山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

やがて異常気象をもたらす兄弟台風が夏の終わりの始めかと

2015年08月18日 21時42分21秒 | Weblog

陛下の戦没者への追悼は身をもって戦争を体験したお方のお言葉であると思う。すっと読めるし、思いが深い。思えば英国ポンドが700円、米国ドルが360円の頃に、研修旅行で、初めてロンドンの地を踏んだ。外貨持ち出し制限もあり、さらに乏しい小遣いで思いつめたように老舗デパ-ト、ハロッズ行った。土産にと思って、日用品コ-ナ-で店員に商品の値段を聞いた。、初老の男は日本人には売りたくないと言った。戦争で日本の捕虜になって、辛酸をなめたと言った。初めての欧州旅行で、シンドイ場面で面食らった。歴史には日陰はある。当然英国にもある。しかし、彼にとっては日本は加害者で、末代まで伝える。日ソ中立・不可侵条約はあった、しかし、連合国と同盟国のソ連は先制攻撃で満州になだれ込んだ。在邦のほとんど人たちは、逃げる関東軍に見捨てられて悲惨、残酷な目にあった。シベリアへ連行された軍人や関係者は過酷な環境と重労働で多くの人が命を落とした。日本は北方領土も絡み、このことは忘れないだろう。首相談話で、アベポンはお手軽な免罪符を出した。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という免罪符。母方の祖父、日米開戦署名大臣の元首相の孫である自分への免罪符でもあろう。本日は仙台の先輩から写真送付とともに近況をお尋ねいただいた。左が仙台の朝顔「団十郎」、右が近所の山百合。相当前に山百合も廃道となっている遠くの多摩の奥羽古道で、初めて見かけたが、いつの間にか身近な季節の花となった。

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