治療病院泌尿器科の医師は手術からの説明だが、遠回りをして時間が費やした者には若干イラつくものだった。次回は家人同伴を求められ、当日放射線治療のダメ押しをした。説明義務からか、医師は延々と説明された。MRIは当然として、念のため骨転移の検査で、国立相模原病院へ行くこととなった。その結果、肺の影のを指摘があり、若い頃の宴会でバカ騒ぎで肋骨にひびが入ったことを思い出させた。カルテには影ありとなったが。10月上旬、Jクリニックに相談したら、このレベルでは骨検査はしないとのことだった。医師によって判断が違う。Jクリニック医師は6月末検査から3ヵ月過ぎており、看過できずホルモン注射(1ヶ月有効)をした。同時に放射線科への医療情報を作ってくれて患者からの説明は不要になった。
10月中旬に放射線科部長と面談し、この治療を開始して8年だが、このレベルでの治療者で亡くなった人はいないと言われた。ただ混み合っているので来年からとの話だった。遠回りした事情を話すと、多少放射時間スケジュ-ルが乱れるが、今年中に終わらせようと努力していただき、10月25日~12月25日の平日毎日計42回の放射が決まった。最初から10回は毎日の施療時間が午前、午後、夕と乱れたが、途中で病院都合に合わせますと申し出たら、順番が毎朝3番目となった。一日が計画性を持てるようになった。第一日目は体をスキャンして、腰の左右と腹部にマ-クを付された。4,5日は消えず、薄くなると書きなぞった。これに合わせて毎日スキャンをして前立腺の位置を確認するようだ。360度3次元放射で動的フォロ-のできる医療施設だが、膀胱に一定の尿があることと排便後があれば、前立腺が動かずに安定するとかで、厳守するように言われた。便秘症だったので、毎日欠かさず便秘薬を服用し、朝は予約時間1時間前には排尿を守った。放射線の副作用は便秘、下痢、頻尿で、この症状の中で排便・排尿のリズムを作っていくのは結構苦しいものだった。最初は何も副作用はなかったが、10日目あたりから、排尿後に経験のない嫌な排尿感と頻尿、一日3回もある下痢(便秘薬を減らすことも)が始まり、予想通り痔になった。お出かけは必ずトイレの場所をイメ-ジして行動だった。それ以外は普通の生活で、運動は時間の自由度があるジム程度は大丈夫だった。演奏中の席外しは難しいオペラは見送った。
治療中の初めて検査、12月18日にPSAは0.5となった。放射線医師は放射線の効果が出るのはまだだ先ですと言われたが、10、11月(1ヶ月有効)と12月(3ヶ月有効)のホルモン注射が効いているのかもしれない。ホルモン注射は2月(3ヶ月有効)で終わるが、結構体がだるくなりやすく、初めての時は突然汗をかくときもあった。元気、頑張りがきかないのと女性化が始まり、ジムのインストラクタ-からは体が丸いと言われたが、まだ胸は大丈夫だ。遠回りをした夏の胃と大腸ガン検査を済ませ、骨検査もしてあるので、痔による出血や疲れからの腰痛にはがんと結びつくものはなく、何の心配もない。
治療は終わったが、これからPSAを見ながら再発をチェックするくことになる。今回の施療には発病を体験された大学、元の職場の先輩が親切に相談にのっていただき、ここでお礼を申し上げたい。また、がんサポ-ト情報センタ-で放射線に傾いたのも報告をしておきたい。今後どうなるかわからぬが、医療の進歩で放射線がだめなら、超音波とかあるようでここは余計なことを悩まぬようにして免疫力アップに心掛けたい。