風を紡いで

旅の記録と料理、暮らしの中で感じた事などを綴っています。自然の恵みに感謝しながら…。

ブログの楽しさ

2006年06月28日 | 暮らし
ブログの存在を知ったのは、1年ほど前。
末娘とイギリスの田舎コッツウォルズを旅したあとでした。

何を書こうかと思った時、コッツウォルズが思い浮かびました。
旅した街や村の印象や出会いなどを中心に書くことにしたのです。
面白いほど書き進めることができました。

ブログの楽しさに目覚めてしまったのです。
使い方次第で、ブログの可能性がどんどん広がっていく…
そう確信したものです。

書くことの楽しさに夢中になりました。
さまざまな方たちとブログで出会いました。
そして、共感し合うことができました。
皆さんにたくさんのことを教えていただきました。

感謝です!


ここにお出でくださった方に感謝!
ここまで読んでくださったあなたに感謝です!
何でも結構です、一言でも二言でも、サインだけでも。
誤字脱字、内容に対しての指摘でも。
足跡を残していただけると、とても嬉しいです。
もちろん、長文も歓迎です。
必ず、コメントを書きます。
(アダルト・出会い系はご遠慮させていただきます)


メールアドレスは 88peace445@mail.goo.ne.jp です。



レモン哀歌

2006年06月08日 | アート(本 美術 映画 音楽etc)
   
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トハアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの手の力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時
昔山(さん)てんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

-高村光太郎の詩集から-


光太郎の詩のなかでも
この「レモン哀歌」は
とくに好きでした。
よく暗誦したものです。
昔は、深く意味を考えることもなく
読んでいましたが…。

身近な大切なひとたちが
次々と旅立っていくと
言葉のひとつひとつが
じんわりと深く
胸にしみてきます。


シンビジュウム

2006年06月07日 | 自然(花 虫 樹etc)
我が家のシンビジュウムはとても丈夫です。
随分前、実家から株分けしたものですが、
毎年きれいな花を咲かせてくれます。
最近は冬でも外に出しっぱなしで、
ほとんど、手を掛けないのですが…。

今年は色濃く咲いているような気がします。
「美しい花を見せてくれてありがとう!」
そう声を掛けて水をあげています。

梅酒

2006年06月06日 | 暮らし
死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで光をつつみ、
いま琥珀(こはく)の杯に凝って玉のようだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがってくださいと、
おのれの死後に遺していった人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思う悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終った。
厨に見つけたこの
梅酒の芳りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒涛の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。

(高村光太郎)


梅の実る頃になると、光太郎の詩「梅酒」を思い出します。
つつましやかで、心にしみる琥珀色の梅酒。
鈍い光を放ちながら…。
智恵子を偲び、しづかに深く、梅酒を味わう光太郎。
彼の心の闇にほのかな琥珀色のあかりが灯るよう…。
智恵子とのおしゃべりを楽しんでいたのでしょうね、きっと。



紫陽花酒

2006年06月05日 | 自然(花 虫 樹etc)
10年ほど前、果実酒にこっていた時期がありました。
果実に飽き足らず、庭に咲いた「花の酒」も作って楽しんでいたのです。

クチナシの白い花でも作りました。
紫陽花は特に花の香りはしませんでしたが、「紫陽花のお酒」というだけで、なんとなく嬉しかったのを覚えています。

やはり、美味しさでは果実酒にはかないません。
でも、遊びごころをくすぐられたのは「花のお酒」でしょうか…。