風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

ヴェラ・ドレイク

2005年12月29日 | アート(本 美術 映画 音楽etc)
「お母さん、一緒に映画見る?」
末の娘に誘われ、銀座で落ち合った。銀座テアトルシネマで上映していたマイク・リー監督の「ヴェラ・ドレイク」を見た。深い愛で結ばれた夫婦とその家族の強い絆が浮き彫りにされ、心の奥に響いてくる映画だった。ヴェラの秘密とは?何が善で、何をもって悪とするのか…、家族、人間、愛、道徳、幸福とは…いろいろ考えさせられた。

1950年の英国、凍てつく初秋のロンドン。家政婦の仕事をしながら、一人暮らしの母の面倒を見て、近所の人たちへの心配りを忘れない、明朗で優しい一主婦ヴェラ。夜学に通いながら仕立て屋で働く息子シド、家と工場の往復だけという娘エセル、夫スタンは弟の経営する自動車工場で働く穏やかで愛にあふれた人。家族はつつましく平凡に暮らしていた。一人暮らしのレジーの出現で、エセルは恋に落ち、互いに惹かれ合う。不器用な二人だが同じ未来を見つめるようになり、婚約するのだった。平穏でささやかな日々が続くかと思われたのだが…。

主人公ヴェラが、善意でよかれと思って無償で行っていた堕胎に手を貸すという行為…ある日を境に一転、奈落の底へ。ヴェラは罪人として裁きを受けることになるのだった。
家族の驚き、母の罪を許せない息子、ただ悲嘆にくれる娘、夫スタンは息子に向かい「母さんを信じなさい」と説得する。衝撃に打ちのめされながらもただただ妻を信じ続けるのだ。海のように深くて大きな愛…。次第に息子にも父の心が伝わり、家族は強固な絆でひとつになるのだった。

クリスマスの夜。保釈されたヴェラが戻り、家族が集まるが、なんとなく気まずい雰囲気。食事が始まり、エセルの婚約者のレジーが、「僕の人生で最高のクリスマスをありがとう。ヴェラ」と一言。その言葉で空気が変わり、皆が救われる思いになる。一筋の光が見えるようだった。

ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、主演女優賞はじめ数々の映画賞を受賞し、本年度アカデミー賞主要3部門(監督・主演女優・脚本賞)にノミネートされた。14もの主演女優賞を総なめにしたイメルダ・スタウントン。彼女の自然で表情豊かな演技力に圧倒され、スクリーンに釘付けになった。気になるところがなかった訳ではないが、「すべてを赦す、という真実の愛」―その描写、そこにスポットを当てるということだったのだと思うと、納得する。マイク・リー監督のファンになった。




雲のある風景

2005年12月18日 | 暮らし
人間関係にちょっと疲れたら空を見上げます
雲を見てると気持ちが軽~くなるから…

雲たちは ゆっくり ゆっくり 動いて
少しずつ 少しずつ 変化していきます
マシュマロ、大きなパン、犬、カエル
赤ちゃん、故郷の懐かしい人たち…
いろんな形を描き出す素晴らしい映像を
里山の緑の上に届けてくれるのです 
そして 私を和ませてくれます
私の重たい心を遠くへ ずっと遠くへと
時間をかけて 運んでくれるのです

私は元気を取り戻します 
生まれたばかりの雲に合図して
少し軽くなった腰を上げて
また歩き出すのです


パリのタクシー・ドライバー

2005年12月15日 | 2005年仏サンジェルマン デ プレ
パリに二泊した。いよいよ帰国という旅の最終日の早朝。かなり早く目覚めた私は、ベッドから抜け出した。窓の外を見ると、パリの街が真っ白に雪化粧しているではないか。嬉しい驚きだった。どうりで冷え込むと思った。

腕時計を見る。午前四時だった。今日は、サンジェルマン・デ・プレにあるホテル(一応三つ星)から、エアーフランスのリムジンバスでパリ・シャルル・ドゴール空港に行く事になっていた。ロンドン経由(機内泊)の飛行機で帰国することに。
ホテルを午前八時に出れば、タクシーでエッフェル塔近くのバス停まで行けるはずだった。例のフロント係の中年男性に確認しておいた。彼は、電話すればタクシーはすぐ来るから大丈夫と、言っていたし余裕のはずだったのだが…。

すでに、荷造りも済ませてあるし、テレビでも見ていようとスイッチを入れる。娘はぐっすり眠っていて、テレビの音にもまったく反応しない。映画を上映していたので、それを見る。終わると音楽番組、そして子供番組に切り替えた。腕時計を見ると六時半。まだ時間はたっぷりある、とのんびりテレビを楽しんでいた。何気なく、チャンネルを換えてみると、画面にはニュースの映像が流れ…。

