サイゴンの街はどこかパリの風情も残っていて、異民族の支配者の歴史を継いで、食事も仏・中料理のエッセンスを取り入れ多彩でなかなかよかった。田舎町での唐辛子で味覚をごまかして消毒をかねた日々はあっと言う間に過ぎて、体調が奈落の底
に向かっているのを感じた。ファンティエットの異文化に相当のストレスを体が感じているようだ。海辺のやし林からやしの実ジュ-スを楽しんだが、ストロ-はこげ茶でうっすらオリジナルの水色が残っているものだった
。その昔、北京の貴賓専用高級レストランのあっと驚いた竹箸の先が黒いのと同じ感覚だ。保身で商法違反を迫る常務のストレスに曝されて、日本での疲労の逃げ口のヴェトナムが更に自律神経に襲い掛かる。写真中央はチャンパの王か将軍か。向かって右は帳簿らしきものを持ってるが。左の人物は顔の後ろにまた顔がオリジナルに見える気味がやや悪い。連れ合いに見せれば、後ろの木々だというが。この石像の由縁の記憶がなくなってしまい、そのうちチェックしよう。チャンパからは奈良時代には仏僧が渡来し、日本とは知られざる交流があることは後で知った。

