考能力や集中力も低下します。
一日中鼻をかんでいるのでテッシュボックスは手放せません。

ところがここ何年か前から、随分症状が緩和されてきたように感じます。
体質改善に努めるようになったからでしょうか。
米は地元産の玄米を食べるようになりました。
肉類は控えめに、魚や緑黄野菜を多く摂取するようにしています。
輸入物はポストハーベストが気になりますので、なるべく国産で地元のものを購入します。
なるべく、食品添加物など未使用のものを選ぶようにしています。
水も濾過したものをよく飲むようになりました。
気のせいか、症状は前より楽になったように思います。
薬を使わないでもなんとか過ごせているからです。


私のこれまでの花粉症対策を書いてみます。
まずは外的なものからです。   
①花粉飛散情報をチェックし、多い日は外出は避ける。
 出かける時は、専用マスク、眼鏡、帽子を着用する。
②帰宅時は、家に入る前に服や髪の花粉をよく払い落とす。
③うがい、目と鼻の洗浄をする。
④布団や洗濯物は外に干さない。
 干したら、よくはたいて花粉を落してから取り込む。
⑤部屋の窓は開けない。
⑥空気清浄機などを活用し、換気は必要最小限に。

身体の内側からの対策
①病院で処方してもらった薬。
②花粉が飛ぶ数週間前から、漢方薬。
③DHAが含まれる鯖や秋刀魚、シソ、甜茶、ミントティーを摂取する。


つらい花粉症①

2007年03月04日 | 暮らし
ああ どうしよう!?
クシャミが出そう…
「ハ~ックション ハックション」

運転中にクシャミが出そうになった時のことです。
クシャミをする時、目を開けていられないのです。
思いっきりと目を閉じてしまうのです。
どうしてもいつも(危険なことに?)、そうなのです。
そうは言っても、運転中のことですからどうしようもありません。

今の時季、花粉が飛び散っていますから、運転する時は非常に危険を感じます。
仕事であちこち移動しますから、運転しない訳にもいきません。
どうしたらいいのでしょう

そんな話を娘にしたら、
「鼻をつまんで、口を閉じればクシャミが止まるよ
というではないですか。

さっそく、ためしてみると…
「く、く、くるしい~。息ができないよう~

「クシャミが出そうになったら、前方はじめ左右、周囲の確認をしっかりして、スピードを落とすこと。気をつけないとね!
免許を取り、一年が過ぎた娘に言われてしまいました

どちらが娘なのか分かりませんね