その時、私はとんでもない間違いに気付いて、唖然となった。ほんの数秒だったと思うが…。

「ええ~??七時半???嘘でしょう~??!!」
私は慌てた。娘をたたき起こし、
「起きて!!七時半よ~!!!三十分もないよ!急いで仕度して!!八時にはタクシーに乗らないと間に合わないよ!!」
「ええ??どうして???まだ六時半だよ」
自分の時計を見て彼女が言った。一時間の時差!時計を合わせるのをすっかり忘れていたのだった。二人とも。

娘は大急ぎで着替えを済ませた。私たちは十分後にあわててフロントに降りて行き、すぐタクシーを呼んでくれるよう頼んだ。タクシーを待つ間に、チェックアウトを済ませた。ほどなくして、タクシーがホテルの前に止まった。タクシー・ドライバーは大柄な黒人男性だった。私たちはタクシーに乗り込み、エアーフランスのリムジンバスの乗り場まで急いで行ってほしい旨を告げた。バスの発車時刻を伝えると、運転手はなれたもので、朝の大通りは混み合うので、さけて別ルートで行くから、と言うのだった。

遠回りをしているような感じがしないでもなく、少し不安もよぎったものの、ここのところは信じてまかせるしかない。彼はプロのタクシー・ドライバーなのだから…。二、三十分は走っただろうか。遠くエッフェル塔が見えてきた。リムジンの側で車掌らしき人の姿が確認できたが、今にもバスに乗り込み発車しそうな雰囲気なのだ。ちょっとの差で行ってしまうかも知れない、そう思うとドキドキしてきた。

キキー!タクシーが止まる。私は降りる前からおおよそのタクシー代金を手に握っていた。チップを加えた運賃の計算に戸惑う私を見て、彼は私の手のひらから紙幣を取り上げた!多めのチップを渡そうと考えていた私は、一瞬きょとんとする。すると、彼はすばやくお釣りを返してくれるのだった。その律儀さに私たちは感動してしまった!!!お礼を言ってタクシーから降り、大急ぎでバスへと突進する。

ハアハアと荒い息を吐きながら、バスに乗り込んだ。席に落ち着いたが、なかなか発車しない。すぐ発車すると思い込んでいたので、拍子抜けする始末。十分ほどしてから、やっとエンジンがかかり走り出す。現金なもので、
「慌てることなかったかな?」
なんて、考える有様に、我ながら恥ずかしくなる。

「ホテルは朝食付だったのに、二日間とも食べられなかったよ」
「本当!コーヒーさえ飲めなかったとはねえ~」
「鉄道での出入国で、時差を忘れるなんてね。大ボケだね」
「飛行機だと、その意識があるけど、地続きだとさっぱりないよねえ~」
お粗末な時差ボケ騒動だった。

(2)パリ・PAULで朝食

2005年12月11日 | 2005年仏サンジェルマン デ プレ
フランスはパリ。サンジェルマン・デ・プレ界隈の朝は賑やかだ。東京にも支店を持つPAULはことのほか、忙しそうだった。この店に限らず、主食のパンを求めてパリの人々は列を作るのだ。ショーケースにはバゲット、ハードパン、クロワッサン、サンドイッチ、パイ、ケーキ類などが美しく並んでいるのだ。食べる量は限られているのに、まったく目移りしてしまう。自分たちの番がきたので、娘と迷いながら選んで注文した。

PAULの近くには、惣菜屋、八百屋、ピッッア屋、日本の寿司を売る店など、さまざまな食べ物屋があった。一日のスタートを切る朝の時間帯…。街にはサラリーマン、OL、主婦、年配の男性などさまざまな人たちであふれている。彼らの胃袋を満足させる多種多様な食が毎日用意されるのだろう。

ここPAULでは、パンを購入し、店内で食べると、野菜がたっぷり添えられて運ばれてくる。旅先では、どうしても野菜不足になりがちなので、嬉しいサービスだ(東京の支店でもそうだが)。いろんな国の人が、急ぎ足で、時にゆっくりと通り過ぎていく。私たちはガラス越しに道行く人々を眺めながら、のんびりと朝食を楽しむ。ちょっぴり、パリの住人になった気分を味わいながら…。

パリでチップの話

2005年12月09日 | 2005年仏サンジェルマン デ プレ
イギリスから鉄道を使ってパリ北駅まで行った。構内でトラベラーズチェックの換金を済ませてから、タクシー乗り場へ向かう。パリは恐い所とガイドブックなどに書いてあったので、キョロキョロしないようにして気を引き締めて歩く。そう思って周りを見ると、あの人も、この人も油断ならない感じに見えてきて、我ながら嫌になる。駅ではそんな心境だったので、少なからず緊張した。後で、冷静に考えると、金持ちに見えるはずもなく単なる気苦労に過ぎないと、苦笑してしまった。

