山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

学生時代の駅前から

2010年07月21日 15時52分25秒 | Weblog
写真はホームから。ゲリラ豪雨に耐えられかどうかはわからぬが、一気に溜まった雨水の地下貯水池と云われている。学生時代はここ阿佐ヶ谷で過ごした。駅前周辺は仕事などで中央線電車に乗り、降車はしないが、何気なく見てきているから、昔の風景が変わっても現風景にはついていける。10年程前に荻窪で時間があり、丁目までしか覚束ない下宿まで歩いてみたが、たどり着けなかった。帰りに向かう阿佐ヶ谷駅へ行く道も知らない街になってしまっていた。下宿は日当たりのいい部屋で、お向かいの家の令嬢に窓から手をふると応えてくれたが、家の外で出会ったことがなかった。風邪熱で3日間も寝込んでしまい、飲まず食わずで、もうあの世行きかと思った時に、下宿のお母さんにが不審に思って訪ねてきてくれて、助けてもらった。年賀状のやりとりが続いたが、四半世紀前に亡くなられた。新宿で培った指先で、駅前のパチンコ屋では少しは稼がしてもらったが、顔を覚えられしまい、中国人の親父によく、パチンコ台の裏から玉をよく抜かれた。稼ぎがいい時はガード下の洒落たとんかつ屋と台湾料理の店に行った。いかがわしい界隈もあり、高校仲間と行って、チラリズムですっかり巻き上げられたことも。おっかないパーでハイボール飲み、手持ちでは間に合わなく、下宿まで金をとりに行ったこともある。まあ、後年、イタリアでシャンパンキャバレーでシャンパン抜かれたほどではないが。映画館などが消えて、残っているのは銀行とスーパー。そういえば、一番風呂によく行った銭湯はどうしたか。
コメント (2)
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