タクシーを待つ人でごった返している。その列に並び、しばらくしてからタクシーに乗り込んだ。若い男性ドライバーに、サンジェルマン・デ・プレのホテル名を告げる。歴史の重さが感じられるパリの町並みを眺め、住人や旅人らしい人たちをしばしウォッチングしていると、あっという間にAホテルに到着した。

このホテルで2泊する予定。アクセスがいいことと、パン屋やカフェが多く、治安もいいというので決めたのだった。ツインの部屋に案内されたが、しばらくして別の部屋だと言われ、日本人の男女のカップルとチェンジすることになった。彼らは「随分待たされた」と話していたが。私たちもまたダブルベッドでは困るのでチェンジしてほしい、と抗議するが、うまく伝わらない。フロントの若い女性は、英語があまりうまくないし、私たちとて同じどっこいどっこいといったところなのだ。午後8時まで待ってほしい、と言われ、取りあえずその部屋に荷物を置き、街を散策することにした。

午後4時ごろだったと思う。サンジェルマン・デ・プレ界隈を歩く。ホテルのすぐ側にはパン屋があり、惣菜屋もあった。大通りまで行くと、ギフトショップや、本屋、有名デザイナーのショップも目白押しなのだ。ウインドウ・ディスプレイをチラチラと見ながら歩いた。カフェで軽食を採ることにして、のんびりとした時を過ごした。

8時にホテルに戻り、フロントに行くと、もう少し待ってくれと言われた。ほどなくして小柄で小太りの中年男性が現れた。彼は言った。
「あなた方が予約した部屋は、全部あのタイプなのだ」
「ツインで申し込んだのに、どうしてか」
と私も負けないで言ったが、ホテルのパンフレットを見せられ、まくしたてられ押し切られてしまった。しかたなく、母と娘がダブルベッドで寝ることになった。乳幼児の添い寝以来のことなので、なんとなく変といえば変だし、別にどうってことないといえばないし…。キングサイズではあっても、寝返りを打つと安眠できないと思ったが、疲労もあってか、ベッドに入ると二人ともぐっすり眠ってしまった。

翌朝の事だった。貴重品を金庫に入れて、出かけることにした。
「お母さん、チップどうする?」
「チップねえ~。どうしようか」
「調べててわかったんだけど、サービスが気に入ったらチップをあげるらしいよ。サービスが悪いと思ったらいいみたい」
「ふ~ん、そうの。ここはいいサービスだとは思えないよね~」
「そうだねえ~。でもいくらくらいがいいんだろう」
二人で考えるがらちがあかない。

旅のガイドブック「地球を歩く」のパリ編はイギリスに忘れてきてしまった。全然目を通してなく、新品だったのに…。そんな訳でチップのことも確かなことは分からない状況だった。なんだかんだと話しているうちに、別の話題になり、街へ繰り出すことになってしまった。結局のところ、チップは置かなかった。忘れてしまったのだった。(後に問題が発生するとは夢にも思わず…)


サンジェルマンにあるPAULで朝食を採った。パリの人たちは、列を作ってパンを買っていく。店内カフェで、コーヒーを飲みながら食べていく人も多い。私たちも食べることにした。店員さんが忙しそうに立ち働いている。美味しかったし、感じが良かったので、チップは置くことに。さりげなく周りの人たちを観察し、同じようにした。そのあと、デパートやスーパー、そして事前に調べておいた老舗のパン屋で人気のクッキーを土産に買い込み、味を知るためにバゲットやハードパンやクロワッサンなどしこたま買い込んだ。そして、有名なカフェ、マーゴでティータイム。さりげないサービスで気配りがあり、居心地が良かった。チップもさりげなく置いた。

ホテルに戻り、部屋に入ると、
「何かが違う~」
よくよく部屋を見渡して気付いた。ベッドメーキングがきちんとしてないのだ。シーツもピロケースも交換してない感じ?ほっとする暇もない。問題が発生!極めつけ―トイレの水が止まらないのだ!どうして??朝まではなんとも無かったのに…。
「これじゃ、水の音が耳障りで眠れないじゃないよお~」
「隣の部屋にも聞こえそうじゃない?迷惑かけちゃうよね」
フロントに言ったほうがいいかと思ったが、その前に自分でなおせないかといろいろいじってはみたものの、私にはさっぱり分からない。
「私がやってみるよ」
頼もしい娘の声。しばらくして、
「お母さん、水止まったよ!」
さすが、わが娘。
「止まった?良かったねえ~」
「チップ忘れてたから…そのせい?」

そんなことがあり、その夜は、前もってチップを用意しておいた。(サービス悪いのだから、いいのかも知れないが、とも思ったものの)。2日分のチップに、小梅ちゃん(あめ玉)と折り鶴を添えて。勿論お礼の言葉も書き添えた。担当の人が同じだといいね、と話しながら…。

労働賃金が安いところでは、チップ収入が大きな意味を持つ、という話をなにかの本で読んだことを思い出した。給料より、チップの方が多い場合もあるらしいのだ。今回の旅で、「本当にそんなことがあるんだなあ~」と実感させられた。






彼女のハートマーク!

2005年12月08日 | 2005年コッツウォルズ母娘旅
今年二月、末の娘と欧州を旅した時の事。最初はツアーを考えていたのだが、いろいろ計画を練っていくうちに、ツアーでは収まらなくなってしまった。英国の田舎コッツウォルズの美しい風景の中でゆったりとした時を過ごしたい…、フランス・パリでは本物のフランスパン(バゲットなど)を味わいたい…、そのためにパン屋めぐりもなどと。この二点に焦点を絞り、スケジュールを組んでいくと、個人旅行が一番ということになったのだった。

コッツウォルズの美しい風景に魅了され、英国人の優しさや温かさに感動するシーンが何度もあった。そんな英国を離れ、フランスへ渡る時の事だった。パディントン駅から鉄道で行くことに決めていた。余裕を持って乗車時間を設定していたので時間はたっぷりあった。駅で買い物をしたり、お茶を飲んだりしようということになり…。娘がお菓子ショップに行けば、私は荷物番。娘とチェンジして、私はお土産を探すことにした。

日本でいうキヨスクのような小さな売店での事だった。その時、私は手持ちのコインを使い切ってしまいたかったのだ。値段に見合う文房具を探したが、なかなかちょうどいいのが見つからない。「探す時っていつもそうなのよね」なんてブツブツ言いながら…。気に入ったのがあったかと思うと、値段が合わないのだ。トラベラーズチェックはあるものの、崩したくない。なかば意地になり、キョロキョロ探す私、ちょっぴり変と思いながらも止まらない…。

「あった!」
とうとう見つけたのだ!ハート型の真っ赤なエンピツを!針金細工のように、頭の所がハート型にくるりと曲がった長いエンピツ。すっかり気に入って手に取ると、2セント足りないのだ!!どうしよう?????頭の中は?マークでいっぱい。
「欲しいなあ~」
「でも2セント!足りないよお~」
買うのをやめるるべきか、なんとか買うべきか?悩み抜いた末の結論が出た。
「ディスカウント!!そうよ!出来るかどうか聞くだけ聞いてみよう!」


ちょっと恥ずかしかったが、若く美しいイギリス女性に聞いてみた。
「OK!」
あっさりと答えるではないか!
「え?本当?」
思わず聞き返す私に、微笑み返してくれたのだ。私の顔もにっこりと緩む。日本では考えられないことなので、気持ちはほっこり!!
「たかが2セント、されど2セント」
そんな心境になり、彼女が女神に見えてくるから、不思議。

その真っ赤な「ハート型エンピツ」は、私の宝物になった。本当のところは、長女へのお土産のひとつに考えていたのだが、おしくなった。英国の彼女の優しい笑顔とともに!!「ハート型エンピツ」は私のお気に入りの仲間入りをしたのだった。

日本の風景

2005年12月06日 | 自然(花 虫 樹etc)
今朝のことです。会社に向かう車の中から見えた景色があまりにも美しく、車を止めて携帯でパチリ!近景の小さな公園に鮮やかなイチョウの黄色、中景には里山と田んぼが広がり、遠景には山並みがありました。我が家からほど近い場所にこんなにも美しい景観があることに驚き、ちょっぴり嬉しくなりました。

しばらく車を走らせていると、イチョウの街路樹が目に入りました。目の前がぱぁ~と明るくなる風景です。枯れ葉が舞う道をゆっくりゆっくり走らせました。少し行った所に数軒の民家があり、そこのヤマボウシの葉が橙色に色付いているのです。それもまた綺麗で引き込まれるようでした。そしてヤマモミジの赤が心躍らせる景観を作り出していました。

錦秋…美しい言葉。落ち葉を踏みしめて歩く時のカサコソという音は、なぜか懐かしく心に響きます。ある寺の和尚さんがおっしゃっていました。「イチョウやヤマモミジの落ち葉は、すぐに掃かないんですよ。落ち葉の上を歩くと心地いいし、風情がありますからな」。

いつの間にか、師走です。春も美しいけれど、錦秋、晩秋、そして初冬、真っ白な雪景色の晩冬…もまたいいですね~。寒さが厳しくなるにつれ、空気がぴーんと張り詰めてきて、風景が一段とクリアになります。日本人で良かったとしみじみ思うこの季節。四季の移り変わりにいつも新鮮な感動を覚えてしまうのです。